(10)
今日の授業で使うものを袋に入れて背負ったソールは、卓上のお守りを一瞥した。
リリーの告白を拒んだ日から持ち歩くのはやめ、ずっと机に置いたままだ。すり切れて糸がほつれ、すっかりみすぼらしくなっているのに、まだ効果を発揮しそうなお守りは、贈り主と同じあたたかみを感じさせる。
いつも彼女が向けてくれていたやわらかい笑みをくもらせた自分に、これを所有する権利はない。それでも処分する気にはなれなかった。未練がましくても、これだけは手放したくない。
チチッと鳥籠の中で小鳥が囀る。リリーを好きかと問われ、好きじゃないと答えて以来、小鳥は人の言葉をいっさい話さなくなった。餌は普通に食べるし、籠の入口を開けてやると時々室内を飛び回る。そうしていると、ただの鳥にしか見えない。
「フォルマの鳥をカーフの谷に送り届けるとき、お前も一緒に連れていく。自力で帰れないなら、悪いがあと少しだけ我慢してくれ」
声をかけると、くすんだ緑色の小鳥はソールをじっと見つめた。しかしやはりしゃべることはない。
階下に下りて弁当も袋に入れる。待っていたカルパとともに家を出たソールは、昨日のことを考えた。
ダンスの練習時、大会堂にリリーの姿はなかった。聞こえてきた話によると、一度は顔を出したものの、気分が悪いと言ってすぐ治療室へ行ったらしい。
逃げたのだと嘲る者もいた。ソールに振られて、恥ずかしくて、いたたまれなくなったのだと。
まさか自分たちのことが噂になっているとは思わず、最初にカルパに問いただされたときは驚いた。どこから漏れたのかわからないが、リリーがすぐキルクルスに乗り換えたという悪口まで耳にしたときは怒りがわいた。
キルクルスは普段からリリーによく抱き着いているが、リリーのほうからというのは今まで一度もなかったはずだ。リリーはそんなふざけ方はしない。ただ、キルクルスがリリーをなぐさめたのは本当だろう。
「あのさ、昨日マイカに聞いたんだけど、例の噂を広めたのは教養学科の女子なんだって」
黙って歩いていたソールは、カルパの情報に眉をひそめた。
「教養学科?」
「前からリリーに嫌がらせをしてた連中が、キルクルスとリリーの会話を盗み聞きしたらしくて。セピアに報告したら、後は任せろって言ってた」
入学して間もない頃のことをソールは思い出した。たしか生徒会室の掲示板前で、黄玉の候補になっていたリリーに冷たい視線を突きつけていた女生徒たちがいた。リリーが泣きそうになっていたので、わざとぶつかって自分のせいにしたのだ。
あの頃のリリーは、ひどく気弱な態度だった。おとなしく、何もかもを飲み込んで我慢している姿が気になって、つい目で追ってしまっていた。
どう話しかけようか迷って機会をうかがっていたら、ルテウスとの騒動があり、やっとまともに言葉をかわすことができた。そこでリリーが法術を使えなくなった理由も知ったのだが。
神法学科に編入してすっかり明るくなったのに、自分が台無しにしてしまった。
もう二度とリリーに笑いかけてもらえることはないかもしれないと唇をかんだソールは、学院の正門をくぐったところで硬直した。前方に、セピアと並んで歩くリリーがいたのだ。
周囲の目はまだリリーにそそがれている。好奇と嘲笑と冷えたまなざしを存分に浴びるリリーが、つとふり返った。
緊張に呼吸をとめたソールをとらえる薄緑色の瞳が一度揺れ、それからやわらいだ。
「おはよう、ソール」
はっきりとしたあいさつが届く。今までと変わらない笑顔がそこにあった。
「リリー、おはよう」
立ちつくす自分の代わりにカルパが手を振る。小走りに寄ってきたリリーはカルパにもあいさつを返した後、まっすぐに自分を見た。
「ソール、先鋒隊入りが確定だって聞いたよ。私も誘われて入ることになりそうだから、もし決まったらよろしくね」
