第四章
早紗が宿の浴場に向かおうと一人廊下を歩いている時だった。
いきなり後ろから力がかかり、頭部を壁に強打されて意識を失った。
気付くと、地上の河原に寝転がされていた。
酷い頭痛と前後の記憶の混乱。
血流が一気に流れ込んできた高揚感で意識がはっきりした。
辺りは薄暗く、湿気が濃い。
眼前に銃口が向けられていた。
顔に梵字の書かれた布を垂らした人物が、もう片方の手に錫杖尾を握りながらそこにいた。
「メクロメのところまで案内してもらいたい」
頭痛に眉をしかめながら、早紗はゆっくりと無言で立ち上がった。
腰のベルトを手にされて、銃口を首筋に喰い込ませた状態で、早紗は淡々と歩きだした。
夜風の中、町の所々にカムロたちがみえる。
彼等がいるということは、安定している証拠だ。
時折、腐臭のする人影とすれ違うが、カムロたちに変化はない。
限界ではないか。
兆錠は腐った人がうろつくのを目の隅で捕らえながら思った。
だが、カムロたちが自然にウロチョロとしている。
まるで抗う気配がなく、そのままを楽しんでいる。
二択だ。カムロたちは別の存在としてのものだったのか、この状態が自然なのか。前者ならシステム異常となり、後者なら、時期の予定通りということだ。
今は答えがでない。
早紗が町の中心に向かって、積層建築と樹木の中を歩いてゆく。
樹々が増えてゆき、道に雑草が映えだしてきた頃、兆錠の視界が一気に広がった。
しめ縄をされた、胴回りが八メートル以上はある巨木である。
枝は天に幾千本も広がり、なかには多くしだれているものもある。
不思議な光りが時折、幹を上下し、葉が瞬く。
「……これが……」
通常、町の人間には神域として近づけない場所に、メクロメはその巨体を土の底から空高くそそり立ってていた。
周りには、何匹も蝶がはためいている。
「枝と根、そして葉か。他の樹々と繋がり、ネットワークを作っている。これがメクロメか。町の古文書通りの姿だ」
感慨深そうに、内から湧き上がる笑いを押さえきれないかのような声をだす。
早紗の側頭部を錫杖で殴って吹き飛ばし、兆錠は巨木に近づく。
しだれた枝の一つを手にすると、脳内が破裂する。
いきなり意識が空から町全体を体感する感覚に襲われる。
兆錠は笑いながら、自己を保つようにして、その流れを自分に取り込んでいった。
急速にシナプスが成長して身体中に血が巡る。
鼻血が吹き出し、限界近くまで耐えると、手を離し疲れたように前かがみになる。
荒い息は、喜びに満ちていた。
身体の中で何かが蠢いていた。
十人分、いや、百人分の身体が手に入った感覚。
これだ。これが、メクロメの力だ。
兆錠は満足した。
彼は人を超えたのだ。
「……遅くない?」
悠がふと時間を確認して疑問を漏らす。
「そういや、そうだねぇ……」
麻諷が座椅子から腰を上げた。
紅琵は黙って持参のウィスキーをロックで飲んでいる。
麻諷が視線をやったが、合わせようとせずにサングラスの奥の目はグラスに注がれたままだった。
「観てくるわ」
彼女は部屋をでる。
十分もせずに戻って来た時は、深刻そうな顔をしていた。
「……いなかった」
「アンカーは悠にだけ打ってある。早紗の位置は把握してないな……」
紅琵がついでのように言った。
「襲われた可能性は?」
悠に、麻諷と紅琵は顔を合わせる。
わからないのだ。
「あると思う?」
「多分……」
麻諷の問いに煮え切らない悠の前に、紅琵が座った。
「その多分の中のすべてを聞かせてもらいたい」
「……町には久鴨衆という連中がいるんだ。悠はキキドという不思議な存在の下で動いているけど、久鴨衆はそれとは別にメクロメっていう巨木に執着している。さっき、郁玖詫総合警備会社がきたけど、こんな鮮やかな手で早紗を誘拐できるとは思えないよ」
紅琵は解電子タバコの煙を吐き、ニヤリとした。
「完璧な答えだ、ボウズ。久鴨衆の本拠地は?」
「わからない」
「前言を撤回する。0点だ」
不満そうな悠をおき、紅琵は方位盤を取り出した。
針は幽気に反応するようになっている。
