第8話
パキィィィィンッ!!
甲高い破壊音と共に、銀色の腕輪が砕け散った。
その瞬間、せき止められていた奔流が、決壊したダムのように、わたくしの内から溢れ出した。
「ぐっ……あああああああああああっ!」
全身の血管が焼き切れるような、凄まじい熱。
視界が、真っ白に染まる。
魂ごと引き裂かれるような激痛に、思わず叫び声が上がった。
これが、溜め込まれていた『澱み』。
腕輪によって歪められ、凝縮された、負の魔力の塊だ。
(ダメ……! このままじゃ、暴走して……!)
意識が、遠のいていく。
小鳥を殺してしまった、あの日の絶望が、脳裏をよぎった。
――その、時だった。
『思い出せ』
凛とした、声が聞こえた。
カイゼル辺境伯の声だ。
『お前の力は、破壊ではない』
そうだ。
彼の言葉を、信じる。
あの小さな新芽を、思い出すんだ。
『浄化』と『創造』。
穢れを祓い、生命を育む力。
わたくしは、遠のきかける意識の糸を、必死でたぐり寄せた。
暴れ狂う魔力の奔流に、ただ一つの『祈り』を乗せる。
(どうか……この穢れを、祓いたまえ)
(どうか……この地に、安らぎを)
(どうか……あの人を、守りたまえ)
祈りは、光となった。
わたくしの体から溢れ出した黒い魔力の靄は、天高く昇ると、まるで夜空を覆う暗雲のように、王都の上空に広がった。
人々が、魔物さえもが、不気味なその光景に動きを止め、空を見上げる。
やがて、その黒い雲の中心から、一筋の、まばゆい黄金の光が差し込んだ。
光は、瞬く間に暗雲を浄化していく。
黒が、白へ。
絶望が、希望へ。
まるで、夜明けのように。
そして、完全に浄化された光は、慈愛に満ちた雨となって、王都へと降り注いだ。
光の雨に触れた魔物たちは、断末魔の叫びを上げる間もなく、そのおぞましい体を霧散させ、土へと還っていく。
傷つき、倒れていた人々は、その傷がみるみるうちに癒えていく奇跡に、目を見開いた。
破壊された建物は、まるで時が巻き戻るかのように、元の姿を取り戻していく。
それは、まさしく神話の一場面。
かつて文献に記された、『生命樹の巫女』がもたらすという、『浄化』と『創造』の奇跡そのものだった。
広場の中心で、剣を構えていたカイゼル辺境伯が、空を見上げている。
その蒼氷の瞳が、バルコニーに立つわたくしの姿を、確かに捉えたのが分かった。
彼の唇が、驚きに微かに開かれている。
(……ああ、よかった)
彼の無事を確認できた安堵感に、全身の力が抜けていく。
わたくしを苛んでいた激痛は、もう感じない。
ただ、ひどく、眠かった。
視界の端で、王城の一室が炎上するのが見えた。
イザベラがいた部屋だろうか。
おそらく、彼女は自らが操っていた魔力を制御できなくなり、その力に飲み込まれたのだろう。
悪意は、悪意によって滅びる。
それが、世界の理。
(これで、終わり……)
意識が、完全に途切れようとする。
砕け散った腕輪の代わりに、左手首には、光るアザのような紋様が浮かび上がっていた。
それは、まるで若葉が絡みつくような、美しい文様だった。
薄れゆく意識の中、誰かが、風のように階段を駆け上がってくる音が聞こえた。
そして、荒々しくバルコニーの扉が開かれる。
「――クラウディアッ!」
わたくしの名を叫ぶ、焦燥に満ちた、彼の声。
その声に導かれるように、わたくしの体は、ゆっくりと後ろへ傾いていった。
最後に見たのは、必死の形相でこちらに手を伸ばす、カイゼル辺境伯の姿だった。
彼のあんな顔は、初めて見た。
その腕に抱き留められる直前で、わたくしの意識は、完全に闇の中へと落ちていった。