頑張ろうねと両のこぶしをにぎって微笑み、リリーがまたセピアのもとへ戻ったとき、キルクルスが後ろから来た。
「リリー、おはよーっ!」
「ちょっと、キル……!」
ぎゅうっと腕にしがみついたキルクルスの手をリリーがほどこうとぺちぺちたたく。それでもキルクルスは離れず、リリーはあきれるセピアとともにキルクルスを連れて中央棟へ歩き去った。
「ねえ、リリーがキルクルスを誘惑したって嘘じゃないの?」
「あの二人、いつもあんな感じだし……あったとしても逆だよね」
「ソールに振られたってのも作り話だったりして」
「やっぱりか。おかしいと思ったんだよ」
「最悪。誰の仕業だよ」
周辺でざわめきが起きている。リリーの様子がいつも通りに見えたせいで、噂の信憑性を疑う声がいくつもあがっていた。
「リリー、強いな」
隣でカルパがぽつりとこぼす。リリーがわざと皆の前で明るく振る舞ったことに、カルパも気づいたのだ。
間近にいたからわかった。必死に、自然な態度を取り繕おうとしていた。
(俺は何をやってるんだ……)
リリー一人に苦労させて、自分は手をこまぬいてばかりだ。
もっとできることはあるはずだ。たとえ想いを秘めたままでも、守る方法が。
晴れやかな青空をあおぎ、ソールは黄赤色の双眸を細めた。
昼休み、ソールは図書館に行った。課題用に借りた本を返却し、気晴らしに館内をふらりとする。ふと目についたのは植物学の書物が並べられた棚だった。
以前ここで、リリーが高い位置にある本を取ろうと背伸びをしていたことがあった。爪先立ちでぷるぷる震えていた後ろ姿も、代わりに取ってやったときの妙な悲鳴も可愛らしくて、つい吹き出してしまったのだ。
あのときリリーは何を探していただろうかと指を滑らせて書名を確かめていたソールは、反対側の棚から漏れてきたひそひそ声にはっとした。
「なんかリリー、もう普通に戻ってない?」
「昨日大会堂に来たときは真っ青になってて面白かったのに」
「オルトに送ってもらってなぐさめてもらったんでしょ。本当にむかつくわ」
「ソールのことだって本気じゃなかったんじゃない? でなきゃあんなすぐに話しかけられないよね」
「神経が図太いのよ」
「じゃあ、もっと過激な噂を流そうか」
「たとえば?」
「そうねえ……」
さらに小声になり、聞き取れなくなる。しかしそれまでの会話で十分だった。
「くだらない噂を流したのはお前たちか」
踏み込んだソールに、くすくす笑っていた生徒がひっとびくついた。
「ソ、ソール……」
そこにいたのは、模擬戦後の階段でリリーに嫌味を言っていた女生徒たちだった。
「あ、あの……私たちは別に……」
「自分たちがどれだけひどいことをしたと思っているんだ」
ソールが近づきねめつけると、相手は後ずさり、本棚に背をぶつけた。
「で、でも、見たのよ。リリーがキルクルスと抱き合ってて――」
「ソールに振られたって言ってたし」
「ねえ、ソールだってリリーのことは好きじゃないんでしょ? だから振ったのよね?」
「リリーって、ちょっとかわいいからって男子に甘えてばっかりだと思わない?」
「見境ないよね。私はモテるのよっていつも得意げだし」
「ソールにもオルトにもキルクルスにもすり寄って、みっともないったらないわ」
口々に言い募る女生徒たちにソールは我慢ならなくなった。自分に都合のいいことを並べ立てて非難するやり方がディックを連想させ、怒りが加速する。
「俺はリリーをそんなふうに思ったことは一度もない。なぜそこまで偏った見方ができるんだ? おかしな言いがかりでこれ以上あいつを貶めるな!!」
最後は怒鳴り声になり、館内に響き渡る。静かな場所だけに他の来館者も驚いたようで、何事かと人が集まりはじめた。
「うわあ、ソールがこんなに怒ってるの、初めて見たよ」
ひょこっと顔をのぞかせたレオンに続き、セピアとルテウスも現れる。
