(8)
初めてのダンス練習を終えた放課後、学院祭の開式でおこなう演舞についての話し合いがようやくまとまり、出席者が帰り支度を始める。会議内容を書き込んだ紙を卓上でそろえていたリリーは、隣から漏れてきた何度目かのため息に苦笑した。
「エラルド、いいかげん気持ちを切り替えようよ」
「……だってさ、まさかソールが行くなんて思わなかったから」
相手がソールじゃ勝ち目はないし、とエラルドが机に突っ伏して愚痴をこぼす。板書を消していたレオンが肩越しにかえりみた。
「ソールはエラルドの恋敵になるつもりはないと思うよ。フォルマだってソールのことは冒険仲間としか見てないし」
それに恋敵ならもっと強敵がいるから、というレオンのつぶやきは聞こえなかったらしく、エラルドががばっと顔を上げた。
「じゃあなんでフォルマを誘ったんだ? リリーだってソールと仲がいいんだから、リリーに声をかければよかったのに」
気にしていたことをずばり指摘され、リリーはへこんだ。自分だって本当はソールが来てくれないかと期待していたので、二人が組んだことにがっかりしたのだ。
「危険を回避したんだよ。あそこでリリーに行けば、ややこしいことになるから」
「まあ、そうね」
レオンの意見にセピアも賛同する。エラルドは「危険って何だよ」と眉間にしわを寄せた。
「僕がリリーと組むのは問題ないのに、ソールはだめなのか?」
「エラルドのことはたぶん眼中にないからね。負ける心配がないっていうか」
「お前、さらっとひどいことを言ってるぞ」とルテウスがレオンに突っ込む。
「じゃあ表現を変えよう。エラルドは優秀だけど、リリーとお互いにその気がないのが明白だから、脅威にはならないと判断されている」
「さっぱりわからないんだけど」とエラルドはますます渋面した。
「いっそ、先生が決めてくれてもよかったのにね。あの親子が恋愛について語り合っている構図はちょっと想像しにくいけど、あの先生なら子供の気持ちに気づいてるかも」
教官の指示なら文句をつけられないだろうというレオンに、ルテウスは「職権乱用だ」とあきれ顔になった。
「そもそも、大事なのは最初じゃなく最後のダンスのほうでしょ」とセピアが議事録に紙を閉じて立ち上がる。
「それはそうなんだけどさ」とエラルドはむくれた。
「フォルマ、モテるし」
「少なくとも、次回から女の子の相手はしないんだから、かなり減るんじゃないかな」
「今日、すごかったもんね。フォルマが女子に人気なのは知ってたけど、あそこまでとはね」
セピアが肩をすくめる。
「キルに群がる男子とどっちが多かったんだろうね」
「フォルマは困惑してたが、あいつはそれを楽しんでただろうが」
にやりとするレオンに、俺には理解できんとルテウスがぼやく。
会議用に形を変えていた机を全員で元通りの位置に戻し、教室を出る。リリーもセピアとともに帰ろうとしたところで、エラルドに袖を引かれた。
「ちょっと話があるんだけど、いい?」
「時間かかる?」
「かかるかもしれないし、かからないかもしれない」
リリーは首をかしげ、セピアと別れてエラルドと向き合った。
「ソールに、相手を替えてくれないか交渉したい。リリーが嫌なわけじゃないよ。でも僕はやっぱり、フォルマと踊りたい」
「それは別にかまわないけど、どうしてそんなに最初のダンスにこだわるの?」
「今日の練習でわかったんだ。フォルマは最初に捕まえておかないと踊る機会を得られない」
武闘学科生や女の子の集団に押され、エラルドは一度もフォルマに近づけなかったという。
「これからダンスの練習は何回もあるし、どこかでは踊れると思うけど」
「リリーだってずっと囲まれてたじゃないか。君の場合、今日は顔見知りと踊るって先に宣言してたから、休憩時間終了時に運よく声をかけられたけど、フォルマは入る余地がまったくなかった」
確かに、異性だけでも身動きが取れなくなるのに、両方から寄ってこられれば断るだけでも大変だ。
「次からは女性役をすると言っても、交流戦後の舞踏会はスクルプトーリスの男子も絶対に来るだろう? だから、最初のダンスのときに最後のダンスの申し込みができるようにしておきたいんだ」
