第二幕 不穏な足音
――ザザァァ……。
耳の奥に、波の音が入り込んでくる。
瞼を開けると、目の前に広がっていたのは薄灰色の空と、無数の白波だった。
「……っ」
体を起こそうとすると、全身の関節が軋むように痛んだ。服はびしょ濡れで、髪から海水が滴り落ちる。砂浜は冷たく、湿って重たい空気が肺に入るたび、ひゅう、と喉が鳴った。
ここは――どこだ?
周囲を見渡す。後ろには断崖絶壁のような岩場が連なり、海側には小さな湾が見える。
そこに、見慣れない船が何隻も停泊していた。木造で、帆には見たことのない紋章が描かれている。
「おい! 貴様、何者だ!」
低く荒い声に振り向くと、鉄兜をかぶった男が二人、こちらに近づいてきていた。
手には槍。鎧の金属音が、砂の上に響く。
「えっと……」声を出そうとしたが、彼らが何を言っているのか分からない。
どうやら日本語ではない。異国の言葉だ。
混乱して立ち上がると、腕を掴まれ、強引に引き立てられた。
彼らは俺を台車に乗せ、どこかへ連行し始めた。
町は灰色の石畳が敷かれ、木造の家々が並んでいる。市場らしき場所では人々が魚や干し肉を売っていたが、表情は暗い。道の端では、鎧姿の兵士がじっと見張っている。
空気はどこか重く、笑い声ひとつ聞こえない。
「ここ……本当に日本か?」
自分でも呆れたような声が漏れる。
たどり着いたのは港町から離れた軍の野営地テントだった。中で待っていたのは長い金髪を束ねた女だった。
白い軍服を身にまとい、腰には細身の剣。
「……この者が異様な服装をした不審者か?」
流暢で澄んだ声が響く。俺には理解できない言葉だったが、不思議と視線の鋭さだけは伝わる。
鉄兜の兵士が答えると、彼女はゆっくりこちらへ歩み寄った。
「名は?」
問いかけられても、俺は言葉が分からず黙り込む。
「……通じないか」女は小さくため息をつき、淡く微笑んだ。
「私の名はエリナ。帝国の騎士団長を任されている。君は……どこから来たの?」
その声音は柔らかいのに、瞳だけは油断の色を見せない。
俺が口ごもっていると、エリナは兵士たちに何かを命じた。
――その時、外から爆発音が響いた。
ドンッ! と建物の窓ガラスが揺れる。
兵士たちが一斉に外へ駆け出す。エリナも眉をひそめた。
「……獣王国の軍か。厄介な時に来たものね」
俺は椅子に座ったまま、何もできない。
ただ、胸の奥に重く沈む感覚だけがあった。
――俺は、完全に別の世界の戦争の中に放り込まれてしまったのだ。