71話 紫煙と情報
某所にある研究所内部。赤い靴跡が続く廊下の壁は部屋と同じく配管が剥き出しで、どこか遠くから轟々とした音が響いていた。
機械音が反響しているのだろうか。しかしこんな場所で、一体何を造っているというのだろう。この空間に俺を放置して、どう利用するつもりなのか。犯人の意図が掴めない。
壁伝いにそろそろと歩いていくと、今しがた歩いてきた道よりも広い廊下に出た。続く扉の多さにギョッとして思わず身を引っ込め、背中を壁に密着させる。
「あっぶな……!」
ビックリした、こんな直ぐに開けた場所に出るとは思わなかった。
ここは敵の本拠地だ、うかつな行動は命取りになる。仲間がいない以上、己の判断力に全てが掛かっているんだ。慎重に行動しないと。
唾を飲み、意を決してもう一度覗き込む。幸いタイルと扉が並ぶ殺風景な廊下には、人の気配は無い。しかしどの扉が急に開くのか、どこから敵が飛び出してくるのか分からない今は、様子見という建前のもとしばらく壁に張り付くぐらいしか出来なかった。
……こういう時、どうするべきか。
対ゾンビなら背中を向けている隙に後頭部を武器で殴打すればいいが、相手が人間だとそうもいかない。人数の把握もろくに出来ない、警備の有る無しも判断出来ない現状では、敵を倒さず安全地帯を確保することが優先か。
ちらりと先ほどまで自分が居た部屋に視線を戻す。
あの部屋に長く身を置くのは、少なくとも安全では無いだろう。なんせ敵のお頭らしき人物が、様子を見に来ている。
どれだけの規模の組織かは判りかねるが、この部屋に俺が居ることが全体に広まっているのは確かだ。離れれば、すぐさま逃亡したことが拡散され、建物全体の大捜索に及ぶのは間違いない。
「ん~、どうしたもんか……」
点々と場所を替え、身を隠しながら出口を探すのが妥当だろうが――非力で背も体力も無い幼児に、果たしてそれが出来るだろうか。
今の所持品はナイフ一本だ。脱出に大いに役立ってくれた救いのアイテムだが、これだけで建物外へ脱出するのは厳しいだろう。不安要素しかなくて泣きたくなる。というかすでに半泣きである。
エチェットとリオネさん、今頃どうしてるだろう。俺が居なくなったこと、把握しているんだろうか。
心細さのあまりそんなことを考えてしまう。捜してくれているなら嬉しいけど、「散歩にでも行っているんだろう」とか思われていそうで怖い……。
――いや。今は、仲間のことを考えるのはよそう。
頭を振り、すがりたい気持ちを思考から追い出す。
今必要なのは、かつての自分だ。五感を研ぎ澄ませ、視野を拡げて情報を搔き集め、あらゆる物を利用し、ただ自身を生かすことだけを考えてきた、あの頃の感覚を取り戻せば良い。
周りは全て敵で。
自分の全てが、味方だ。
鋭く息を吸い、肺から空気を押し出す。
一度目を閉じてゆっくり開けると、段々と入ってくる情報がクリアになる。
靴音、扉の開閉音は無い。床には赤い靴跡。これは乾いてきた辺りで消えているだろう。引き返してくる危険があるから、追うのは止めておく。
天井、等間隔にライトが付いている。壁の上部に先ほどの部屋にあったのと同じ通気口らしき蓋も見えるが、どこに繋がっているのか分からないので、うかつに這入るのは自殺行為だ。
窓がないところを見るに、ここは地下かもしれない。だとすれば逃げ場を作るのは不可能。あくまで出入口から脱出するか、もしくは……外へ出る物に紛れる。背の低さと小ささを考えれば、後者の方法も決して不可能ではないだろう。
運搬物、廃棄物など全身を隠せるものが理想的だ。背があれば服を失敬して敵にまぎれて脱出する手もあるが、これはどう考えても使えない。
千切れそうなほど思考をフル稼働させつつジッと身を固くしていると、奥に人の姿が見えた。
背が高くて全体的に長細い男と、背が低くて横幅のある男。〝でこぼこコンビ〟と喩えたくなる二人組は、白衣の裾をなびかせながら此方に歩いてきた。とっさに壁を背に付け、気配を押し殺す。
