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87話  天賜の力、その代償

「チャンスは一度きり、というわけか」


 カルムは襲い来る剣を雨斬で防ぎつつ、ほんの少し口の端を上げる。


「見せ場だぞ、エチェット」

「うるさいですね、私はあくまで女子ですよ。かよわい乙女が前線に立とうというんですから、普通は心配するものでしょう」


 言いながらも銀の大槌を肩に担ぐその姿は、とても頼もしい。


「いくよ」


 ビオラさんはそう短く告げてから、息を大きく吸いこむ。


「神託者ヴァネッタ・レウの……」

「神託者ジェクス・アルスタッドの名において告ぐッ!」


 ――詠唱!? どうして……!

 重ねられたのは、名だけを変えた同じフレーズだった。ビオラさんは合間に小さく舌打ちをし、先ほどよりも早口で唱え始める。


「――名において告ぐ。ベゼルに収まりし十二の子らよ、竜頭(りゅうず)を引き出し、巡る参の針……」

()傀儡(くぐつ)。愚者を吊る見えざる糸よ、我が意思に従いたまえ!」


 単純に文字数の差で言い終えた彼は、手のひらをこちらに向けた。


「おわっ!!?」


 急に体が浮き上がり、天井近くまで持ち上げられる。念動力のベクトルは無機物だけでなく、生物に対しても使用可能らしい。

 四肢をばたつかせるが、それで床に落ちるわけもなく、体は宙に浮いたままだ。下ではカルム、エチェット、リオネさんが驚きの表情で見上げている。その中にビオラさんの姿が無いので慌てて見渡すと、すぐ横で一緒に浮いていた。対象は俺ひとりでは無かったのか。


「無様だなあ、ヴァネッタ。力を酷使しすぎて脳みそまで減ったのか? 俺の天賜(てんし)の力が一体どれぐらいの限界まで使用出来るのか、お前は知っていたはずだろ?」


 ……テンシの力? なんだ、それは。

 疑問が顔に出ていたのか、俺の顔を面白さそうに見るジェクス。いかにも馬鹿にしている表情だ。今回の神託者である俺が無知であることが、よっぽど可笑しいらしい。


「神託者は総じて神に授かった能力を持つ。それが『天賜の力』だ。人間の身で使用できる能力の限界は各々決まっていて、それを超えた力を発揮した場合、代償が課せられるんだよ」

「……あんたの念動力で持ち上げられる限界は、百キログラムだったかね。代償は全身の痛み――立っているのもやっとじゃないのかい?」


 ビオラさんの挑発に、ジェクスはいやらしい笑みを湛えたまま目を細めた。


「そういうお前の代償は『寿命』だろ。さっきから限界を超えた力をホイホイと使っているけど、いいのか?」

「どうしてそれを……!」

「エンリが喋ったに決まってるだろ」


 いまだ頭を抱え、苦悩しているエンリエッタを顎で示す。ビオラさんは呆然とした顔で彼女を見た。

 自分を裏切り、ジェクス側に寝返ったのだという事実を、改めて認識させられたのだろう。心のどこかでは、そんなことをするはずが無いと否定する気持ちがあったのかもしれない。

 だが、それも一言で呆気なく崩されてしまった。


「じゃあな、ヒーロー。神様に会って、もう一度生まれ変わってこいよ。戻ってくる頃には感染した人間で溢れた、今よりも賑やかな世界になっているだろうよ」


 必死の抵抗も虚しく、俺とビオラさんの体は平行移動し、時計塔の外へと出された。

 下には当然足場になるような物など無く、ビルの何階分に当たるのかは分からないが、とにかく落ちれば無事では済まないことがひと目で分かる。


「くっ!」


 カルムはジェクスに切りかかる体勢で止まっていた。隙を見て攻撃しようとしていたが、俺たちが人質に取られる形になり躊躇(ちゅうちょ)したのだろう。


「一足遅かったな。こいつらはもう助からない」


 唐突な浮遊感が、全身を包む。

 カルムとエチェットの叫び声が聞こえる。もう二度と、彼らと会うこともないかもしれない。そう思うと、恐怖だけでなく悔しさや悲しさもドッと押し寄せてきた。


 嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ、もっと一緒にいたい、共にやり遂げたい! もうこんな別れは嫌だ、絶対に……っ!


 強く念じながら目を閉じる。

 しかし、いつまで経っても全身が叩き付けられることはなかった。


「……ぇ……?」


 痛みすら無い。何か温かいものに包まれているようだ。

 薄眼を開けると、俺の目線は先ほどと大して変わらない位置にあった。胴を何かに掴まれている。

 首をひねって腕の伸びる先を見ると、そこには。


 俺とビオラさんを大きな手で握ったまま時計塔の外へ半身を出した状態の、エンリエッタの姿があった。


「エン……リ……?」


 ビオラさんは何が起きているのかよく分からないという様子で呆けている。当然、俺にも理解が追い付いていない。かつての仲間を裏切り、憎んでいたはずのエンリエッタが――人間であることを放棄し、復讐のためにその身を堕としたはずの彼女が――何故今ここで、俺たちを助けるのか。


「お前……」


 どういう風の吹き回しだ?

