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第5話

修道院へ送られる日が、刻一刻と迫っていた。

わたくしは実質的に屋敷に軟禁され、誰と会うことも許されなかった。

あの二人組の訪問以来、使用人たちの態度はさらに冷たくなり、まるで汚物でも見るかのような視線を向けられる。


(このまま、静かに消えていくのが、わたくしの運命なのかしら)


諦めの気持ちが、再び胸を覆い尽くそうとしていた。

カイゼル辺境伯がくれた本と、あの言葉だけが、暗闇の中の唯一の光だった。


そんなある日の午後。

固く閉ざされていたはずの部屋の扉が、突然開かれた。

立っていたのは、父の腹心の執事だった。彼は、苦虫を噛み潰したような顔で、こう告げた。


「……リントヴルム辺境伯様が、お嬢様との面会を強く求めておられます。旦那様も、断りきれなかったご様子で……」


カイゼル辺境伯が? この屋敷に?

驚きで声も出ないわたくしを、執事は応接室へと促した。


通された部屋には、窓からの光を背に、黒い軍服姿の彼が立っていた。

数日ぶりに見るその姿は、相変わらず氷のように冷たく、美しい。


「……辺境伯様。一体、どのようなご用件で……」


「散歩に行こう」


「へ?」


わたくしの問いを遮り、彼は端的にそう言った。

あまりに予想外の言葉に、間の抜けた声が出てしまう。


「しかし、わたくしは父から外出を禁じられて……」


「許可は取った」


有無を言わせぬ口調だった。

父が、あの頑固な父が、彼の要求を呑んだというのか。

それだけ、カイゼル辺境伯の威光が、この国で絶大なものであるということなのだろう。


わけが分からないまま、わたくしは彼に連れられて、屋敷の外に出た。

用意されていたのは、華美な装飾のない、実用的な黒塗りの馬車だった。


馬車に揺られながら、わたくしは思い切って尋ねてみた。

「あの……なぜ、わたくしに本を?」


「……お前が、それを必要としているように見えたからだ」


彼は窓の外に視線を向けたまま、ぽつりと答えた。


「あの腕輪は、本来のお前の力を歪めている。あれは、お前の魔力を霧散させているのではない。無理やり捻じ曲げ、澱ませ、いずれお前の魂そのものを汚染するだろう。まるで、清流を堰き止め、腐らせるように」


彼の言葉は、わたくしが本を読んで理解した事実そのものだった。

やはり、彼はすべてを知っていたのだ。


「……わたくしの力は、不吉なものです。大切なものを、壊してしまう……」


思わず、弱音がこぼれた。

小鳥を殺してしまった、あの日の記憶が蘇る。


すると、カイゼル辺境伯は、初めてまっすぐにわたくしの方を向いた。

その蒼氷の瞳は、不思議なほど穏やかだった。


「力そのものに、善悪はない」


静かな、けれど、有無を言わせぬ力強い声だった。


「ナイフが、料理人の手にあれば命を育む糧を作り、暗殺者の手にあれば命を奪う道具となる。火が、暖を取り、闇を照らす一方で、すべてを焼き尽くす災厄にもなる。……お前の力も、同じだ」


「…………」


「問題は、力の在り方ではなく、その使い方を知っているかどうか。そして、その心を、どう制御するかだ。お前は、そのどちらも教わってこなかった。ただ、蓋をされ、恐れられてきただけだ」


それは、今まで誰にも言われたことのない言葉だった。

まるで、固く閉ざされていた心の扉を、優しく開いてくれるような。

知らず、目に涙が滲んでいた。


馬車が着いたのは、王立図書館だった。

彼はわたくしを連れて、一般の閲覧室ではなく、特別な許可がなければ入れない古文書の保管室へと向かった。


そこには、埃を被った膨大な書物が、天井まで続く棚にびっしりと並んでいた。

彼は迷うことなく、ある一角へ進むと、数冊の本を取り出した。


「ヴァインベルク伯爵家の血筋は、古くは『生命樹の巫女』と呼ばれた一族に連なる。その魔力は、破壊や攻撃のためではなく、穢れを祓い、生命を育む『浄化』と『創造』の力だと、古い文献には記されている」


彼は、一冊の本を開いて見せた。

そこに描かれていたのは、光り輝く大樹のもとで、両手を広げる女性の姿。その手からは、まばゆい光の粒子が溢れ出し、周囲の草木を生き生きとさせている様子が描かれていた。


「お前が小鳥を殺したのは、力が暴走したからではない。歪められた力の流れが、浄化の力を、対象の存在そのものを消し去るほどの、過剰な奔流に変えてしまったからだ」


「……!」


つまり、わたくしのせいではなかったと?

力が不吉だったからではなく、腕輪によって歪められていたから?


「信じ……られません……」


「ならば、試してみるか?」


カイゼル辺境伯はそう言うと、窓際に置かれていた、枯れかけた鉢植えを指さした。


「腕輪に意識を集中しろ。そして、澱んだ魔力の流れを、無理やり腕輪の外……その鉢植えに向かって放出するイメージを描け」


言われるがまま、わたくしは鉢植えに手をかざし、目を閉じた。

腕輪に絡みつく、よどんで重たい魔力の感覚。

それを、必死に指先へと送る。


すると、どうだろう。

指先から、黒い靄のようなものが、ふわりと流れ出た。

その靄が鉢植えに触れた瞬間、枯れていたはずの葉が、みるみるうちに黒く変色し、ボロボロと崩れ落ちて、塵になってしまった。


「……あ……!」


やはり、わたくしの力は、何かを壊すことしか……!

絶望に顔を覆ったわたくしに、彼は静かに言った。


「よく見ろ」


おそるおそる目を開けると、塵と化した葉の下から、小さな、本当に小さな、緑色の新芽が顔を出しているのが見えた。


「……これは……」


「お前の内に溜まっていた『澱み』を排出しただけだ。そして、澱みが消えた土からは、新たな命が芽吹く。……それこそが、お前の力の、本来の姿だ」


小さな、けれど力強い生命の輝き。

わたくしは、その新芽から目が離せなかった。

涙が、頬を伝って、ぽとりと床に落ちた。


帰り際、馬車の中で、彼はぽつりと言った。

「近頃、北の国境付近で、魔物の動きが活発になっている。原因不明の、不穏な気配がする」


その蒼氷の瞳には、先ほどまでの穏やかさとは違う、鋭い光が宿っていた。

それは、これから訪れるであろう嵐の前の静けさを、確かに予感させるものだった。

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