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現在第8話を執筆中です。7巻を全部書き終えてから投稿しようと思っていましたが、シリーズ過去作を読み返してくださっている方もいらっしゃるようなので、スローペースながら少しずつアップしていくことにしました。
「うわあ、今日もうまそうだな」
朝、いつも通り勝手に家に入ってきたカルパが食卓に並べられた弁当をのぞき、感嘆の息をつく。
「おばさんの作るものだってうまいじゃないか」
「そうなんだけどさ、もうちょっと肉が欲しいんだよな」
野菜中心だと夜まで腹がもたないんだよとぼやくカルパに、「贅沢だな」とソールは苦笑した。
カルパの母親は野菜を売る店で働いているので、売れ残った野菜をよく持ち帰ってくる。たまにソールも分けてもらうことがあり、そのときは調理法でつい長話になってしまう。
育ち盛りの男子としては確かに肉が多いほうが気分が高揚するし、成長しきったはずの父親も体を動かすせいかよく食べる。だからドムス家はどうしても肉料理が中心となるが、たまには魚も調理したいと思う。
特にペイアは魚の食べ方が下手だ。よく骨に身がついたまま終わらせようとするし、頭ごと丸かじりできるものも残す。もっとペイアが食べやすい魚で練習させる必要がありそうだと思考を巡らせながら、ソールは弁当を包んで水筒も用意した。
そういえば、オルトがフルミ・ラルヴの毒に倒れたとき、朝食用に魚を捕って串焼きにしたことがあった。もしかしたらリリーも上品にちまちま食べてペイア以上に身を残すかもしれないという自分の予想をくつがえし、猫ですらまたいで通りそうなほどきれいに食べていた。この頭の部分がおいしいんだよねと、見た目にそぐわず豪快にむさぼる姿に、レオンたちは驚き笑っていたが、本当に食べることが好きなのだとわかり、おかしいやら嬉しいやらでにやけそうになったのを覚えている。
料理のことを考えるとどうしてもリリーの顔が頭に浮かぶ。重症だなと嘆息したソールは、「……なんだが、聞いてるか、ソール?」とカルパに呼びかけられてはっとした。
「ああ、悪い。何だ?」
「ディックのことだよ」
久しぶりに耳にした名前に、ソールは眉をひそめた。
「こないだ偶然アンデュレに会ったんだけど、向こうの槍専攻一回生、けっこう大変らしい」
二階から下りてきた父が弁当と水筒を持って先に出勤する。自分の分も袋に入れ、ソールはカルパと一緒に家を出た。
アンデュレの話によると、槍専攻一回生代表になったディックは見た目の良さに加え、成績優秀で話もうまいので教官や女生徒に人気があるという。だから最初の頃は皆ディックに従っていたのだが、度を超すからかいやつるし上げを受けて心に傷を負う生徒が徐々に増えはじめた。しかし彼の行為を訴えてもなかなか信じてもらえず不登校になりかけたところで、今度は急に距離を縮めてきたディックに丸め込まれ、いつの間にか取り巻きの一人に加わってしまう――その繰り返しで、表面上はまとまっているように見えるが、次はいつ誰がやられるかと互いに警戒し、気が休まらないそうだとカルパは告げた。
共通の敵を意図的につくりあげながら周りの人間を掌握していくやり方は、昔と変わっていない。自分が快適であることを望むのは誰しもであっても、行動に移すかどうかは人それぞれだ。
過去に味わった苦い経験に胸がうずく。ただ、自分に非があるだけに言い返すことはできなかった。皆が離れるのも仕方ないと、あのときはあきらめるしかなかったのだ。
うつむいて歩くソールに、カルパが視線を投げた。
「アンデュレが後悔してたぞ。ソールは誰が何をやらかしてもいつも助けてたし、許してくれたのに、自分はディックの愚痴につられてしまったって」
引っ越せるならゲミノールムに行きたいとまで嘆いていたが、本当に疲れた感じだったなとカルパは言った。
「確かにスクルプトーリス入学組の中ではディックが一番強かったけど、他の鍛錬所出身の奴らは何やってんだか」
「スクルプトーリスは毎年剣専攻生が総大将になってるみたいだから、剣鍛錬所のほうがいい指導者が多いんだろう」
あちらの槍専攻代表はたいてい、自分たちが通っていたケントウムの町の槍鍛錬所から輩出されていると父に聞いたことがある。
「そうそう、今年の『スクルプトーリスの紅玉』、剣専攻一回生代表の女の子だそうだ」