「町中央だな、異変があるとすれば。ただこの方向、木気と水気の境い目だ。メクロメになにかあったな。そもそも、あの娘とメクロメはセットで考えるべきだったか」
「行こう!」
「罠だね」
悠の言葉に、紅琵は即答する。
「じゃあ、どうすんの!?」
「久鴨衆を炙りだす」
「どうやって?」
サングラスに指をやり、紅琵は表情を隠した。
「それはなあ……」
彼は悠の左首に手刀をあてて吹き飛ばした。
「おまえが餌だ……」
慈悲も何もなく、紅琵は立ちあがって倒れた悠を見下ろしながら言った。
「相変らずなことで」
麻諷は慣れ切った者の独特の反応だった。
「君にも働いてもらう」
「へーへー」
不機嫌そうな麻諷だった。
彼女には他に選択肢などないのだ。
町の一画にその姿はあった。
ボリュームのある解いたドレッドヘアをした少年が、手を後ろに縛られ、樹木の一本の幹に括り付けられていた。
しばらく、近寄る者もいない。
しかし、明け方頃になると何やら蠢くモノが周りに現れた。
顔に梵字が描かれた布を垂らし、錫杖を持った人々が、物陰にチラホラと姿を現したのだ。
彼等は、錫杖に仕込んだ刀を引き抜いた。
一気に、五人ほどが悠の姿に向かって刀を振るう。
突然、悠の拘束が取れて、樹の上に身体が弾かれるように身体が昇った。
ずるりとその表面が垂れて、首元に呪符を張った蒼い髪の少女の姿が露出する。
「やっほー、おいでまし」
麻諷は呪符を剥がして身体に降ろした悠の姿を抜くと、楽し気な声をだした。
久鴨衆の一人の頭が轟音と共に破裂する。
残った彼等が振り向くと、紅琵がショットガンをもって立っていた。
「撃ち殺されたくなかったら大人しくしな。まず、その刀みたいのを捨てろ」
久鴨衆は少し迷った風だった。
しかし、二人が紅琵に、もう二人が樹の上の麻諷に飛び込んでゆく。
紅琵は前に飛び出して二人の懐に入るとショットガンを持った腕を横薙ぎにした。
足元が紅琵に踏み込まれていた二人は、重心を変えられて吹き飛んだ。
すぐに、紅琵は一人の胸に散弾を撃ち込む。
樹の上の麻諷は、幹の周りに取りつく久鴨衆の一人に降下ざまにカランビットを握って、首の根元を掻ききる。
すぐに姿勢を低くし、降りかかる二人目の脇にをえぐり、前のめりになった時に首を斬る。
「さてと……」
残った一人にショットガンを構えた紅琵のところにきた麻諷は、辺りの湿気が濃くなるのに気付いた。
地面のあちらこちらから、蒼い色をした蝶が舞い上がる。
錫杖の音が鳴った。
途端、稲妻が降りて来た。
「化生が……。町に仇なすモノは私が許さん」
顔の布を後ろに上げた、顎髭の青年が、そこに立っていた。落雷した場所に立っていた。
兆錠だ。
迷うことなく、紅琵はその顔面に散弾を撃ち込んだ。
だが、弾が到達した様子はなく、ただ銃声が轟いただけだった。
「なるほど。こっちの世界の人間ではなさそうだな」
足元から、小さな発火が周り中に線として伸び、紅琵の足元にも接触した。
感電したところから感覚がなくなり、電流は蛇のように身体を登ってくる。
「紅琵!」
麻諷は腰の呪札を一枚引きちぎり、首元に張る。
そのまま、兆錠に向かって跳び、短刀を横薙ぎにする。
錫杖がその手首を痛打してくる。短刀は落とさずにいたが、腕が弾かれた。
紅琵は自由の残った腕でリヴォルバーを抜き、最後の力で麻諷を撃つ。
途端、麻諷を束縛していたモノが無くなり、細長い腕と、
強靭な脚に変化し、目は真っ赤に光る。
「正体現したか!」
兆錠の電気の線が、麻諷に向かう。
電子の線は束を造り、太い胴をした幾匹もの大蛇となった。
麻諷にそれらが大あごを開けて向かう。
彼女は素早く円を描くように、一番端の大蛇の外側を走り、兆錠に近づいた。
長い爪の腕を古い、兆錠の古臭い衣装の一部を掻き破る。
首を狙った短刀の方は、再び錫杖で叩かれて失速したため、胸元にひっこめて、後ろに下がった。
彼はその錫杖を、コンクリートの上に突き刺した。
波紋が走るように、電気のネットが足元から広がる。
