This is a terrible world for her.
「今日から、一週間は雨が続きそうです。」
スマホの天気予報アプリが丁寧に教えてくれている。
はぁ。雨か。太陽がなくて気持ちも下がるし、低気圧で頭痛がひどい。
だけど、学校は行かないと。雨でもヒロには会えるからね。
昨日はあんなことがあったけど、特に何の発展もなく、あの後はただ家に帰っただけだった。ちゃんと家までは来てくれて、いつも通り、曲がり角までお互いに手を振り合った。
正直、意識してないって言ったら嘘になる。ハグの感覚を思い出して、昨日の夜はドキドキで眠れなかったし、今日の朝だって、会えるってことだけでいつもより早く起きてしまったぐらい。
布団を抱いて、ぎゅっとしたけどヒロとの感覚とはほど遠かった。
というか、この前の『気を引く作戦』大成功だよね。一週間も一緒に学校に行かなかったから、それは、寂しくて。自分で始めたことだけど、どうしてこんなことしているの、って何回も思ったよ。冷たくするのも、ほんとに緊張したし、嫌われるかもって思った。だけど、ヒロは逆に心配してくれていた。それがたまらなく嬉しかったの。悪いけど私の勝ちだよ。
あまり考えないようにはしていたけど、このままいけば私たち付き合うことになるよね?いつになるかな?向こうから言ってくれるのかな。
告白の言葉はなにかな。好きですとか?僕とフォークダンスを踊ってくださいとか?いやいや、そんなにロマンチックなことを言われたら、私、笑っちゃいそう。
変な妄想はやめて、現実に起こることを楽しみにしておこう。
用意を始める為に下に降りる。
朝ご飯は、しっかり食べる派。遅刻しそうでも車の中で食べるぐらい。私には心強い味方、母親がいるのだ。
「真澄。ご飯できたわよ。」
こうやっていつも用意してくれていることに感謝しないと。
今日のメニューはパンと目玉焼きとサラダ。あと、飲み物のオレンジジュース。健康的な朝って感じ。小さい頃から母には、朝ご飯を食べないと大きくならないよ、って言われているからほぼ毎日食べている。今では、『大きくならないよ』という意味を間違って捉えているけどね。
この前学校のお昼休憩で、朝はパン派?ご飯派?と議論したことがあった。私はもちろんパンって答えたけど、一緒にいた三人はご飯派らしい。だからみんな大きいのか。そういえば、昨日は朝ご飯食べてないよね。そんなことしているから大きくなる気配がないのかな。
「お母さん。これからは朝、白ご飯にかえてほしいなぁ。」
「どうして?パンがいいって言うからそうしていたのに。」
「今は、気分が変わったの。お願いね。」
にひぃ。と笑いながらお願いしておいた。
「真澄、歯にサラダついているわよ。人前ではちゃんと取っているの?」
もう、うるさいなぁ。いつも行儀が悪いとか、食べ方が汚いとか、そんなの家だからいいじゃんかぁ。
「わかっているよー。ヒロの前では、」
おっと。口が滑ってしまった。あぶない。気づいてないよね。あはは。
「そういえば、ヒロ君とは最近どうなの?」
あらまぁ。気づかれていたようだ。でも、昨日遊んだことは黙っておこう。なんだか、面倒くさそうだもん。
「まぁ、普通。特に変わったことはないよ。」
適当に返事を返したが、顔は嘘をつけないみたい。
「今日は、元気そうで良かった。先週なんて、今にも死にそうな顔していたから本気で心配したのよ。」
「あーあれは、色々あってね。」
「なにそれ。まぁ、なにもないなら良かった。」
そんな話をしていると、シャッターに水が当たる音が大きくなってきた。結構な大雨。こんな中、歩いて駅までなんて無理だ。
「今日も送ってやろうか?ヒロ君もねぇ。」
なにか企んでいる様な聞き方だが、こんな状況で断るわけにはいかない。ありがたく、お願いしよう。
早速、ヒロにLINEを送る。
「>今日も送ってもらうけど、一緒に乗っていく?」
返信が返ってくるまでの間に、残りの目玉焼きを口に入れて、至福のひとときを終わらせた。この焼き加減は母にしかできない。私を理解していると言うためには、目玉焼きの焼き加減試験をクリアしないといけないのだ。何様だ。
「ごちそうさまでした。」