なんかめちゃくちゃ強いらしいとカルパがにんまりした。
「ディックが何とか仲良くなろうと必死みたいなんだが、入学式の代表戦であなたの実力はわかったからと、合同演習でもまったく相手にしてもらえないんだってさ。アンデュレが言うには、たった二振りで勝敗がついて、そのときはかなり噂になったって」
相手は名の知れた貴族の家柄だから、どんなに見下されてもディックはやり返せないのだという。
「ゲミノールムもリリーのお母さん以降、女子が代表になったことはないけど、スクルプトーリスもその女の子が初の女性代表みたいだぞ」
剣の強い者が多いスクルプトーリスの中で代表になるなら、その女生徒はかなりの腕前だろう。オルトと勝負させたら面白いかもしれないと思ったソールは、正門前で剣専攻生の一回生から三回生までが数人かたまっているのを目にした。誰かを囲んでいるように見え、それがリリーだとわかり、ソールは立ちどまった。
オルトたちと話すリリーがソールに気づき、笑顔で手を振る。速まる鼓動を抑えるあまり、ソールはかたい表情で近づいた。
「おはよう、ソール」
「悪いな。リリーは剣専攻がもらったぞ」
挨拶するリリーに続き、オルトがにやりとする。そういえば先日の作戦会議で、模擬戦の協力者を誰に頼むか、槍専攻生の間で議論になった。風の法専攻生としてリリーの名前も上がり、何とか引っ張れないかと上級生に言われたが、絶対に幼馴染がもっていくだろうから無理だと答えたのだ。
「うわあ、やっぱり取られたか。まあそうだよな」
カルパも最初から見込みがないと判断していたらしく、隣でがしがし髪をかきむしっている。
下等学院では戦力になるほど強い風の法専攻生は他専攻より少ないので、毎年取り合いになる。へたをすれば協力者が全員炎の法専攻生という年もあるようだが、今年は一回生ながらすでにいくつもの法術を使いこなすリリーが両陣営から注目されていた。
「じゃあ、リリー。さっそくだが、今日の放課後に植物学教室に顔を出してくれ」
「俺が連れて行きます」
オルトの返答に、剣専攻の上級生たちは片手を挙げて先に中央棟へと向かった。その浮ついた様子は、もうすでに勝利を確信したかのようだ。
リリーもオルトにうながされて去っていく。それを見送っていたソールにセピアがそっと寄ってきた。
「さすがに顔見知りの上級生にまで頭を下げられたら、断りきれなかったみたいね」
最初にオルトに頼まれたとき、リリーは即答しなかったんだよと、セピアの口調が幾分責めるような響きをにじませる。
模擬戦は初めてだからいきなりの参加は不安があると遠慮していたが、本当はたとえ冗談でもソールが声をかけてくれないかなって待っていたのにというセピアの言葉に、ソールは眉尻を下げた。
「そんなこと、オルトが許すわけがないだろう」
オルトはリリーにべったりだからと肩をすくめて笑って流してほしかったが、セピアは真顔でソールをじっと見つめた。
「……ねえ、ソール。もしかして、オルトが言ったことを気にしてるの? 私がフルミ・ラルヴの巣に落ちた日、前の晩にオルトと二人で話してたでしょ」
「――聞いていたのか」
驚くソールに、セピアが決まり悪そうにうなずいた。
「夜中に目が覚めて天幕を出ようとしたら、偶然聞こえちゃって」
思わぬ申告に動揺したものの、たしか自分の気持ちは漏らしていなかったはずと思い直し、ソールは息をついた。
「それなら話は早い。俺はあいつらの邪魔をするつもりはない」
「えっ、でもリリーは……」
「今はあの集団を抜けたくないんだ」
はっと瞠目するセピアを残し、ソールも中央棟へ入った。
「なあ、今のどういうことだ?」
ついてきたカルパに尋ねられ、ソールは歯がみした。ずっとカルパがそばにいたことをすっかり忘れていた。
「どうもこうもない。オルトに牽制されただけだ」
「リリーに近づくなって?」
「一緒に守ってくれると助かるが、横取りはやめてくれと言われた」
「はあ? 何だよそれ。都合がよすぎないか?」
眉間にしわを寄せたカルパは、ソールの表情を見てますます渋面した。
「お前まさか、その要求をのむつもりか?」
黙り込むソールに、カルパはため息をこぼした。
「人がよすぎるぞ」
ソールは目を伏せた。勝手な頼みだとオルトも自覚していた。それでも口に出さずにいられないほど、オルトはリリーが好きなのだ。
「俺は、誰かが大事にしている人を奪いたくない」
