91話 露落ちる向日葵
時計塔の下に辿り着くと、フロリアの街はだいぶ落ち着きを取り戻していた。
あれほど無数にいた合成獣たちの姿はなく、冒険者の数も減っている。それに反して簡易テントの数は増えていて、怪我人の治療や炊き出しなどがあちこちで行われていた。
「他ギルドから人員を要請して、特に回復魔法使える人!」
「薬が足りないぞ!」
研究所から脱出した直後よりは静かだが、通りには指示が行きかっておりバタバタと忙しない。正直ジェクスとの戦いでフラフラだったが、今は休める場所を確保するのは難しそうだ。
瓦礫の傍で泣いたり笑い合ったりしている街人に目を留めながら歩いていると、向こうから緑色の革装備を着た男が手を振りながら駆け寄ってきた。
「姉さーん!」
ビオラさんはその姿を認めると、安心したのか肩を緩めて笑顔を浮かべた。
「タック! 無事だったのかい」
「ええ。他の奴らも怪我人はいますが、全員無事です。そういう姉さんの方が重症に見えるんですが……」
額や頬に傷がある無精ひげの青年は、ボロボロであちこち傷だらけになっている彼女を心配そうに見つめている。ビオラさんは苦笑いを浮かべながら肩をすくめた。
「なに、ちょっと燃料切れを起こしただけさ。街の状況はどうだい?」
「冒険者同士で協力して、あらかた合成獣は倒しました。今生き残りがいないか見回っています」
「そうかい、それなら良かった。走り回った甲斐があったね、エチェット」
「はいっ!」
ビオラさんの問い掛けに、エチェットは満面の笑みで頷いた。
俺が居ない間にも、彼女は彼女なりに戦っていたのだろう。そう感じ取れる、力強い笑顔だった。
「旦那さんも、小さい女の子も無事です。……ですが」
そこで、タックと呼ばれた男は言いよどみ、わずかに視線を逸らした。
「何だい、誰か怪我でもしたのかい?」
「いえ……クレマティスが、合成獣の攻撃により……半壊、しました」
ビオラさんの店が、宝物が。
守りたかったものが――巻き込まれてしまった。
俺の脳裏に、壊された教会の姿が過ぎる。だが沈む俺の表情とは裏腹に、彼女はあっけらかんとした顔で告げた。
「なんだい、驚かせないでくれよ。それぐらい直せばいいじゃないか」
明るい声音でそう言った彼女は、それきり安心したように肩の力を抜いた。店が壊されるよりも、誰かが怪我をする方がよっぽど怖いのだろう。彼女の微かな足の震えが、それを物語っていた。
「それよりもタック。すまないが、すぐ近くに休める場所はないかい? 戦闘でずいぶんと消耗してね。手持ちの薬で補えそうにないんだ」
「あ、それなら近くに空いているギルドの救護テントがありますよ。こっちです」
彼の案内で、俺たちは崩壊した建物や合成獣の死骸の脇を通り、テントへと辿り着いた。
四つの支柱を立てて赤い布を張ったその簡易テントの屋根には、ギルドの紋章があり、白い瓦礫の中でもハッキリと目立っている。
「ビオラ様、皆さん! ご無事でしたか」
テントのすぐ傍で被害状況を確認していたギルド職員が此方に気付いた。よく見ればそれは、ギルドフロリア支部の責任者・ゴルダさんだった。
「そう簡単にくたばるもんかね」
ビオラさんはニヤリと笑い、ゴルダさんの背を叩く。どうやら旧知の仲のようだ。
「あたしらで、この騒ぎの元凶とおぼしき奴と戦った。奴の亡骸は時計塔の展望台にある、回収を頼みたい」
「分かりました。そろそろ派遣をお願いしたアーセナル・クルセイダーズの方が来られると思うので、お願いしておきます」
「ああ。それと……」
そこでビオラさんは言葉を切り、ほんの少し俯きがちになった。正面に立つ彼からは、表情を窺うことが出来ないだろう。だが、俺の位置からは彼女の表情がしっかりと見えていた。
ビオラさんは、歯を噛み締め、泣きそうな顔をしていた。
「時計塔の周辺に、倒れている奴がいなかったかい? 見た目は、その……モンスターのようなんだが、あれは――」
「ああ、確認済みですよ」
ゴルダさんは手に持った紙の束をペラリと捲りながら告げた。
「全身に穴が開き、死んでいましたね。ずいぶんと堅いものに貫かれたのか、その下の地面にまで穴が開いていました」
「……え……」
ビオラさんは目を見開き、愕然とした表情を浮かべた。
彼女だけではない。俺たちもまた、同じ気持ちだった。
あの時、確かに助けたはずなのに。ビオラさんもエンリエッタも、命を賭けて互いを守ったというのに。その結果がこれだなんて――。
「……ビオラ様? 大丈夫ですか?」
言葉を失ってしまったビオラさんを、少し困惑した様子で見つめるゴルダさん。彼女に代わり口を開いたのは、カルムだった。
