25.公募に出して講評を貰おう!
さて、なろうでずーっと書くのもいいですが、そこで何か行き詰まりを感じた場合、一般公募に出してみてもいいでしょう。
私もなろうで書くまでは、公募に出していました。
ですのでここで言うのと順番は逆なのですが、今になって思えば「公募に出して良かったなー」と思うことが多々あります。
もし出す先に迷っておられるのであれば、講評を貰える公募に出すことをお勧めします。
講評を貰える条件は、各公募によってまちまちです。
一次落ちしても講評をくれる公募、二次三次を通過しないと講評をくれない公募、一言で講評と言っても、その貰える難易度には差があります。
印象としては、前者はさらっとした講評が多く、後者はかなりガチめの批評をしてくれますね。
更に言うと、後者はマジに作者の心を折りに来ることがあります(笑)
(題材選びからやり直せと言われたのは……心に来たわね~)
講評は公表を禁止しているケースがあるのでここに載せることはしませんが、総合的に言うと、私の弱点は構成力にあるとのことです。
長所は文章の読みやすさとテーマの魅力だそうな。
だから次の小説を書く時に、気を付けるべきところと、ある程度放っていていいところがあらかじめ分かるというのが、公募に出すことのお釣りと言えるでしょう。
自分のいいところと悪いところをプロの目で見てもらえる機会ってなかなかないですから、下手な鉄砲を携えた気分でみなさん公募にどんどん出してみましょう♪
さて、以前私が短編で小さな賞をいただいた時、とある小説家の先生からコテンパンに批評されたことがありました。
私は終始「うわ~キッツ~」と思っていたのですが、先生はこんなことをおっしゃっていました。
「今、君はキツいと思ったかもしれない。心折れたかもしれない。けれど、賞をもらっていない人たちは批評すら受けられない。君は今まで受賞経験がないから言っておくが、小説というものはいい賞を受賞すればするほど厳しい批判にさらされる。つまり、厳しい言葉にさらされた時はいい作品を書いた時なんだ。よく覚えておくように」
おっさんツンデレかよ……という感想はともかく、厳しい言葉は、相手もそれだけ真剣に向き合ったからこそ出た、というわけなのです。
講評で厳しい言葉を言われても無闇に傷ついて殻に閉じこもらず、それを糧にして小説を書いて行けば、また違った世界が開けるかもしれませんよ。