 そんなことを言おうとしたように思う。だが、彼女の眼を見た瞬間、言葉が引っ込んでしまった。その琥珀色の瞳には、先ほどまでの獰猛さなど欠片も無かった。穏やかに見返してくる視線には、知性と優しさが感じられ、人間の姿だった頃の彼女を想起させる。

 復讐に身を焦がしていた時よりももっと昔の、ビオラさんの傍で微笑んでいたであろう、もう取り戻せない彼女の姿を。


 胴を握る拳をそっと撫で、ビオラさんは微笑む。

 その対面にいるのは、一緒に旅をしていた頃の彼女なのかもしれない。

 姿が変わっても、例え立場が変わったとしても。この二人にとって旅の日々は、かけがえのない思い出だ。色褪せていったとしても、たまに思い出しては語り合い、また色を取り戻す。彼女がこれから背負う(とが)は大きいけれど、待っていてくれる相手がひとりでもいれば、救いにはなるだろう。


「ありがとう、エン――」

「グォアアアァッ!!」


 ビオラさんの言葉の最中、エンリエッタは鼓膜を震わせる咆哮を上げて体を仰け反らせた。

 視界の隅で赤い飛沫が飛び、床を濡らす。

 しゃがんで両腕を突き出した状態の不安定な体勢でいた彼女の上体は、ぐらりと傾いだ。


「エンリッ!」


 親友を安心させるようにゆっくりと瞬きをしたエンリエッタは、自身の体がずり落ちる瞬間を見計らい、両腕に握った俺とビオラさんを後方へと投げた。

 とっさにカルムとリオネさんが駆けてきて俺たちを受け止める。だが、受け止める者もいないエンリエッタの体は、時計塔の真下へと音も無く姿を消した。


「エンリいいいッ!!」


 キィン、という金切り音が瞬間的に耳に響く。

 何度か経験した、無音の空間に放り出された感覚。すぐに周りの時間が止まっているのだと分かった。ビオラさんは泣きながら走り、時計塔の縁へと身を乗り出す。駆け寄って覗き込むと、そこには空中に身を投げたまま静止しているエンリエッタがいた。

 その背には傷があり、近くに一対の双剣が銀の刃を赤い血で濡らし浮かんでいる。抜いた際に噴き出したのだろう、鮮血の雫が辺りに散らばっていて、まるで赤いビーズのようだ。それが余計に生々しい。


「――神託者ヴァネッタ・レウの名において告ぐ。ベゼルに収まりし十二の子らよ、竜頭を引き出し、巡る参の針……!」


 一心不乱に詠唱を口にしているビオラさんだが、その場に留めておくだけで精一杯だろう。すぐに救出できるような手段など無いからだ。

 時計塔の上にいる俺たちとの距離はすでに離れていて、手を伸ばすだけで届く距離ではない。万が一手を握れたとしても、人間でなくなった体は膨れて重量が増し、人間ひとりの腕力では持ち上げることは叶わない。


「お願い、お願いだよ、エンリを助けたいんだ! 神様っ!」


 必死に神に祈る姿は、ジースとロナを喪い、神に生き返らせてくれと願った時の俺と似ていた。

 だが、彼女は俺と違い神にすがってなどいなかった。親友のために己の命を危険に晒し、また命そのものを賭けるのをいとわないその姿は、俺なんかよりもよっぽど勇ましく、美しく……同時に浅ましくもあった。


「ぐうっ……」


 反動のせいか、苦しげに胸を押さえながら尚も能力を使うビオラさん。エンリエッタの体を降下させては三秒時間を停止し、また降下させている。

 やがてあと残り数メートルという位置まで降ろすことができ、エンリの巨体は豆粒ほどの大きさしか見えなくなっていた。時計塔の上からでは確認することも難しい。

 残り一回。

 三秒時間を停止させて、ビオラさんは荒い息を吐きながら地面に片膝をついた。

 すぐに時間が進み始め、我に返ったジェクスが状況を把握したのか舌打ちをする。


「チッ、お前の能力ほんとうっぜえな。手柄取られちまった」


 なにやら時計塔の外を見てぼやいている。

 何のことだかよく分からないが、エンリエッタを無事に降ろすことは出来た。あとは本人の回復を祈るばかりだ。


「……ジェクス。よくもエンリに刃を突き立てたね……」


 肩で息をしているビオラさんとは対照的に、ジェクスは全身に痛みを感じているとは思えない飄々(ひょうひょう)とした態度で肩をすくめる。


「裏切られたんだぞ、こっちは。裏切者を処分するのは当たり前だろ?」

「どっちが裏切者だい! ククリア神から頂いた力を、世界を滅ぼすために使うなんて……! 恥を知――」


 言葉の最中、ビオラさんは身体を折り口に手を当て、苦しそうに咳をし始めた。それを見たジェクスが、「あーあー」とニヤついた笑みを浮かべる。


「あんたの能力は世界に干渉(かんしょう)するほどの力なんだから、連発なんてしたらすぐにガタがくるのは当たり前だろ」


 刃を赤く染めた双剣が空中を滑るように動き、チャキリと音を立てる。


「ま、そんな力を欲した強欲な己自身を恨むんだな。どれだけ幸せを望もうと、()()()は幸せになんてなれないし、ろくな死に方しねーよ」


 じゃあな。

 そんな呟きと共に、剣は煌めきながらそれぞれ半円を描き始めた。

 二つの刃が重なり合う場所は、動くことも出来ず屈んでいる、ビオラさんの首だ。

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