その隙間から、何人もの人影がむくり、と猫背をそのままに起き上がる。
「……カムロ」
麻諷は電気に捕らえられ、目を赤く輝かしたカムロたちが出現を見た。
彼女の足は、電気の上を滑るように走るが、カムロたちが立ちふさがる。
「早紗をどこやった?」
麻諷は叫んだ。
「……雷公か。麻諷、そいつメクロメに接触したぞ」
紅琵は何とか動く口で言った。
頷いた麻諷はそのままその場を駆け抜ける。
カムロたちが紅琵の周りに集まって、次々と上に乗ってその姿を埋もれさせた。
そこに、電気の大蛇が集まってくる。
ぽつりと水滴が落ちてきて、電子網に火花が散った。
ゆったりと、少年の姿がそこに現れた。
水滴はやがて雨となり、そこら中で小爆発が起こる。
兆錠は舌打ちした。
電気の網や大蛇が放電して、うまく意志を送れないのだ。
「よっこら……」
紅琵が解電子タバコの機能を使って電気から解放されると、ショットガンを構え直した。
「やっちゃて!」
悠が叫ぶ。
紅琵の一発目は、いきなり足元からの放電がまた腕の神経を掻き乱し、明後日の方向に向かった。
それでも、紅琵は射撃を辞めずに連射した。
「……化生めが」
兆錠は電気の触手を切ると、町の奥の陰に姿を消した。
雨の中、麻諷は起き上がり、息をつく。
「追うぞ」
紅琵は言って、町の中心部に向かった。
兆錠を見失ってしまったので、彼等は町の中心部のメクロメのところに来てた。
あの様子から、紅琵は兆錠がメクロメと接触したと確信していたのだ。
「……早紗!」
悠が、巨木の傍の土から盛り上がった根を抱くようにして倒れている少女を発見して駆け寄った。
「……悠か。無事か?」
薄目を開けて、早紗が口にした。
「早紗こそだよ! 大丈夫!?」
「ああ。あたしはちょっと疲れただけだ」
一瞬、目が鋭くなる。
麻諷と紅琵を見たのだ。
しかし、そうとみとめると、すぐに表情は戻る。
ぐにゃりと、不自然な動きで立ち上がり、悠の頭に手をやる。
「良くここがわかったな」
「紅琵がね、ここだって」
「なるほど」
「……で、このメクロメだが」
言ったのはその紅琵だった。
「一気に枯れた様子になったな」
巨木を見上げる。
一見、以前と変わらない。
だが、光りや蝶といった生命力が感じられない。
カムロも姿をみせていたなかった。
「中身を奪われた。残ったのは根の命と、残気としてのあたしそのものだけだ」
早紗は紅琵らに向き直った。
「中身とは、町の中央演算機としての能力か?」
聞かれ、うなづく。
紅琵は巨木を見上げながらサングラスの縁から早紗に目をやる。
「……ということは、今、メクロメに代わる中央演算機は、おまえか、早紗」
悠が驚いた顔で早紗を見た。
彼女は無表情さを崩さないまま、そのとおり、と答える。
「なら、龍が昇るとか言う話もまた意味が変わってくるな」
「どこからその話を?」
「ここに来る前に。その噂を聞いてやってきた」
「何者だ、あんたたちは?」
紅琵はニヤリとした。
「化け物だよ」
「また、そういう……」
麻諷が小さな溜め息をついた。
「ただ、わかっているのは、君たちの味方をする化け物ということだ」
「この町から見たらでしょ?」
麻諷が訂正しようとする。
「どっちにしろ変わらないだろう?」
紅琵は解電子タバコの煙を吐く。
「確かにあたしたちからしたら、化け物だ」
淡々と、早紗は納得した。
「化け物、ねぇ……」
悠は二人に意味深な目を向け、内心楽しがっているようだった。
彼には紅琵の自虐さと、麻諷の気楽さが透けて見えるのだ。
「どうでもいいが、ここにきて確信した。十三基めの衛星は火気を持っている。そこから水気が煮立てられ、木気に巡る。全てが昇るというわけか。まぁ、もう、その意図は達せられないだろうが」
「あー、どういうこと?」
麻諷が冷静に尋ねる。
「五行だ。その論理を使ってこのメクロメは動いていた。だが、すでに木気が無い。これから全ての話は、そこの早紗を中心に始まるだろうよ。雷公は金気。これはメクロメがもっていたネットワークの力だ。兆錠とかいう奴が、使っていた。どう当てはまるのか……」