「ソールに先を越されちゃった。あなたたち、リリーに助けられたのに、よくまだリリーの悪口を平気で言えるわね」
ソールになじられて蒼白していた女生徒たちは、セピアの追撃にわめき返した。
「あれはリリーのせいじゃないっ」
「リリーがいなければあんなことには――!」
「狙われたのはリリーだが、あの植物を育てたのはお前たちだろう」
まあ、俺にも原因があるがと、ルテウスが苦い顔つきになる。
「わ、私たちだって知らなかったのよ。先生が偽物で、あんなものをこっそり植えてたなんて」
「そうそう、リリーの両親って暗黒神と絆………」
最後まで言わせず、ガアァンッとそばの閲覧机をルテウスが蹴飛ばした。
「キュグニー先生を悪く言う奴は許さん!!」
触れてはいけないことを、とレオンが額を押さえる。怒りの方向性を変えたルテウスに、ソールは少し冷静さを取り戻した。
「リリーはお前たちが見捨てた奴を助け、守っていた。あそこで転んだのがお前たちの誰かであっても、あいつならそうしていたはずだ」
「そんなの……仕方ないでしょ。私たちは戦えないもの」
「誰だって自分の命が大切じゃない」
「へー、じゃあ僕たちは死ぬのが怖くないとでも? 必死にかばった相手に文句を言われてあることないことでっちあげられても、黙って耐えないといけないわけ?」
レオンが青い瞳を細めた。これまで親しくない人間には当たり障りのない接し方をしていたレオンがあらわにした棘に、女生徒たちはびくりと肩をはね上げた。
「教養学科生が学ぶ『教養』って、そういうことなんだ? 自分は守られて当然です、命をかけて守ってくれた相手のことはお礼にどんどんこき下ろしてやりましょうって授業で習うんだね。初めて知ったよ」
強烈な嫌味に言葉を詰まらせた女生徒たちは、周囲を見回してますます萎縮した。見物人も含め、今ここに彼女たちの味方は一人もいないと察したようだ。
リリーがされたように、あちこちから刺さる冷笑と侮蔑のまなざし、そしてひそひそ話を食らい、女生徒たちが涙目になったとき、司書がやってきた。
静かにしなさいと注意され、女生徒たちがばっと駆け出す。司書の目が自分たちに向いたので、レオンが「すみません」と頭を下げ、ひとまず外へ移動することにした。
「さすがドムス先生の息子だね。すごい迫力だったよ」
図書館を出るなりレオンが笑う。かっとなって声を荒げてしまったが場所が悪かったと、ソールは反省した。
「あれだけ主張できるのに、オルトに立ち向かう気はないの?」
レオンの問いにソールは足をとめた。レオンだけでなく、セピアもルテウスも真顔でソールを見つめていた。
「フォルマに聞いたんだけど、君が担当した店で一つ、宝の情報が手に入らなかったものがあるって? 後でまた行くって言ったんだよね? それって何だったの?」
まさか行かなかったわけじゃないよねと追及され、ソールは視線を落として唇をかんだ。
「あの場で報告しなかったってことは、オルトに聞かれるとまずい情報だったんじゃないの?」
やはりレオンは勘づいている。いずれ問い詰められるかもしれないと覚悟していたが――ソールはこぶしをにぎった。
黙り込むソールに、レオンが口を開いた。
「察するに、苦しい恋をしているとかそんな感じのことかな」
はっとソールは顔を上げた。その動きで正解だとばれてしまったらしい。
「当たりか」とレオンが狐色の髪をかきなでる。
「まさかそれが、人の言葉を話す鳥がなつく条件? あれ? じゃあフォルマも……?」
驚いた様子のセピアに、レオンは「そのことについてはまた別の機会にね」ととめた。
ソールはもう一度うつむき、目を閉じた。これまでだと観念する。
「恋煩いに鳥は囀る――金物屋で仕入れた言葉だ」
一呼吸置いて答えたソールに、三人は納得顔になった。
「そっか……それはさすがにオルトには言いにくいね」
