16.完結出来るかどうかは冒頭で決まる
さて、完結させるためのコツを書いて行きます。
極論を言うと、完結出来るかどうかは冒頭で決まっています。
冒頭に起こった出来事がラストにどう繋がって行くのか?
まずそれが読者、作者共に思い浮かべられるものでないと、完結させるのは難しいです。
素敵な女の子がかっこいい男の子と出会う。……とくれば、結ばれる。
敵に復讐するために立ち上がる。……とくれば、敵をやっつける。
母を訪ねて三千里歩く。……とくれば、母に会える。
「バスケットはお好きですか?」……とくれば、バスケが好きになる。
名作には名作たる所以があります。そうは思いませんか?
たまに勘違いしておられる方がいらっしゃいます。
「予測のつかないことばかりが次々起こるのが、良い小説である」
と。
映画監督の小津安二郎先生がこんなことを言っていました。
「映画はドラマだ、アクシデントではない」
これ、小説にも当てはまるなーと思い、私が大事にしている言葉です。
私達はきっと、小説にアクシデントはそこまで求めていないのです。
そのアクシデントでキャラクターがどう心を揺さぶられたのか?
どんな行動で切り抜けようとするのか?
そのドラマを、我々は欲し、読んでいるのだと思います。
そういうわけで、誰もが予想できない話、誰もがゴールを思い浮かべられない話は完結出来ません。
また例え完結させたとしても、誰もが納得できる完結にはならないと思います。
そのために必要なのは、実のところ「ストーリー」ではなく「キャラクター」です。
作者が用意した逆境にも立ち向かえる、キャラ達の「心」「経験」「特技」
そういったものを持つキャラクターを生み出しつつ、彼らがギリギリ打ち破れるほどの舞台装置の設定が必要となります。
この設定の塩梅は実のところ、テクニックだけではどうにもなりません。
何度も自分の手で自分の物語を完結させてみることが必要になって来ます。
自分の書いた話に「絶妙なさじ加減」を加え、調整して行くこと。
この「絶妙」がどの程度であるのかは、練習するしか、習作を積み重ねることでしか身につかないものなのです。
つまり、自分が用意した逆境を自分で打ち破る経験が何度も必要になります。
うん。作者って、凄い「主人公」って感じですね?
そう。どの作品も、じつのところ「あなた」が主人公なのです。
スポーツの練習、音楽の練習をするように、何度も舞台を用意して、打ち破る練習をして下さい。
それしか、小説を完結させる力をつける方法はありません。
特効薬はありません。それは筋肉のようにしなやかに、「ついてくる」ものです。
無理やりにでも話を完結に引っ張って行く内に、何が悪くて納得できない完結になってしまったかが、だんだん分かるようになって行くことと思います。
自分の得意不得意、走り方、そういうものが徐々に分かるようになって来ます。
すると、舞台設定と主人公の性格との化学変化、その状態に先回りして気づけるようになるのです。
「あ、この展開は絶対行き詰まるやつだ!」
「このキャラ、みんなに嫌われるやつだ!」
「このラブシーンはあとあと悲劇にしか繋がらない!」
「この回想、キモイって思われるやつだ!」
そう、まるで「あっ、これチャレンジでやった問題だ!」ばりに、先回りして立ち止まることが出来るようになって来ます。ストーリー展開における、作者自身の危険回避能力が上がって来るのです。
これぐらい自分のことが分かって来ればしめたものです。
自らの手綱を引き、完走させるイメージで、ストーリーを完結へと引っ張ることが出来るようになって行くことでしょう。
さあ、そのために手間を惜しまず練習練習!