今日も私が運ぶ前に、食器を片づけてくれた。私もこんな女性になると身体に力が入る。最近つくづく思う、女手一つ、娘のためにこんなにも尽くしてくれるのは、私が大人になるための見本だって。
父は、私が八歳の時に事故で亡くなった。今日みたいな雨の日、夕方のことだった。家の電話が鳴り、母と急いで家を飛び出たけど、病院に着いた時にはもう、遅かった。即死だった。
包帯を巻かれた父の姿を今でも忘れられない。父の笑顔。父の仕草。すべてが大好きだった。
こんな母が、惚れるぐらいの男の人。それが、私の父。
ヒロはどうだろうか。ヒロは自分の父親みたいになれているのかな。
そんなことを考えつつ、いつもはすぐに返ってくる返事がまだきていないことに気がつく。どうしたのかな。
「>寝ているの?」
さっき送ったLINEにも既読はついていなかった。あのヒロが寝坊するなんてことあるんだ。まぁ、いいや。もう少し待ってみよう。
洗面所で歯磨きをして、自分の部屋に戻る。学校の先生には内緒だけど、いつも少しだけメイクをしている。みんなしているもん。
昨日の光景が蘇ってきた。あぁー、そこにいたのになぁ。次はいつ家に来てくれるかなぁ。
ファンデーションとアイシャドウにリップ。これがいつもの学校スタイル。
ガッツリメイクにしたら、職員室に呼び出されて、ごしごし落とされる。そんなの、恥ずかしくて無理。スッピンを見せるのはヒロだけ。普通はヒロに見せたくないって言うのが正しいのだろうけど。
髪の毛もアイロンをして、いつものストレートにする。やっぱり、これが落ち着く。前のヘアセットは、どうだったかな?そういや、リップのこと気づいてくれていたなぁ。嬉しい。そういうのを気づいてくれるところが高評価ポイント。
一通りの用意が終わって、もう一度スマホを確認したけど、ヒロからは返事が来ていなかった。
「>先に行っとくからね。」
なんだか、心配だけどしょうが無い。このまま学校に来なかったら、帰りに家に寄ってみようか。
母には、ヒロを乗せないでいい旨を説明して、そのまま学校に送ってもらった。変な顔をしてきたけど別に何かしたわけじゃないから、特に触れなかった。
「いってらっしゃい。」
「うん。いってきます。」
※
「昔は雲を神様と考える地域がありました。雨はというのは、神の恵み。地に生命を与え、川が大きくなって、海になり、そして生物が生まれる。それが今いる人間や動物なのだと。」
「先生。じゃあ、どうして雨で災害が起こるのですか?」
「それは、神からのお告げよ。」
「どういうことですか?」
「地にいる者が過ちを犯すと、神は天罰を下す。恵みを粗末にすれば、その分の仕返しが帰ってくる。そうやって昔の人々は考えを作り上げた。これはほんの一部の町の考えだから、まだまだ色んな神様がいるのだよ。」
「そしたら、俺も神様になれるかな。」
高貴のボケでクラスが笑いに包まれる。なにが面白いのか。私は、真顔だった。
ノートに書き写す黒板の文字。今はなにも頭に入らない。朝、みんなから向けられた奇妙な目線。何かしたわけじゃないのにどうしてだろうか。そんなことが、頭を駆け巡る。
そのまま授業は終わり、いつものメンバーの一人に話しかける。
「明梨、疲れたね。今日は雨だから最悪だよね。」
「そうだね。」
なんだか、素っ気ない明梨に朝から思っていたことをストレートに投げかける。
「ねぇ、どうしたの?朝からそんなのだけど、私何かした?」
周りの目線が一度にこちらに向くのがわかった。背筋がぴんっと張る。
「あんたの、そういうところ。とぼけんな。」
何が何だかわからない。どうして叱られたのか。どうしてみんなが私を敵視するのか。当然ながら、抵抗はする。
「はぁ?なにが。明梨に関係あること、いつしたっての?金曜日以来、会ってないよ。」
呆れた様子をとられる。訳がわからない。
「まずね、学校にノコノコ来たことがびっくりだわ。」
周りから聞こえる『帰れ』のコール。
これがいじめってやつか。
こんな気持ち初めて。怖い物知らずだけど、こんなに大勢から敵にされるとさすがに怖い。なにもしていないのに、みんなに真実が伝わらないのが一番つらかった。
気がつけば泣いていた。
ヒロ。助けてよ。怖いよ。
『かえれ。かえれ。おぉ。ほんとに帰ったぞ。』
無我夢中で走った。どうして私が?どうして明梨が?どうしてみんなが?
