旅立ち
白々と夜が明ける頃、ドラゴは自分の天幕で出立の準備を終えた。
浅く掘られたいろりの火がチラチラと揺らぐ。
頬と額に狩りの化粧を施したドラゴは小さく粗末な鏡で化粧の出来映えを確かめた。
────悪くない。初めての狩り化粧にしては。
鋲の付いた革の籠手をはめ、纏っていた毛皮を脱ぎ捨てる。
足でいろりの火に砂をかけて消すと、ドラゴは天幕から薄明の大地に出た。
両手の籠手の他、一糸纏わぬドラゴの姿が天幕から現れると、居留地の皆が歓声をあげる。
皆、ドラゴの現れるのを待ち構えていたのである。
ドラゴは少々気恥ずかしく思った。
「息子よ胸を張れぇ!」
群衆に混じって父親の声が聞こえた。
気後れてはいけない。ドラゴは父の声に応え、全身に力を込めた。
彼の身体が一回り膨れ上がる。筋肉の筋が皮膚の下にくっきりと浮き上がる。オーガの爆発的な戦闘力を支える全身の筋肉が、ドラゴの意思に応じてパンプアップしたのだ。
居留地の全員がやんやと喝采をあげ、男どもが自らの分厚い胸を拳で叩く。胸や腹、頭などに皆が皆狩りや戦で受けた傷を誇らしげに見せている。
対するドラゴの若々しい身体には傷一つ無い。つるりとしたその肌は未だ狩りや戦──男の仕事──に就いていないが故。
ドラゴは今日初めての狩りに向かう。
それは食料を得る為のものでは無い。自分の纏う毛皮を手に入れる為の狩り、自分が大人のオーガとなった事を証明する狩りだ。
親から子供へ与えられた毛皮を脱ぎ、一糸纏わぬ姿で獲物を狩る。携える武器は鋲の付いた革の籠手のみ。
成人と認められる為の、それがオーガの儀式だった。
どむっ! どむっ! どむっ!
オッ! オッ! オッ!
胸板を叩く響きを伴奏に男どもが吼える。
その応援に見送られ、ドラゴは獲物を求めて居留地の柵を越えた。
────オーガは大柄な人型種族の一種であり、その身長は3m半をゆうに超す。
主に狩猟で生活を送り、獲物と引き換えに交易商人から自分達では作れない雑貨類を購っている。
その絡みで隊商の護衛に就く事も多く、また国に雇われ戦場で活躍する者も少なからずいる。
大自然の風雪に鍛え上げられたその肉体から繰り出される力は暴風にも喩えられ、戦場の悪夢とさえ呼ばれる。
一方で、オーガは鎧の類いを身につけない。
強靭かつ柔軟な肉体を持つ彼等にとって、鎧は動きを妨げる拘束具でしかないからだ。少なくとも彼等オーガはそう主張する。
その為、戦場で命を散らすオーガも多い────
ドラゴは長く伸びた髪を細い草で束ねた。どうにも鬱陶しい。幼年期を終え皆から成人と認められるまで切る事の無い髪は、汚れ放題でゴワゴワとかたい。
(早く切りたいもんだ……いや、親父達の様に剃るのがいいな。さっぱりして首が軽くなるだろう)
髪の長いのは女子供の証だ。護るべき者と一目で判る様に長くしている。
オーガは強いが同時に弱い。数が少ないせいで他の種族に襲われる事もある。種族の未来は女子供が護られてこそ訪れるのだ。
野兎がこちらを見ている。
野兎など望む獲物では無い。まだ身体が小さい頃、狩りの訓練によく捕まえたものだ。兎の毛皮で身を包む様なオーガなどいない。
ドラゴは目を逸らし、用心深い野兎の緊張を解いた。
次の瞬間一気に大地を蹴り飛ばし、兎を捕まえる。下手に殴りつけると内臓が潰れ肉が駄目になる。
ドラゴは兎の首根っこを捻って仕留めた。
(晩飯に使おう)
ドラゴの狙うは自分の身を包むのによい毛皮の持ち主。
居留地に顔を出す商人から、大人になったら護衛仕事をしないかと声をかけてもらっている。
そこから王都に出て軍役に就くつもりだ。
(田舎者だと馬鹿にされるのは仕方無い。だが、弱っちいと舐められるのは……)
我慢ならない。
見栄っ張りと謂われても、強く、大きく、獰猛で、美しい毛皮の持ち主を狩る。
戦場で鎧を着ないのがオーガの見栄なら、素晴らしい獲物で身を飾り立てるのもオーガの見栄だ。
見栄を張らないで少数種族は立ち行かない。『奴等は強い』と思わせなければ他の種族に潰される。
居留地を出るつもりのドラゴには見栄が必要だった。