もう二度と父や妹のような思いはさせない。自分の望みが、引き裂かれる悲しみを作り上げることのないように。
胸ポケットに入れるのがすっかり習慣になってしまったお守りがじわりと熱を帯びた気がして、ソールは意識の外へ追いやった。
ただ、そばにいるのが当たり前にすら感じられるようになったほがらかな笑みは、心から消えることはなかった。
二つの武器が奏でる金属音だけが闘技場に鳴り響く。周囲が固唾をのんで見守る中、ソールはオルトの剣先をはじいた勢いそのままに突きを繰り出した。しかし今度はオルトにはね返され、流れに乗ってのびてきた剣を再び受ける。
前回見つけた弱点は、もう次のときには修正されている。もちろん自分も悪かったところは直すので、簡単にふところには入らせない。
入学前、槍鍛錬所でカルパは自分の次に強かった。だから普段はカルパと打ち合うが、己の緊張が最高潮に達するのは合同演習だ。
父に恥をかかせるわけにはいかないという思いも確かにあるが、本気でぶつかり合う勝負が何より楽しい。ほんのわずかでもすきを見せれば、相手は必ず踏み込んでくる。
ガッと衝撃が槍を持つ手に伝わる。以前より威力が増していることにソールは驚嘆した。本当に進歩が早い。
対するオルトも目をみはり、赤い瞳にいっそう濃い戦意をみなぎらせる。それでいてかすかに口元が笑っていた。力負けしなかった自分にオルトもまた嬉々とした興奮を感じているらしい。
そうして何度目かの打ち合いのすえ、両専攻の教官が同時に飛ばした「やめ!」の声に、ソールはぴたりと動きをとめた。
向き合ったオルトと一緒にふうと息をつく。集中するあまり浅くなっていた呼吸がようやくもとに戻り、互いに視線を交えて口角を上げた。
「また引き分けか。本当に手強いな」
オルトが笑ってソールの背中をたたく。肩を並べて歩く二人に双方の生徒たちから大きな拍手が贈られた。
「学院祭の代表戦では何か賭けるか」
そうでもしないと決着がつきそうにないと、布で汗を拭きながらオルトが言う。一瞬脳裏をよぎった賭けの対象を払いのけ、ソールが無言で水筒を手にしたところで、グラノを先頭に剣専攻生と槍専攻生が集まってきた。
「お疲れー。お前たち、やっぱりすごいな」
「気迫からして違うよな」
「当たり前だ。ソール相手に手を抜けるか」
眉根を寄せたオルトの返事に、グラノがむくれた。
「はいはい、どうせ俺たちじゃ物足りないんだろ」
「お前な、いつも手加減しろってうるさいくせに、何言ってるんだ」
自分の水筒を取ったオルトがあきれ顔で反論する。
「だってオルトが本気出したら瞬殺されるから、俺たちの練習にならないじゃないか」
「そうか? ホルツは最近ずいぶん強くなってきたけどな」
剣専攻生では実力が三番手のホルツをオルトがかえりみる。勝てないからとオルトとの打ち合いを回避しているグラノに代わり、オルトの相手をするようになったホルツは、目に見えて腕が上がっているとの評価に嬉しそうに笑った。
「近いうちに副代表の座をかけて勝負を挑むから、覚悟しとけよ」
「はっ、まだお前には負けねえよ」
人差し指を突きつけられ、舌打ちしてホルツをにらんだグラノが、ソールたち槍専攻生を見た。
「まあ、オルトとソールは毎回引き分けてるけど、今度の模擬戦は剣専攻が間違いなく勝つだろうな」
何と言っても剣専攻にはリリーがいるからとグラノがふんぞり返る。
「もしかしたらリリーはソールを選ぶんじゃないかって心配してたけど、やっぱり幼馴染の絆は強かったな」
グラノはにやついている。うんうんと同調の相槌をうつホルツたちは、グラノの挑発の奥にちらつく悪意を察知していないらしかったが、ソールはオルトの顔がこわばるのを見逃さなかった。
ソールはグラノをにらんだ。グラノは明らかに自分たちの関係をかき乱そうとしている。
「リリーが剣専攻側につくのは最初からわかっていたことだ。だからこちらもすでに対策を考えている」
強がりに見えようがソールはきっぱりと言い切った。リリーのことはもともと呼ぶつもりはなく作戦を立てていると、嘘でもオルトに示す必要があった。
授業終了の鐘が鳴り、教官の前に両専攻生が整列する。挨拶を終えた後、ソールはあえて自分からオルトに近寄り、明日の冒険について話をしながら更衣室へ向かった。別れる頃には、かすかに漂っていた警戒の色がオルトから消えたことにほっとしたものの、これ以上グラノがよけいなことを口にしないよう祈った。