「湿気が酷いのと関係ある?」
「あるな。木気は弱っていたらしい。金気にやられたか。元々ネットワークに向いてないモノだったのかもしれないな」
「兆錠の名前も知っているのか」
早紗が確認するように言う。
「久鴨衆の名前は全て控えている」
何でもない事のように、紅琵は答えた。
然馬はジッポライターでタバコに火をつけた。
積築建造物の傍に車を寄せ、スーツ姿で道路の上に立ち、昼間の空を伺う。
一度、来た場所だった。
その時は、葉理について行って様子を伺っていた。
疑問は確信に変わった。
ここは、何らかの力が働くスポットで、それに従って動いている者がいる。
ショットガンをぶっ放すような。
然馬としては、葛葉会が町の制御をするのに未知数なものは潰しておきたかった。
「……中は廃墟でしたが、井戸を一つみつけました」
若い衆が駆け降りてきて、報告してくる。
「井戸?」
「はい。恐らく地下深く、地下衛星の軌道まで届く程掘られています」
「へぇ……」
渋い顔でタバコの煙を吸った然馬は、何度かうなづいた。
「全て壊して燃やせ」
「はい……」
然馬はそれが何かわかってはいなかった。
だが、不気味なものだというのは理解できた。
「ここに新しい出張所造ろうかねぇ」
建物に背を向け、つぶやく。
炎は悲鳴のように上がり、彼の姿を影の中に消した。
なんだか不安だった。
悠は新しい宿で、改めて三人をみる。
麻諷はなんだか軽い感じがする、能天気。
早紗は距離が近いが、いまいち感情が読みずらい。
そして、紅琵だ。
いま彼は、浸透圧注射のようなものを自ら首に打ち、いすの上でまどろむようにしている。
多分何かの薬だ。
能力自体は認めるとして、今酩酊している状態は大人として最悪な人種な気がしている。
部屋に、黒い平べったいものがドアの隙間から入って来たのに気が付いた。
「キキド様……」
早紗がおや? という風に声を上げる。
「早紗よ、我らが神殿が焼かれた」
「……え?」
珍しく、早紗が驚きの表情を浮かべた。
『我々はあそこに根を張って居た。このままでは存在が限りあることになる。それで、我々をおまえに受け取ってほしいのだ』
「それは……」
早紗は戸惑いながら、影の側に来た。
キキドは早紗の腕に巻き付いてきた。
そのまま、沈むように黒いものが彼女の肌の中に消えてゆく。
早紗はその時、様々な光景を直接見た感覚に襲われた。
まるで情緒をかき乱される思いだ。
懐かしく、痛く、悲しい。
「早紗……?」
悠が心配げな声を掛けて来た。
彼女は涙を流していた。
「え……あれ……?」
何か大事なものを手にしたかのようだった。
だが次の瞬間には早紗は泣き崩れていた。
表に出したことのない感情というものが、この時、彼女にあふれでていた。
同時に、キキドに従っていたゆえの「祟り神」としての立場から、早紗は解放されたのだった。
早紗は歐木町にある井戸の神を祀る家に住んでいた。
いつの頃かは記憶にない。
思いだせば、その井戸は奇気井戸といったはずだ。
町の人々からは「ききど」と呼ばれていた。
かつての歐木町独自の信仰対象だった。
それは時代を経て、サテライト・コミューンとしての衛星へ情報伝達する拠点ともなっていた。
だが時代が過ぎ、衛星伝達の主体はメクロメに移っていっていた。
メクロメ主流派から「祟り子」と呼ばれたのはその時からだった。
そして、祀る家からとうとう早紗の姿も消えた。
祟り子として、彼女は時々町に姿を現しては凶兆の記しと言われた。
無表情で無感動な少女が黙って現れるのだ。
いつしか、彼女は感情を無くしていた。
悠に距離感が近かったのは、彼が「死んだ」ことと関係があった。
仲間意識というものだ。
しかし、それとは少し違うかもしれない。
まだ、自身よくわかっていない。
再び感情を手に入れた早紗は戸惑った。
情緒が多少不安定になったからだ。
不安げに、紅琵らと共にいる。
彼女は蘇ったのだ。