「詳細を、教えて貰えるか」
「は、はい」
言われて、彼は慌てて手にしていた資料の束を抱え直した。
「ええと、時計塔の裏手にモンスターの死骸があるという報告を受けまして。向かったところ、街中を徘徊していた合成獣たちとは見た目が異なる個体が、すでに死んでいる状態で発見されました。額・喉・両手・左胸・腹部・両足の、計八か所に貫かれた傷、それと背中に深い切り傷もありました」
「背中の傷は、ジェクスに刺された時のものだな。貫かれた傷は……あの時目にした鎖使いに、やられたんだろう。恐らくエンリエッタを地上に降ろした直ぐ後だ。ずっと俺たちを監視していて、裏切り行為に走ろうものなら、即処分する予定だったんだろう」
カルムの押し殺した低い呟きに、応える者はいない。場を取り巻く慌ただしさのお陰でようやく時間が進んでいるのだと分かるぐらいに、重苦しい空気が漂っていた。
シンと静まりかえる中、力無く崩れ落ちたビオラさんは、両手で顔を覆った。
「あたしが弱いばっかりに……! エンリは、こうなるのも承知で……」
振り上げた拳を膝へ打ち付け、震える声で叫ぶ。流れ出る雫は頬を伝い、地面にほんの小さな水溜りを作り上げていた。
ジェクスが情報を漏らした裏切者として処分されたのなら、エンリエッタもまた、俺たちを助けた裏切者に他ならない。『敵に与した者は殺す』、これから対峙しなければならないのは、そういう相手なのだろう。
それを分かっていたはずなのに、あの二人はどうして、俺たちに手を貸してくれたんだろうか。
記憶の中にある、まだ人間だった頃のエンリエッタを思い描く。そこで俺は、彼女が大切にしていた物のことを思い出した。
「あのっ! その遺体の傍に、折れた笛がありませんでしたか?」
「笛ですか? はい、回収済みですが」
「それ、ビオラさんの大切な物なんです。調査が終わったら、渡してあげて下さい。お願いします」
頭を下げると、ゴルダさんは困惑の表情をやや緩めて頷いた。
「そうでしたか。即急に調査を終えてお渡しするよう、伝えておきます。では、私はそろそろ仕事に戻りますね。まだ片付ける事があるので。落ち着いたらギルドに顔を出して下さい。……それでは」
最後に心配そうに項垂れるビオラさんに視線をやり、ゆっくりと目を閉じてから、彼は背を向けて遠くに聞こえる声の元へと走っていった。
「ビオラさん」
俺は彼女の傍にしゃがみ込んだ。
「エンリエッタのことを一番よく知っているのは、あなたです。あなたなら、こういう時に彼女がどんな言葉を掛けてくれるのか、知っているはずです」
「…………エンリは」
ビオラさんは、袖で目元を拭いながら、小さく呟いた。
「こういう時……『背筋伸ばして』って、言うんだ」
丸まった背をゆっくりと伸ばし、鼻を啜り――。
「それで、『笑って』って、言うんだよ」
今にも崩れそうな、泣き笑いを浮かべた。
「ほんと、無茶言うよ。あんな顔で言われたら……そうするしか、ないじゃないか」
ビオラさんは立ち上がり、また目元をゴシゴシと拭いた。そして、地面に着いていた両手を腰に当てる。
「……そうだね。エンリは命をかけて守ってくれたんだ。そんなあたしがいつまでもメソメソしてたら、あの子が浮かばれない。ありがとう、ウェス。後輩であるアンタに、教えられちゃったね」
「いえ。俺はもっと色んなこと、教えて貰いましたから」
そう返すと、ビオラさんはニカッとした笑顔を浮かべた。
大輪の向日葵のような、見る者を元気にさせる、そんな笑顔だった。
「さ、テントに急ごう。まずは体を休めないと」
いつもの調子を取り戻したビオラさんは、先陣を切りテントへと入って行った。やや大きめのテントの中には十数人ほどの患者が横たわっており、彼らの間を魔法使いがせわしなく歩き回っている。
そのピンク色の魔女帽子に見覚えがあった俺は、思わず「あっ!」と声を上げた。それに気が付いた女の子は、振り向きながら口元に人差し指を当てる。
「シッ! 静かに……って、あなたたちは!」
その人は、戦いの地へと俺たちを導き、シュバルツェンを逃がしてくれた魔法使い――リシャさんだった。
俺よりもでかい大声に、座っていた軽症の患者たちが揃って「シーッ!」と口にする。彼女は首をすくめて彼らに会釈をし、小走りに駆け寄ってきた。
「ご無事でしたか、良かった! 本当に、本当に……良かった……」
「あああ、泣かないで。そ、それより」
「シュバルツは無事か?」
言いよどむ俺の肩越しに、カルムが問い掛ける。とたんに女の子は口元を引き結び、ある方を指さした。そこには――。
「や、カルム。お互い命拾いしたな」
包帯だらけで横たわる、シュバルツェンの姿があった。