少女を救い、そして小さな英雄譚が生まれる。
辛い。
そんな単語で僕の心情を表せるのであれば、きっと僕はそこまでの人間でしかないのだろうが。
現状をもし一言で表せと言われるならば、これに尽きる。
決心の足踏みを二組の足が賢明に紡いでいたのも束の間である。
5時間も歩けば人の心はうつろうモノなのかもしれない。
持ち物はない。
食べ物も勿論ない。
草原しかない。
ないものねだりなのではないかねと問いかける自分が同居している。
逆にあるモノはなんだねと問うてみる。
それは己であると答える自分を思い切り殴り飛ばす。
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思考が鈍り、小説ならば駄文だと言われても仕方ないような茶番を頭の中で繰り広げてはみるがなるほど。
人は追いつめられると思考が出来なくなっていくのだろう。当たり前か。
いかに自分が恵まれた境遇にいたのかのありがたみを感じさせるには十分な思考だったと思うしかない。
仮に前世の自分に会う機会があるならば是非とも伝えたいものだ。
『君は恐ろしく恵まれているが自分が如何に幸せかを問答する事は適う境遇なのかい?』
恵まれていない経験をしたことが無い者ほど考える事が【自身の幸せ】はなんなのかだ。
言語化出来ない感情に身を包まれながらこう言うのも藪蛇かもしれないが……。
少なくとも幸せを考えている時点で幸せではないのかもしれない。
【気づかない事】こそ【幸せ】なのかもしれないねと訴えながらも
歩く。
行く当てなどないが
止まる当ても無い故に
歩く。
……ああ素晴らしきかな人生。
人は行動を共にすれば必ず変化が起こるというが。それは間違いないかもしれない。
違和感を便りにふと耳を澄ませてみる。
…どこからか音が聞こえる。それも不自然的な音だ。
…ふむ
……ふむふむ
「…………人の叫び声か」
ここ最近は良くある事なのだけれど、意識は身体を置いていくものなのかもしれないねと思う。
僕は駆ける。
意識を残して。
叫び声に辿り着いたとき。
考えるべくもなく走り出す。
疲労すら置き去りに。
思考すら置き去りに。
誰かを待つ『その人』に向かって走り出す。
まるで何かの因果に憑りつかれたかのように。
ぜえぜえと息を切るがようようやくやく見えてきた。
まず見えるのが三つの人背格好をした人物の背中だ。『人』と言えないのは正にその皮膚の色である。
(緑色の皮膚?緑膿菌感染症か?しかしあれは本来爪などで見られるはず…全身に転移なんて聞いたことない)
まさか新種の感染症か。
自らの知識不足を大きく嘆く。
想像力の欠片もない自身を罵倒する。
深くため息を付けられるなら付けたいが今は肺がそれを許さない。
まだ走る。
その自身の浅い知識に対する罪悪感を振り払い走るのだ。
『ソレら』の視線の先を追うとそこには女性が居た。
赤い頭巾を被った女性はもう立てないのか座り込んでしまい、怯え、『ソレら』を見る目は
…深い恐怖とそしてこれから来るであろう想像したくもない未来が映し出されているようだった。
最速のギアで回る脳みそは凡その現状の当たりをつける
薬物中毒者か、それか未知の感染症患者か
そう判断すると付近に転がる石を走りながら拾い上げる。
正直運動は苦手ではない。
だが走る。
得意という程優れたモノがあるわけでもない。
でも走る。
素手で殴るよりも効率的なのは理解している。
だからやる。
仮に外したとしても注意程度は向けられるかもしれない。
だから半端にしない。
この一瞬より女性の寿命を永らえさせる事だけは出来る。
その事実だけで十分だ。
距離は凡そ20メートル。
当てられるかつ威力を殺さず、気づかれても逃げるか第二射を行えるギリギリのラインだ。
そう思って、背を向けた3人の『未知』の真ん中に狙いを定める。
カチリ
という脳内で聞こえた気がする不可思議な音と同時に全力で投げる。
踏み出された左足が
ねじれる様な胴体が
振り下ろされる右腕が
…多くの関節や筋肉や骨格を無駄なく伝動し指先の石へ全力を注がんと駆動する様は傍から見ればまるでプロの競技者の様だったに違いない。
少なくとも彼をそう讃える事が出来る人物などいないのだが。
自分が思い切り踏み出した左足を地面が受け入れることが出来ず大きく裂ける。
思い切りねじった腰を纏うように風の奔流を身体が纏う。
振り下ろされた右腕が空気の壁を全力で叩く。
繰り出される石のつぶては一切の放物線を描かず真っすぐ真っすぐと伸びていく。
『その場で石の軌跡を追えたものはいないだろう。』
……そんな確信が自身の内側からフツフツ迫ってきたのは、
中央の『ソレ』に激突した石のつぶてが頭部へ直撃しその衝撃で粉々になり、
両端の『ソレ』らも粉砕したときだった。
その時に発した音は、生物に向けられていい音とは到底思えず。
低く、野太い破砕音であり、
二度と生物に向けて石など投げてはならないという誓いの音でもあった。
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「お怪我はありませんか?」
女性の前に駆け寄って声をかけると、まだうまく状況を理解できていないのか怯えたままの目で僕を見上げる。
走っていて分からなかったが、歳もまだ多くを重ねてはいない風貌で、恐らく少女といって差し支えはないだろう。
大きく見開かれた目はヒマワリのような色合いで美しく。
そばかすを散らした風貌は、服装も相まって「赤ずきん」のようだと率直に思う。
僕の声を聞いてから多くの間を取り。
ようやく安全がわが身に戻ってきたのだと理解できたのだろうか。
その大きく美しいヒマワリに十分な雫を蓄え始めたのは……、
この後に来る大雨を予想するには十分だった。
(あぁ人が泣くのはどうあれ対応に困ったものだな)
だなんて、自身のコミュニケーション能力の無さに辟易しながら立ち尽くしてオロオロするしかないのだ。
沢山の『聞きたい』を押し殺し、その場に佇むことこそが僕に出来る唯一の配慮だった。
………
あれからどれくらい時間がたっただろうか。
もしかしたら数分かもしれないし。数秒かもしれないが、僕の体感は銀河系を回るが如く孤独に長く永く感じられた。
しかし彼女の通り雨は終わりを告げ始めている。
それを見ると僕は静かに歩み寄りそっと手を握って立たせる。
少女を安心させ、しかし早急にその場を去るために。
「ここはまだ危ないから少し離れよう」
静かに、しかし確かな声で伝える。
仮にこの有機物達が生きていないにしても、薬物中毒であるならば3人とは限らず。
感染症であれば近くて良いことなど何もないのだ。
だから素早く去るに限る。
コクリと頷きながらも握る手はまだ震えていて。
だから僕はもう少しだけ強く握る。
余った手で胸に手を置くと。穏やかさが眠っていた。
それに少しの驚きと残念な気持ちが充満していくのが分かる。
…仕方がないとはいえ、不可抗力とはいえ、正当防衛とはいえ。
生きとし生けるものを殺めてしまうのは感慨深いものだ。
大義名分があればこそなのか。そもそも僕の心が元から壊れてしまっていたのか。
多くの罪悪感を感じすることが出来ない自身にそっと鞭を打つようにこの場を後にする。
ふわりと僕の頬を風がなめる。
まるで『気にするなよ』とでも言いたげな風は
少なくとも物語は動き出した事を告げる。
僕はまだ名前を知らない。
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