前を通るようだったら元の部屋に駆け込もうと、退路を確認しながら前方にも意識を向けていると、二人はほど近い部屋に入っていった。
扉をくぐる際に胸元の膨らみから煙草の箱を引き出していたので、この部屋には換気設備が整っているのだろう。
休憩時間なのか、会話がうっすらと聞こえてくる。
「ったく、困ったもんだよなあ。気に入らなければ当たり散らすわ物壊すわ、肝が冷えるよ」
「まったくだ。聞いたか? また金で雇った連中を殺したって」
……あの部屋で起きた殺人のことだろうか。
もう広まっているのか。近いうち掃除が入るかもしれない、一刻も早く離れるべきだろう。
早まる鼓動をなだめ、更なる情報を得るために耳をそばだてる。すぐ傍の通路に逃げ出した子供がいる事などつゆ知らず、間延びした声は不平不満を吐き続けていた。
「聞いた聞いた。『パーツが増えたんだから文句言うな』って言ってたけどよ、俺らのことも同列で人間扱いしてないからなあ。いつパーツにされるか分かったもんじゃないぜ」
「違いない。私たちの脳を使った、高知能な合成獣の制作に着手するだろう。ゴミにされる可能性もあるがな」
「あー、前の研究所に居た頃が懐かしいぜ。若気の至りで飛び出してこんな所に来たけど、今となっては戻りてえよ」
そんな後悔を漏らした後、彼らは若い頃の思い出を延々と語り始めた。相当ストレスが溜まっているらしい。これ以上この場に留まっていても、あまり進展は無さそうだ。
しかし断片的ではあるが、確証に近い情報を得た。『パーツ』、そして『あの人』に『合成獣』、『研究員』『金で雇った連中』――合成獣に関しては研究員的ブラックジョークである可能性も捨てきれないが、連結させればごく自然な繋がりになる。
『あの人』は他研究員と共にこの場所で合成獣を造っており、人体のパーツもそれに利用される。
俺を誘拐したのは金で雇った連中で、『あの人』の思惑は先にユエリスを人質としてさらい、その後に俺をこの場所に連れてくる予定だった。
NPC発言も鑑みれば、神託者が裏で合成獣を造っているという事になる。
リオネさんやカルム、ギルドの人たちの反応からして、これは世界的な大事件だ。向こうもそれは重々承知だろうから、知った以上は生きてここから出られないだろう。
どのみち、生かして出すつもりは毛頭無いだろうが。
しかしここまで情報が揃ったところで、なおさら理解できないのが俺に対する奴の固執だ。
同じ神託者だと分かっても、こんなちんちくりんに価値を見出せるとはとても思えない。
「お、通信だ」
外部からの連絡が入ったのか、思考の間も続いていた世間話が途切れる。
「はい、マクベル研究員です。はい、はい……分かりました」
短い会話の後、通話が途切れたのか、片方の声が再び聞こえてきた。
「何だって?」
「前に逃げ出した合成獣が、冒険者連中に捕獲されたってよ。計画を早めるからとっとと来いって。まったく、あんな計画が通ったところで休暇も入らないし、給料が上がるわけでもないってのに」
「どうせ私たちは処分されてしまうさ。だったら今やりたいことをやる、それだけだ」
去り際に愚痴をこぼしながら、でこぼこコンビは来た道を引き返していった。足音が遠ざかり、廊下から再び人の気配が失せる。
「計画を早める」という不穏な言葉がちらついていた。これは一刻を争う事態にまで及んでいるのかもしれない。
けれど今はそれよりも、気の緩みを抑えるのに必死だった。
深呼吸していなければ、先ほどまでの研ぎ澄ませた感覚がパアになりそうだった。
合成獣が、冒険者連中に捕獲された。
カルムの仕事が、終わったんだ。
カルムが帰ってくるんだ。
そうなれば皆、本格的に俺のことを捜し始めてくれるだろう。
視界が端からにじみだし、慌てて袖で擦る。
「――俺だって、やってやるさ」
カルムもエチェットも頑張ったんだ。
今度は俺が、頑張る番だ。