「……エラルドって、本当にフォルマが好きなんだね」
好機を逃したくないという意気込みにリリーは感心した。
「うん。でもフォルマは……他に好きな人がいるみたいだ」
時々すごく遠い目をしているから、とエラルドは視線を落とした。
「今日ソールがフォルマを誘ったから、最初はソールなのかとあせったけど、レオンの話を聞くかぎり、違うっぽいな」
フォルマの想い人が誰なのかは知らないが、たとえ望みが薄くても舞踏会の最後のダンスでフォルマに告白したいというエラルドに、リリーはうなずいた。
「いいよ。じゃあ、ソールに相談してみて」
「リリーは一緒に行かないのか?」
「私は……隠れて見てるから」
エラルドと連れ立ってソールに突撃するのが何となくためらわれ、リリーは弱々しく笑った。
今日、武闘学科生は交流戦の作戦会議をしている。部屋の明かりはついているのでまだ終わっていないようだ。そこで二人は生徒用玄関でソールを待ち伏せることにした。
まもなく、武闘学科の代表と副代表が階段を下りてきた。ソールはカルパと一緒に歩いている。
エラルドがソールを呼びとめて生徒会室の前まで引っ張ってくる。リリーは曲がり角に身を潜め、エラルドの提案を聞いた。
「断る」というかたい響きに、リリーの心臓がドクンと大きく鳴った。
「え、でもソール、リリーと仲いいのに」
まさか拒まれるとは予想していなかったのか、エラルドの口調にも動揺がにじんでいる。
「お前がどうしてもフォルマと踊りたいなら譲るが、それなら俺は教養学科の副代表に頼みにいく」
激しい動悸に気分が悪くなってきた。まるでほてりと寒気が同時に来たような感覚に、リリーは胸元をぎゅっとつかんだ。
「どうあってもリリーと踊る気はないのか?」
「ない」
即答だった。
ぐらりとよろめくのをどうにか踏ん張ったものの、キュッと靴音が漏れた。
「あ……」とエラルドがつぶやいたことで、リリーがいることにソールも気づいたようだった。
「いるならいると――」
エラルドを責めかけてやめたソールがきびすを返す気配がした。壁に手をついてのぞくと、ソールが去っていく姿が見えた。
「リリー」
エラルドの遠慮がちな制止の声を振り切って、リリーはソールを追いかけた。
「待って、ソール!」
生徒用玄関を抜けたところで、ソールの足がとまる。しかしソールはふり向かなかった。
こんな――こんなことは今までなかった。呼べばいつも自分を見てくれたのに。
「あの……ごめんなさい。私、気づいてなくて……何か気にさわることをした、かな……」
「……別に、そういうわけじゃない」
「でも」
「本当に何でもないんだ」
ソールが額に手を当ててため息をつく。
リリーは奥歯をかみしめた。そうしないと、頬が痙攣して歯がカチカチ鳴ってしまう。
「もしかして、迷惑だった?」
「だから――」
ようやくソールがかえりみる。その黄赤色の瞳には怒りも拒絶もなかった。ただ、苦悶の色に染まっている。
嫌われているわけではないのか。でもそれなら、どうして――。
「お前とは、一緒に冒険するだけの仲間として付き合っていきたいんだ」
「……特別じゃなく?」
返された言葉にリリーは食いついた。もうとまらなかった。
「それ以上を望んじゃだめなの?」
ソールが目をみはる。その口が何か言おうと開くのを待たず、リリーは告げた。
「ソールが好きなの」
双眸が一瞬喜びに揺らめいたように見えたのは、気のせいだろうか。自分の願望だったのか。
うつむいたソールが次に顔を上げたとき、そこにあったのはひどくつらそうな、暗い表情だった。
「――――ごめん」
ソールが背を向ける。そのまま足早に去る後ろ姿を見送るうちに、視界がぼやけてきた。
立っているのがやっとだった。ぽっかりと大きな穴があいた胸をふさぐ気力もなく、どこをどう通って帰ったかも記憶にない。
ただ、出迎えた母を見て、消失したはずの感情が一気にまた凝縮してせり上がり、爆発した。ほとんど背丈が変わらない小柄な母のぬくもりに刺激され、後から後から涙がこぼれる。
失恋したのだと認めるまでの時間が、はてしなく思えた。
