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死蝶町  作者: 谷樹 理
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第七章

 奇気井戸は瓦礫の中に埋まっていた。

 紅琵ら四人が到着した常に光が差す時間感覚をなくす地下施設のかなでも、人影少ないうらびれた場所である。

「……まだ繋がっている。地下の軌道トンネルまで埋まってるけど、その穴があるという形は残ってる」

 麻諷は一目見て、感じたままのことを口にした。

「……ここに来たってことは?」

 早紗は不安と不信をかすかに見せていた。

「生きてる奇気井戸に用があってな。元々水気のモノだ。埋まってたって気というもんは尽きるものじゃない。使えると確認できたんだ。儲けもんだよ」

 紅琵が解電子タバコの煙を吐く。

「旦那、何かいるぜ?」

 麻諷が静かに辺りを伺い、紅琵に目をやる。

「……出て来いよ」

 紅琵は片手で悠を後ろに下がらせつつ、目配せされた場所に顔を向ける。

 瓦礫の一端が盛り上がる。

 土や石がそれに伴い崩れてゆき、中から顎髭のある、頭巾を纏っい錫杖を肩に乗せた青年が現れた。

 周囲から、顔に梵字が書いた布を垂らした男たちが出現する。

 兆錠と久鴨衆だ。

「……いずれここを墓場に選びに来ると思っていたよ、化生ども」

 彼の足元には、口元まで地中に埋めた老人の顔があった。

 軌道路トンネルにいた男だ。

 麻諷は腰の呪符を一枚引きちぎって、胸元に張り付ける。

 紅微はゆっくりと冷静にカバンの中に手を入れた。

 そのまま、カバンを落とすように、地面に置く。

 麻諷の呪符を自分も引っ張り取り、コートの中に納める。

 片手には斧の刃が付き、石突きが鋭くとがった短い柄のグリップを握っていた。

 もう片手にはリヴォルバーだ。

「その自分勝手なところ、直した方がいいな。おまえ友達いないだろう?」

 紅琵は嗤う。

「お友達ごっこやるような歳でもないのでね」

「だからって俺たちにジャレついて来るなよ、面倒くせぇなぁ。いい歳こいて」

「減らず口が……」

 むしろ楽し気に、兆錠はニヤつく。

 殴っても大喜びで殴り返し、殺されかけても後悔しないタイプだ。「籐示(とうじ)……」

 兆錠は肩の錫杖を両手に持ち、地中の老人の名前を呼んでその頭の上に足を置く。

 ゆっくりと彼は土の中に沈んでいった。

 紅琵は、目もやらずに麻諷に拳銃を向けて撃った。

 吹き飛んだ彼女は何度か身体を回転させて、背中から左右に一本ずつ腕を増やし、踵の長い硬く締まり強靭な脚になると、そのまま跳んだ。

 兆錠めがけた彼女の眼前に久鴨衆が何人も立ちはだからる。

 背中からの指の長い腕がその頭を二つ鷲掴みにすると、鈍い音をたてさせて首の骨を力づくでひねった。

 倒れる前に肩に足を置いてさらに進む。

 兆錠は錫杖を振り、電雷の一撃を加えるが、麻諷にダメージを与えなかった。

 多分、あの呪符だ。

 そう判断した兆錠は、すぐに電気をさらに奥に走らせる。

 その先には、悠がいた。

 彼の身体は電気を喰らい、自由をすべて兆錠に奪われる。

 錫杖を突き出して、麻諷の突進の正先に向けると、容易く払われる。

 そのまま、兆錠は麻諷の背中の両腕に頭と首を掴まれて馬乗りにされて倒れた。

 だが、次の瞬間、麻諷の身体が固まる。

 一番奥にいたはずの悠が、握った石で横殴りに側頭部を強打してきたのだ。

 一気に身体の力が抜けて、麻諷は兆錠に覆いかぶさるように身体上半身を落とした。

 運んだのだ籐示だと、紅微は土の流れを見ていて思った。

 辺りにつんざくような悲鳴が上がる。

 早紗が両手に鉈を持った。

 片手の鉈を回転させながら兆錠の側に投げる。