鳥がなつけば一発で確信されるからと、腕組をしたレオンが宙をにらむ。
「でもオルトももう気づいてるんじゃない? 君とリリーが想い合ってること」
それどころか、ソールが身を引こうとしていることもわかっていそうだけどとレオンは指摘した。
「向こうは今頃安心してるかもね。嫌な役はソールにさせて、自分は弱ったリリーに付け込めばいいんだから」
「オルトは、そんな卑怯なまねはしない」
「武器での勝負はまっすぐでも、好きな女の子が絡めば別だと思うけど」
もともとリリーを取られたくなくて君を牽制したくらいだよと言われ、すぐに反論できなかったソールはようやく言葉を絞り出した。
「……あいつの気持ちは本物だ。あいつなら何があってもリリーを守るだろうし、大事にするはずだ」
「それがリリーの幸せになると君は考えてるの? リリーの気持ちはどうなるのさ? 君に振られたと思い込んで悲しんだあげく、悪意のある噂まで立てられて。リリーが受けた心の傷はかなり深いよ」
痛いところをつかれてソールは口ごもった。今回リリーがしなくていいつらさを味わったのも、恥ずかしい目にあったのも、すべて自分の責任だ。
「あのね、ソール。お母さんのこと、カルパに聞いたの。ソールがオルトに譲ろうとしているのはそれが影響してるって」
セピアが薄紫色の瞳を揺らし、続けた。
「お母さんの件については、私たちが立ち入るべき問題じゃないから何も言わない。でも、リリーのことは切り離して考えてほしいの。鳥になつかれるくらいリリーを想ってたんでしょ? それなのに……両想いなのに引き下がるのってやっぱりおかしいと思う」
そしてセピアは、今ソールの試練が始まっているのではないかと告げた。
「きっとソールはここで乗り越えないといけないんだよ。黙って眺めているだけじゃ今までと変わらない。玉は手に入らないよ」
セピアの言葉一つ一つが胸に刺さり、ソールは歯がみした。
「今この集団を抜けたくないって言ってたよね。私たちもソールと一緒に虹の森を目指したい。そのためには、ソールに勇気を出してもらわなくちゃだめなの。もしこれがソールの試練なら、ソールが動くことで関係が変わる。たとえ一時的に悪化しても、絶対にみんなの絆は切れない。だから、リリーともオルトともちゃんと向き合って」
最後は熱願の響きをもって説得するセピアを、ソールは見つめた。
本当に、思うままに行動していいのだろうか。
あれほどリリーに執着しているオルトからリリーを奪っても――。
「……すまん……少し考える」
即断は無理だ。額に手を当てて息をつき、ソールはセピアたちに背を向けた。
午後一番の授業は乗馬だった。槍の演習で無様な姿をさらしてから、父とは家でも口をきいていない。あきらかに様子がおかしいと気づいていながら問い詰めない父に半分ほっとしつつ、いつまでもこの状態ではだめだと自省する。
乗馬の授業では、その日乗る馬を自分で決めることになっていた。見る目を養うのが目的で、調子のいい馬を選ぶか、または荒れていて他の馬とは離されているのをなだめて乗りこなせば加点もされる。ずっと同じ馬に乗り続けて信頼を築くのもよしとされていた。
厩舎に行くと、ソールがいつも乗っている栗毛の馬は今日は問題児のようで、違う柵に入れられていた。そちらへ向かって歩くソールに同期生たちがざわついた。
「ソール、そいつはやめといたほうがいいんじゃないか?」
「このところ言うことをきかないそうだ。今日の午前中も弓専攻生が振り落とされて腰の骨を折ったって」
「いくらソールでもきついと思うぞ」
皆にとめられたが、ソールは構わず近づいた。初めて授業を受けたときに乗ったこの馬は、最初から意思疎通がうまくいっていた。こうしたいという互いの気持ちがなぜかわかるのだ。駆けている間ずっと好き勝手にさせるわけにはいかないが、少しの指示で修正がきくので扱いやすいし、何より脚が速い。