羽音に目が覚めた。目元全体を覆う布で顔が濡れている。
絶対に腫れてしまうからと、寝る前に冷たい水に浸した布をあてたのを思い出しながら、リリーはのろのろと体を起こした。
「……おはよう、クルス」
部屋の止まり木にいるハヤブサに挨拶すると、クルスは小さく鳴いた。
寝台を下り、まず卓上の鏡に顔を映す。やはり目は腫れていたが、多少なりとも冷やした効果か、どうにかごまかせる程度でおさまっていた。
泣きすぎて頭が痛い。そのせいで泣いた理由が嫌でもよみがえり、また鼻の頭がツンとした。
「リリー、起きてる?」
控えめに扉がたたかれ、母が顔をのぞかせる。立っているリリーに近寄った母は、薄緑色の瞳を揺らした。
「無理しないで、今日は家でゆっくりしてもいいのよ」
母の優しいいたわりに、リリーはかぶりを振った。
「学院祭の演舞の練習も始まるし……大丈夫だよ」
強がりだと母も気づいている。それでも母は「そう」と静かに微笑み、朝食の用意をしに下りていった。
今日は噛みごたえのあるおかずではなく、食欲がなくても食べられそうなのどごしのいいものが並んでいた。父や自分から見れば少し大ざっぱで肝心なところが抜けている母だが、こういうときは外さない。おしゃべりなのにうるさいと感じないのも、疲れていたり心が弱っているときはそっと寄り添い見守ってくれるからだ。
昔は騒々しいのが苦手だったと言っていた父が、大勢でにぎやかに過ごすことを好む母に惹かれて手放さなかった理由がわかる気がする。
そばにいると、いつの間にか元気をもらえるのだ。下火になった活力を自然と復活させるのは、母にしか使えない法術のようなものかもしれない。
「お弁当はどうする?」
「今日は半分くらいでお願い」
リリーが朝食を口にしている間に、母が手早く弁当を詰めていく。やはりリリーの好物の中でも飲み込みやすいもので、しかもちょっとした飾りも入れていた。こういうときに遊び心を発揮してくれる母になごみ、深く沈んでいた気分が少し浮上した。
一度送り出すと決めたら、母はよけいな世話は焼かない。だからといって目を離しているわけではなく、ちゃんと自分の顔色を見ているのがわかるから、リリーは最後にぎゅっと母に抱き着いて「行ってきます」と家を出た。
「リリー、もしかして体調でも悪いの?」
会うなり聞いてきたセピアに「昨日、ちょっと夜更かししちゃって」とリリーは答えた。オルトも「無理するなよ」と眉をひそめたので、ごまかし笑いを返す。
きっとレオンたちも様子がおかしいことに気づくだろう。でも、昨日の今日すぐ報告するにはまだ心の準備ができていなかった。
もう少し――気持ちが吹っ切れるまでとなると難しいかもしれないけれど、今より冷静に話せるようになったら伝えよう。
「あ、ソール!」
学院の正門をくぐったところで、背後をかえりみたセピアが手を振り、リリーはびくりとこわばった。
だめだ。朝からソールに対して何ともない顔などできない。
緊張に息苦しくなり、耐えきれず先に行こうとしたリリーに、後ろからキルクルスが体当たりしてきた。
「おはよう、リリー! ごめん、今日提出の課題を家に忘れてきちゃってさ。見せてくれない?」
「あ、うん……」
「やった。じゃあ行こうっ」
キルクルスにぐいぐい引っ張られ、足がもつれそうになりながら中央棟へ向かう。何だかいつも以上に強引に見えるのは気のせいだろうか。
追及もしてこない。視線があったとき、キルクルスも何か感じたはずなのにと不思議に思いつつ、その場を離れられたことにリリーはほっとした。
学院祭の演舞の練習は授業をつぶして午前中におこなわれた。まずは配置と基本的な流れの確認、そして専攻ごとに分かれて細かい振り付けを考えた。これからしばらくは毎日、演舞とダンスの練習のどちらかをやっていくことになる。
風の法専攻生は人数が少ないので、他の専攻と違ってさぼっているとすぐばれるが、意見交換はしやすいし、できる人ができない人の面倒を付きっきりで見ることができるのは利点だった。