 錫杖を弾き飛ばし、そそり立つように握りまでが金属の鉈が土に突き刺さる。

「……わしはここだぞ?」

 地中から籐示が紅琵と悠の目の前に上半身を地中から浮き上がらせてくる。

 紅琵が拳銃を捨てた手でその肩を掴む。

「行け」

「次は祟り子だ、隠」

 兆錠が薄笑いを浮かべる。

 悠は胃がもたれ、身体いや精神そのものがぐちゃぐちゃになって異様に重くなった。

 意識ははっきりしているのだ。その代わり、筋や筋肉が電気信号によって勝手に動かされる。

 麻諷を倒した自身への衝撃は凄まじいものだった。

 自己嫌悪というレベルではない。世界への恐怖だ。

 結局、自分は「こっち側」の存在なのではないか?

 その恐れが「元の存在」への安心感を求める。

 両手に鉈を持った早紗に、悠は拾った錫杖を持った向かい合った。

「嫌だ……!」

 悠は叫んだ。

「悠、大丈夫」

 早紗はニッコリと包み込むように微笑んだ。

 土が無理やり、悠を早紗の前まで運んでいく。

 腕が勝手に動いて、錫杖を振る。

 鉈の一本で受け流す早紗。

 もう一本の峰で悠の頭を横殴りにしようとする。

 錫杖が二本に割れて、片手の部分がそれを払う。

 尖ったもう一本が、早紗の肩口に突き刺さる。

「早紗!」

 やった方の悠が悲鳴を上げる。

「……大丈夫だよ」    

 早紗はニッコリとする。

 その頭の頂点に、身体を撥ね上げさせたもう一本の錫杖が、全体重をかけて叩きつけられた。

 早紗は、膝を崩して倒れた。

「早紗ぁ!」

「だい……じょうぶ……」

 彼女は薄れる意識の最後につぶやいた。

「化生、最後だな」

 兆錠は満足げだった。

「そうかね?」

 紅琵は解電子タバコの煙を吐きながら、口角を釣り上げた。

 急に辺りの空気が歪む。

 兆錠は、早紗の身体が掻き消えたのを見た。

 疑問と衝撃は後からくる。

 麻諷がゆっくりと傍に立ち上がっていた。

 その蒼い髪はハーフツインになり、服が薄い空色のシャツにフリル付きのミニスカートの下、デニムのワイドパンツを履いている。

 兆錠は目を疑った。

 まるで早紗ではないか。

 麻諷に、紅琵が早紗を降ろしたのだ。

「悪いが、この町のことは世界に知らしめることにする」

 紅琵が宣言した。

 麻諷に降りた早紗が、奇気井戸に干渉する。

 籐示の土遁で土気が満ちた井戸は衝撃に一挙に土そのものが取り払われる。

 水気がとぐろを巻くようにしながら井戸に一気に湧いて来る。

 それには、悠も取り込まれた。

 電気が弾かれて拡散し、身体が自由になる。

「頑張ったね、悠」

 麻諷か早紗かどちらかが言う。

「早紗……」

 彼には、彼女の発言に感じていた。

 兆錠が舌打ちする。

 井戸から水気の龍が立ち上って行き、巨大な柱となって衛星と接合した。

 以前上がった龍からの情報が上書きされて、衛星に溜まり、それが周辺の別の衛星へと広がってネットワーク上を走ってゆく。

「久鴨衆なんていない。そう世界に伝えた。貴様らは存在しないんだ」

 紅琵は嗤って続けた。

「そして、悠が生きていると『確定』させた。さあ、全てを否定されたおまえらはどうする?」

 兆錠は、激高して放電しようとした。

 だが、電気はでない。金気の能力が使えないのだ。

 悠は、暖かなものが胸の奥から湧いて出たのを感じた。

 もう、それに対しての恐れはない。

『運命だと思って、ぶん殴れ』    

 素直に感じられる。

 彼は向き直り、兆錠の傍まで走った。

 片手の錫杖を頭に向かって横から振る。

 肘を曲げた腕で、兆錠はそれを受け止めた。

 同時に身体を半身にする。

 そこに突き出された錫杖が空を刺す。

 引かれた肩で戻っていたもう片方の腕を、膝の裏を狙って振る。

 飛び跳ねて避けられた、空中にいる瞬間、悠は片方の先の尖った錫杖でその首筋を貫いた。

  