荷物は、なにも持たなかった。
とにかく、あの場所から逃げたかった。
先生もみんな、敵な気がして、誰にも相談できなかった。だから、なにも言わず学校から飛び出た。
11時00分。三時間目の始まりのチャイムがなる。
独特な音が、雨に打たれる姿にぴったりだ。
ブラウスは、雨に濡れて中のインナーが透けている。
靴下も、もうすでにグチョグチョだ。
はぁ、はぁ。いつものガードレールだよ。ヒロ。助けてよ。
どこまで、走ったのだろうか。
ここはどこだろうか。
学校からの最寄り駅をもっと先に行ったところかな。
そしたら、まだまだ進めば家に帰れるかな。
このまま、走り続けたら家も超えちゃうかな。
今向かいたいところは、ヒロの家。
スマホも何もかも置いてきちゃたから、連絡もなにも取れない。
このままいなくなったら、誰にも見つからないかも。
ヒロだったら見つけてくれるかな。
だめだ、寒くなってきた。
もう結構走ったけど、家の近くかな。
私って結構体力あるみたい。走ったと言うよりすり足のような感じだけど。さすが、ダンサー。
だんだん雨も弱まってきて、少しは視界が良くなった。
もうシャワー上がりを通り越して、これ以上濡れるところがないぐらいびちょびちょだ。
メイクはもう完全に落ちきった。
雨。神様の恵み。
いじめ。神様からのお告げ?
まさか。
ヒロがLINEを見なかったのって、この事を知っていたから?
一緒になって私を避けているの?
もうなんだか、もっとわからなくなってきてしまった。
もしそうだとしたら、私どうしたらいい?
私がなにをしたって言うの?
涙に濡れた顔も、雨によってかき消される。
やっとついたヒロの家も、いまやどうだっていい。
今はただ、一人がいい。
ヒロがいたってどうにもならないもん。
自分の家。
今は、お風呂。
シャワーなら今さっき、二時間ほど浴びたって言うのに、母がまた入れっていうから今度は湯船に浸かっている。
暖かいって、落ち着く。
冷たいって、怖い。
父は、あんなにも冷たいのに打たれてこの世を去ったのか。怖かっただろうに。
最後ぐらい、暖かいのに包まれたかっただろうな。
今度会えたら、ぎゅっと抱きしめてあげるからね。お父さん。
母がこんなにもすごい剣幕で怒っているのは初めてだ。
心配をかけてしまったのは申し訳ないが、なにもわかっていない。
こんなにも母に苛立ちを覚えたのは何年ぶりだろうか。
また涙がこぼれ落ちそうになる。
部屋に戻って、ベッドに潜ってまた泣いた。
部屋をノックする音。
私は、声も出ないほど泣き枯れていた。
学校のカバンとご飯を持ってきてくれた母は、「暖かいうちに食べなさい。それと、また話を聞かせて。ごめんなさい。」と涙交じりにそう言って出て行った。
正直、ご飯はいらない。
食欲がない。だけど、カバンが戻ってきたのは嬉しかった。
早速、スマホを取り出し、通知を確認する。
やっぱり、まだ返ってきてない。
もう、君には用はない。ハグまでしておいて、こんなことになれば、私を守るどころか見放した。
心底失望したよ。君は、幼なじみなんかじゃない。
ただの、
屑だ。
※
雨。まだ神様は恵みをくださるの?
朝、昼、夜。
あさ、ひる、よる。
アサ、ヒル、ヨル。
朝、昼、夜。
あの日から五日がたった。
今日は久しぶりに、外に出る。
あれから母に話を聞いてもらって、少しは楽になった。
やっぱり、母は心強い味方。
母はすごく泣いていたけど、もう私は泣けなかった。
友達も、幼なじみもいなくなった。私は完全に一人。
学校には行っていない。ていうか怖くて行けない。
こんなにも青空は綺麗なのか。
今日は、ダンスのレッスン日。
屑は来るだろうけど、私にはもう関係ない。
ただの置物と同然。
話がしたいって思って、またLINEをしたけどもちろん返ってこなかった。
そこで、確信したよね。あいつもみんなと同じだって。
大阪には、母が送ってくれる。
踊れる?とか、大丈夫?とかすごく心配されたけど、まったく大丈夫だと思う。
だって、ダンスはいつだって私の味方だもん。
踊れば、なんとかなるだろう。
練習は一切できてないけど、まぁいいや。
ごめんね、ダンス。ごめんね、金髪先生。