どう動くかたくさん提案したのはキルクルスで、実際によさそうなものも多かったので、リリーたちはひとまずそれを受け入れて踊ってみた。後は実際に他の専攻とあわせて修正していくことになる。
時間が過ぎるのはあっという間で、すぐ昼休憩になった。終わってから代表と副代表が集まって進行具合の報告をしたが、どこもそこそこ順調で、これなら比較的早い段階であわせられそうだとセピアたちも喜んだ。
「リリー、その……昨日はごめん」
解散になったところで、エラルドがこそりと話しかけてきた。
「僕がよけいなことを持ちかけたせいで……まさかあんなことになるなんて思わなくて」
「……エラルドが悪いわけじゃないよ」
「でも……」
「フォルマと踊りたいならそのまま交渉を続けてね。私は、相手が誰になってもかまわないから」
「リリー」
「この話はもうやめてほしいな」
うまく笑えたかどうか自信はない。それでもリリーはこれ以上聞きたくなかったので、痛ましげな目を向けてくるエラルドのもとを去った。
昼食は、忙しいからとセピアたちに断って、風の神の礼拝堂で一人で食べた。食欲はなかったが、せっかく気をきかせてくれた母に申し訳ないので、頑張ってたいらげた。
学院祭の準備が多いのは助かった。練習に没頭していれば、少なくともその時間は気が紛れる。食べ終わってからもそのまま礼拝堂で過ごし、昼休憩が終わる頃にようやく中央棟に戻ったリリーは、剣専攻三回生副代表のシュイ・レーベンに声をかけられた。
交流戦で、先鋒隊に付き添う風の法専攻生としてリリーが候補にあがったので引き受けてくれないかという誘いだった。隊長はシュイ、副隊長はランセ・キュールに内定しているらしい。
副隊長はリリーの知らない人物だった。聞くと、模擬戦で剣専攻の本陣を攻めた槍専攻副代表だという。
「先鋒隊に副代表が二人入るんですか?」
上位層は各隊をまとめるため一番に所属を分けると思っていたリリーは驚いた。
「普通はあまりないな。でもゲミノールムはずっと負け続きで、今年こそは勝利の旗を持ち帰りたいってみんな意気込んでて、先鋒隊を強化して敵を崩す作戦を試してみることにしたんだ」
名称は先鋒隊だが、その実体は戦況に応じて走り回る精鋭部隊だとシュイは答えた。
「私で大丈夫ですか?」
それほど重要な隊なら、戦を経験している上級生に任せたほうがいいのではと不安を口にしたリリーに、シュイは笑った。
「むしろリリーじゃないと無理だって」
作戦会議中、リリーの配属先をめぐって紛糾したという。模擬戦の華々しい活躍を見て、どの隊も欲しがったからだ。その争いを制したのはシュイだった。自分たちの機動力についてこられるのはリリーしかいないと、総大将のザオムと大喧嘩になりながらも皆を説得したのだ。
「かなりの強行軍を覚悟してもらわないといけないが、そのきつさに耐えられる優秀な奴を集める。だから協力してくれないか?」
先鋒隊といえば父と母がともに戦った隊だ。父と同じ役を担うことになるが、経験不足な身でどこまでうまく立ち回れるかわからない。それでも興味はわいた。
「自信はないけど……やってみます」
「ありがとう、リリー!」
シュイが満面に笑みを広げてリリーの両手をにぎりしめ、ぶんぶん振る。あまりの浮かれぶりにリリーは苦笑した。
「今日募集をかけたんだが、すでにすごい数の志願者が来てるんだ。ただ、できれば風の神の守護を受ける者で構成したいと考えてる。ああ、一人は確定してるぞ。俺に隊長をさせたら自分が心労でへたりそうだから、その自分を補佐する奴が欲しいってランセが先に引っ張り込んだんだ」
俺に対して失礼だよなとちょっとふてくされてから、シュイは「ソールだ」と漏らした。
鼓動が大きく脈打つ。
その可能性が頭から飛んでいた。ソールの守護神も風の神だったのに。
「あ、あの……私、やっぱり……」
「じゃあ、リリー。頼むな。隊の振り分けが決まったら隊ごとに集まるから、また連絡する」
シュイが片手を挙げて走り去る。リリーは呆然と立ちつくした。
どうしよう。
ソールと同じ隊で、平然としていられるだろうか。
交流戦までまだ日にちはあるし、つらい記憶もじきに薄れるはずだ。でもすぐに捨てられるほど軽い気持ちではなかったから、自分が考えるよりずっと時間がかかるかもしれない。