 地下都市で久鴨衆は土気の中に埋もれていた。

 麻諷から呪符が落ちると、その脇に早紗が倒れていた。

 悠が駆け寄る。

 その頭を、麻諷が軽く殴った。

「さっきの御返しだ」

 痛がる悠に、面白そうに言う麻諷。

 それより早紗だった。

 柔らかい身体は温かく、明らかに生きていた。

「早紗!」

 悠は軽く彼女の肩を揺らす。

 重そうに瞼を開けた彼女は、悠を見つめる。

「……大丈夫、だったでしょ?」

「うん!」

 悠は嬉しそうにうなづいた。

 早紗が立ち上がるのを手伝うと、紅琵がそばに来た。

「祟り子というのも消しておいた。君らはもう、普通の人間だ」

「一つ、心配が……」

 彼女は不安げな顔になる。

 紅琵は言葉を待った。

「以前の町では連続殺人が起こっていて、悠はその犠牲者だったの」

 悠自身が驚く。

 そう言われれば、両親が殺されてから、彼は行き場を失っていたのだ。

 久鴨衆が、鬼、隠と彼を呼んでいたのは、霊魂の状態を刺していたのかもしれない。

「犯人はいるだろう、一人」

「……稀成」

 紅琵に早紗が答える。

 彼が犯人なのは、以前と変わらない事実だった。

「でも証拠がない。もしかしたら、今回のことを知った稀成があたしたちを殺しに来るかもしれない。彼は常にあたしたちを監視下に置いてるし」

「今もか?」

 早紗は頷いた。

「俺ならこの状況になった以上、逃げるけどな」

「あー、おっさんよ、勝手に僕の行動決めないでくれるかな?」

 物陰から、耳にピアスを大量に開けた青年が現れた。

「稀成……」

 早紗がつぶやく。

 かれは、近くまで来ると、瓦礫の一端に腰かけた。

「……お陰でこっち追い詰められたのは、確かなんだよ」

 彼は認めた。

「そこで、取引だ。全ての罪は僕が引き受ける。そして僕は街をでる。その代わり、追うな」

 悠の目が据わる。

 両親を殺し、彼自身をも殺した犯人が、何の反省の色も見せずに無かったことにしろと言っているのだ。

 紅琵は黙って煙を吐く。

 手にしたリヴォルバーのシリンダーを出して、中の弾を確認する。

「悪くない提案だ……」

 彼は言うと、リヴォルバーを悠に渡した。

「だが、彼に決めてもらおうか?」

 ニヤリと嗤いながら、紅琵は稀成をサングラス越しの目をやった。

 稀成は、つまらないものでも見るように、悠を眺める。

 悠はその感覚を敏感に察した。

 彼は、悠をすでに獲得した所有物のように思っているのだ。

 獲物として弄び、遊び飽きて捨てたオモチャ。

 それが悠だった。

 彼は、リヴォルバーを両手にもち、撃鉄を上げる。

「おいおい、僕を殺したら、おまえは殺人犯だよ?」

 稀成が呆れるように言う。

「……それがどうした? おまえみたいのは、絶対許さない」

 祟り子、鬼、その二つの言葉が脳裏をよぎる。

 あの時の辛さは堪え切れられるものではなかった。

 悠は引き金を引いた。

 銃声と共に、稀成の胸に小さく赤いものが爆ぜた。

 さらにもう一発。

 もう一発。

 胸に三発喰らった稀成は、ゆっくりと仰向けに倒れ、動かなくなった。

 悠からリヴォルバーを取り上げ、ハンカチで拭くと、紅琵はその場にリヴォルバーを捨てた。

「服を燃やして上半身を洗ってこい」

 紅微は悠に言いつつ、その井戸に稀成を放り込んだ。

 

 




 

 比微は社長室で、然馬から報告を聞いていた。

「理葉は射殺か。抵抗したならやむを得ないな」

 ぼんやりと窓をながめつつ、結論付ける。

 こんな小さな町で何を命まで張って争っているのか。

 彼にしてみれば、呆れるほど皆、愚かだった。

「町に侵入してきた人物の特定も終わりました」

 然馬は、遠慮なく紙タバコに火をつけていた。

 比微も咥えているので、否定はできない。

「ほぅ……黄戴天のやつ?」

「はい。名前は住為(じゆうい)紅琵。土地整理の活動家で、黄戴天から金をもらって働いてます。何度か捕まってますがいずれも不起訴。この歐木町も、黄戴天に狙われてるようです」

