46.小説って人間が作るものだから
この前、編集者と初めて対面した。
今までお互い書籍化に際し電話やメールでのやりとりしかしていなかったのだが、私が都内に出る用事があり、一巻も無事発売出来たので落ちあうことにしたのである。
当たり前の話だが、作家も編集者も人間だ。
メールや電話だとビジネスライクにやり取りしていたが、実際に会ってみると
「お前……現実に存在しとったんかい」
と、内心奇妙極まりない突っ込みをしてしまう自分がいた。
そう、バーチャル編集者などこの世に存在しないのである。いわんや作家をや。
特になろう界隈に長くいると、なぜか全てバーチャル内の出来事だと錯覚してしまう。書いている「私」は現実にいるが、その他は全てバーチャルのように思ってしまうのだ。
ポイントを入れてくれる読者。
ランキングを形成する読者。
打診して来た出版社。
共に作業する編集者。
今まで、その全てがデジタル経由で来ていたのだ。そこに現実感は殆どなく、私はデータの波を彷徨っているくらいの感覚で小説を書いていた。
しかし実際に編集者と膝を突き合わせながら話してみると、そこには厳然とした「現実」が転がっていた。
作者にも編集者にも読者にも好みがあり──
出版社にもタイミングや都合があり──
そこが少しずれるだけで打診の有無やタイミングも変わるし、書籍の売り上げは上下する。
小説とは、あくまでも人間が人間の都合で作っているものなのだ。
寄せ集めたデータは意外とあてにならないが、「結果」という現実は妙に生々しく突き出される。
それが出版だった。
そのことに、私は人と会って初めて気づかされたのである。
なので、出版の全ては関係性で進むことになる。
そう、みんなが過ごすどの社会とも一緒だ。
嫌なやつには仕事を頼みたくないし、実績を残している人には打診したくなるし、素直でいい人にはチャンスを与えたくなる。
人間の根本はどの業界も同じ。
出版社内だと、加えてそこに面白そうな話が転がっているかどうか。それだけの違いしかない。
なのでどんなに売れる話を書いてくれる作者がいたとしても、人間的に信用のおけない人物なら次のチャンスが遠のくことになる。
書くのも人間なら選ぶのも人間だし買うのも人間。
出版といえど、書籍を挟んだ人と人とのやりとりが要となる。そこを軽んじたり放棄したりすると、作家としてはどん詰まって行くみたいだ。
……みたいなことを、編集者と実際に会って考えるなどした。
最初は編集と売り上げ分析やなろうの話をしていたが、結局は子育てとか、椎茸の原木を転がすに適した場所とか、どちらの裏山に生える筍が美味しいのか論争に火がつくなどした。
何やかんやオシャレなこと言うたかて現実って、こんなもんよな〜