なぜ告白してしまったのだろうと、今になってリリーは後悔した。ソールは最初から自分と踊る気はなかった。相手にフォルマを選んだことで予想できたのに。
ごめんと言ったソールはひどく苦しそうだった。振る相手をも慮る人を勢いで追い詰めてしまった自分の馬鹿さかげんにも、リリーはへこんだ。
戻れるなら戻りたい。想いを伝える前の時間に。
弁当を入れた袋を胸に抱き、リリーはとぼとぼと歩きだした。
放課後、最後の授業があった神法学教室で、リリーは一人残り、座っていた窓際の机に突っ伏した。
休み時間もソールにばったり出くわしはしないかとずっとびくびくしていたので、ひどく疲れてしまった。セピアたちも今日は何とかごまかせたが、そのうちばれるに違いない。
早く家に帰ってゆっくりしたい。でも腰を上げる気力がない。
やはり今日は休めばよかったなとため息をついたとき、誰かが教室に入ってくる気配がした。
キルクルスだった。
「リリーは用事があって先に帰ったよと、セピアたちには伝えたから」
そばに寄ってきたキルクルスが静かに微笑む。いつもはしゃぐような明るさで人を振り回すのに、こんな笑い方もするのかとリリーは初めて知った。
「泣きたりないなら、我慢しなくていいんだよ」
隣に並べた椅子に座ったキルクルスの言葉に、胸がぶわっと熱くなった。
「キル……どうして」
「僕だってリリーのことはよく見てるから」
温かい口調に涙腺が刺激される。リリーはうつむき、唇を引き結んだ。法衣をにぎりしめる手が震えはじめる。
「今日一日、よく頑張ったね」
こらえきれなかった。ヒクッとのどが鳴り、嗚咽がとまらなくなった。
それでも何とか抑えようと歯をくいしばるリリーの肩を、キルクルスがそっと抱き寄せた。
「……キル……私ね……ソールに振られちゃった」
母以外には話さなかったことがするりと口からこぼれる。
「もしかしたら両想いかもって、ちょっと期待してたんだけど……勘違いだったみたい」
ソールは誰に対しても優しいから誤解していたと打ち明けるリリーに、キルクルスは何度もうなずいた。
「リリー、もうソールなんかポイッて捨てちゃって僕にしなよ。僕なら君を泣かせたりしない」
顔をのぞき込んできたキルクルスは、てっきり冗談を言っているのかと思ったが、存外まじめな顔つきだった。
間近で見つめあう。薄茶色の瞳ににじむ不思議な色にリリーは見入った。
何色とも呼べない輝きは、敬畏の念をわき上がらせる。近寄るのが怖くて、でもすがりつきたくなるような吸引力に困惑したリリーに、ややあってキルクルスが眉尻を下げた。
「帰ろうか。歩ける?」
キルクルスの問いかけにこくりと首肯する。先に立ち上がったキルクルスに差し出された手を取ってリリーが腰を上げると、「このまま手をつないでいこうか」とにっこり笑われ、急に恥ずかしくなった。
「……それはやめとく」
「えー、どうして? 僕たちいつもべったべたにくっついてるのに」
キルクルスが口をとがらせる。確かにそうなのだが、なぜかキルクルスの想いが普段とは違う気がしたのだ。もっと大事な意味が込められているような――軽く流してはいけないようなものがあると。
「もう、リリーって本当に防御力高いよね。少しはなびいてくれるかと思ったのに」
一度むすっと曲げた口角をにっと上げ、キルクルスはリリーの腕をつかんで絡めた。
「帰りに寄り道しようよ。冷たい飲み物ならいけるでしょ」
朝と同じく強引に引きずられ、リリーはよろめいた。文句を言いかけ、思い直して微笑する。
「キルがおごってくれるならいいよ」
「しょうがないなあ。じゃあ、分け合いっこしよう」
「私が選んでいい?」
「もちろんだよ」
今度は本当に、自然と笑みがこぼれた。
キルクルスがいてよかった。自分の腕につかまってたわいない話をするキルクルスのぬくもりが心に染み入り、リリーは感謝した。
一方キルクルスは、教室を出て歩きながら、ちらりと背後に視線を投げた。隣の教室に隠れた複数人が息を殺していることに瞳をすがめ、リリーを連れて学院を出た。