「どうでもいいよ。吉田神道系の土地になるってだけだ」

 比微は苦笑しながら一言で済ませた。

「それよりも、連続殺人なんだ。その紅琵が関わっているとはおもえないんだけど、そいつのせいで捜査が中断してる」

「……はぁ」

 気勢を削がれたように、然馬が軽くうなづく。

 その顔に、比微は視線を注ぐ。

 然馬は居心地悪そうにした。

「たしか、葛香会には始末屋がいたよね?」

「……ウチはあなた方の外郭団体として……」

「うん。今まではそれでよかった。ただ、黄戴天が来るってなると、話は別なんだなぁ」

 比微はぼんやりした顔のままタバコを吸う。

 ドアがノックされた。

「どうぞ?」

 比微は迷いもなく招き入れる。

 そこに、帽子にサングラスを掛け、コートを着た大男が現れた。

「な!? 紅琵!?」

 然馬が驚きの声を上げる。

「呼ばれてきたぜ?」

 彼は解電子タバコを咥えていた。

 その煙は町の雰囲気を寄せ付けず、独自の存在感を醸し出していた。

「もうすぐ、ここらは雨になるぞ」

 紅琵は二人を無視して窓の外に目をやっていた。

「紅琵、だね? 連続殺人の件で話があるとか?」

「そうそう。犯人は伊馬稀成。そこのおっさんと仲良しだったよ」

「何を証拠に!?」

「ぶん殴られてこいつらに解体されかけてね。証拠の家の場所はわかっている。処分する時に使う部屋だ」

 然馬は、詰め物が入ったかのように口から声が出なくなった。

「案内してもらおうかな」

 比微は立ち上がり、ジャケットを羽織った。







 歐木町は激しい雨に見舞われていた。

 然馬は第一級の殺人容疑者として拘禁された。

 地上では、蝶が雨粒を避けて樹々の下に隠れ、カムロたちははしゃいで遊んでいた。

 悠は雨の中、ぼんやりとしていた。

 彼は生き返ったとはいえ、帰る家がなかった。

 そこに、傘を差して戻って来た紅琵が現れた。

「なにしてる?」

「別に何も。何もすることがない……」

 紅琵は鼻を鳴らした。

「君の家の名義を変えて来た。あの家はもう君のモノだ。そして、学校の入学手続きと、黄戴天からの保護の奨学金。することがないんじゃなくて、日常に戻るだけだ」

 悠は顔を上げた。

 紅琵は傘の中に彼を入れ、再び歩き始めた。

 辺りには楽し気にカムロたちが騒いでいた。







 確か、あの頃、早紗ともう一人、少女がいたはずだった。

 悠は名前を思いだせない。

 血気盛んで、大人しめの早紗とは正反対の性格をしていたはずだ。

 紅琵と共に、旧家を訪ねる。

 まるで新しく建てられたかのような、綺麗さだった。

「ハウスクリーニングを頼んでいた」

 説明するように紅琵が言う。

 奥から賑やかな音と声がしていた。

 廊下を進み、リビングに入ると、麻諷と早紗が携帯ゲーム機で遊んでいた。

 表情から、どうやらやはり麻諷の圧勝のようだった。

 早紗は意固地になっているかのように眉に皺を寄せて、夢中だった。

「あ、僕もやる」

 悠は二階に駆けあがり、今度は自分の携帯ゲーム機を持ってくると、二人の間に入った。

 懐かしい感じがする。

 何時かも、今のように三人で騒いでいたような感覚。

 悠は突然、思いだした。

 驚くように、麻諷の顔を見つめる。

「ん?」

 見つめ返してきた麻諷は、疑問をその表情で表していた。

「なにしてるの、早く続き」

 早紗が苛立ったように二人に声を掛けた。

「ああ、ごめん」

 悠は中断していた射撃戦ゲームを再開する。

 麻諷は容赦なかった。

 一瞬にして射殺された二人は、すぐに再戦をする。

 楽しかった。

 居場所を感じた。

 何もすることがない。

 そう思っていたが、紅琵の話と、この二人がいることで、全てが解決したようだった。

 急に思いだした。

瀬戸(せと)?」

 麻諷に声をかける。