柵の前に立ったソールを、馬はじっと見た。すぐ寄ってこないあたり、確かに機嫌が悪いらしい。
「お前も不調か。俺と同じだな」
ソールが苦笑すると、馬の耳がぴくりと動いた。
「正直、悩んでいる。本当に前を向いて進んでいいのか……それが許されるのか」
柵をつかみ、ソールは馬を見据えた。
「お前と走れば、答えが定まるかもしれない。だから、付き合ってくれないか?」
呼びかけに、馬が一、二歩後ずさる。今日はだめかとあきらめかけたとき、馬が近づいてきた。
探るように何度も鼻を押し付ける馬をそっとなでると、馬はますます甘えてきた。ぐりぐりと顔をこすりつける力強さによろめきそうになり、そういえばこうして触れるのは数日ぶりだなと思ってソールははっとした。
「まさかお前……」
馬の世話は武闘学科生が当番制でおこなっている。先日はちょうど放課後に交流戦の作戦会議があり、ソールは当番を外れたのだ。
槍専攻一回生全員でするので誰かと交替するわけにもいかず、カルパと二人抜けるくらいならと同期生たちに快く送り出してもらったのだが、馬のほうはソールの不在が気に入らなかったのかもしれない。
厩舎の掃除をしているときもよくそばに来てじゃれるので、好かれているとは感じていたが。
「寂しくてすねていたのか」
ソールは馬をぎゅっと抱きしめた。予想外に自分を必要としているものがいたことに驚き、胸が熱くなった。
「あれ? そいつ大丈夫なのか?」
馬を引き出したソールに、自分の馬を用意していたカルパが尋ねる。
「ああ、もう心配ない」
当番の日に自分が来なかったせいで機嫌が悪かったようだと説明すると、カルパは感嘆した。
「すごいな、そんなになついてるのか」
「上級生の指定馬にはなっていないのか?」と聞くカルパに、ソールは「今のところは」と答えた。
同じ馬に乗り続けた場合、交流戦の際に優先的にその馬を選ぶことができる。二、三回生ともなればすでに相棒と呼べるほど常に騎乗している馬もけっこういて、予約名簿に記載されているので、一回生はそれらを避けて選定しなければならない。
毎回違う馬に乗っている上級生よりは自分のほうが先に指名できるはずだが、順番が回ってくるまではやはり安心できない。どうか他の人のものにならないでくれと願って馬の背をなで、ソールは先ほどセピアに意見されたことを思い起こした。
付き合いの長さでは圧倒的に不利だ。
では想いの深さでは?
レオンにはああ言ったものの、引けを取るとは正直思っていなかった。自分とて気持ちは本物だし、何があっても守るつもりでいる。大事にしたい――いや、もうとっくに大事な存在なのだ。
ただ……負けていないからこそ、自分よりずっと長い間恋慕していたオルトの邪魔をすることに抵抗があった。
変わろうとしなければ、おそらく試練は越えられない。
リリーを傷つけ、今度はオルトと争った先に、それでもまだ七人で進む道がつながっているのか。
もし、壊れてしまったら。
ディックたちのように、付き合いが途絶えてしまったら。
リリーも、仲間も失ったとき、自分は『仕方がない』とすんなりあきらめられるだろうか。
そのとき馬が鼻を鳴らした。我に返ったソールは、自分を心配げに見る馬に微笑した。
「悪い、考え事をしていた。せっかくお前がやる気になったのにな」
「行くか」と馬の背を軽くたたき、ソールは厩舎を出た。
誰がどの馬を引いてきたかを書き記していたピュール・ドムス教官は、ソールと馬を見ても表情を崩さなかった。問題行動により隔離されていた馬が落ち着いて歩くさまに、同期生たちが目をみはる中、ソールはさっとまたがり、深く息を吸った。
心の乱れを馬は敏感に察知する。自分が落馬することで馬までが不名誉なそしりを受けることがないよう、ソールは気を引きしめて前を見据えた。