 ん?と再び振り返り、ニコリとした。

「そうだよ? やっと思いだした?」

 そうだ。

 早紗と一緒にいたのは、麻諷だった。

 悠は驚きと嬉しさを押し殺し、ゲームに夢中になっているフリをした。

 しかし、顔は自然とほころんでいた。







「ちょっと待った」

 紅琵が家から出ようとした時、麻諷に背中から呼び止められた。

「あー、なんだ?」

 彼はぶらっきぼうに振り返る。

「どこ行くんだ?」

「散歩」

「嘘つけよ」

「あー、めんどくせぇなぁ。何か用あったか? 買い物か?」

「あんたそのお使い行ったら帰ってくるのかよ?」

「お駄賃次第だな」

「ふざけるな」

「しょうがねぇじゃねぇか。こっちは仕事しないと食っていけないんだよ」

「ウチらにも保護者が必要だ」

「黄戴天があるだろう?」

「またぁ?」

 麻諷は心底嫌そうな表情になる。

「大体、あたしはもうすぐ黄戴天から外されるんだよ」

「後二年、ニートしてな」

「ふざけるな!」

「何の文句がある?」

「初めからそのつもりであたしをつれて来たんだろう?」

「家に帰してやった。おまえの家はココにある。探せよ。思いだせ」

 言われて、初めて麻諷はそう言えばと思った。

 彼女がこの町の住人だったなら、本来は家族がどこかにいるはずである。

「因みに、最初は慣れないと思うがな」

「どういうこと?」

 聞き捨てならないと、麻諷は鋭く問う。

「なに、そのままの意味だよ」

 紅琵は軽く笑った。

「ところで、今日の夕方、君に町のレストランから招待状が来ているの忘れていた。めかし込んで行けよ」

「招待状?」

「席は予約してある」

 麻諷は訝し気な顔になった。







 歐木町の中心部にあるフレンチ・レストランに、麻諷はタクシーで向かった。

 夕方も雨だったのだ。

「ご予約のお名前は?」

 聞かれ、瀬戸麻諷と名乗ると一礼されて店内に招き入れられた。

 間接照明の店内は、料理の邪魔をしない涼やかな香りがかすかにした。

 案内されたテーブルには先に男が座っていた。

 髪を後ろに撫でつけた四十絡みで、スーツの上下を窮屈そうに着ながら、葉巻をくゆらせていた。

 葉巻とはこんなに臭いのか。

 麻諷は無臭の解電子タバコに慣れていたので、軽い驚きだった。

「やぁ、来たね」

 比微が彼女に気が付き、ニッコリと笑った。

 麻諷は蒼い髪のままにネックレスを首にかけ、白と灰色のドレスを気て、黒いバッグを持っていた。

 相手が誰だかわからないが、どこか異様に懐かしい感覚が湧き上がって来た。

「十年ぶりだな……」

 比微は彼女の姿を誇らしげに眺めた。

「十年……」

 半ば茫然としつつ、引かれた席に座る。

 葉巻の煙を吐き、比微は頷いた。

 麻諷は突然、記憶が本流のように蘇って来た。

 然馬に脅されて、警察庁を去らざるを得なくなった父。

 仕事もなく、一家は離散して、彼女は伝手をつたい、黄戴天という組織に預けられた。

「……まさか、お父さん……?」

 比微は照れるように頷く。

 麻諷は驚きの余りに口が動かなくなる。

「ようやく、おまえを家に帰らせることができるようになった。次は母さんだ。連絡はついている。一週間以内にはこっちに来るそうだ」




 紅琵は歐木町から出た。

 真っすぐ、黄戴天の本部に向かう。

 任務が一つ終わった。

 解電子タバコの煙を吐く。

 だがどうせ次の仕事が待っている。

 少しぐらい寄り道するかと、お台場にいた。

 雨はまだ降っている。

 衛星のネットワークに刻まれた新しいデータを地上に降り注いでいるのだ。

 海は静かだった。

 一息つき、彼はゆっくりまた、歩き出した。


















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