52話 見えない変化
足は、地を踏み締めていなかった。
両腕だけで体を支え、ぶら下がっている状態。辛うじて掴んでいる崖はもろく、心もとない。
それでもすがるしかなかった。
救いの手はどうあっても、俺を二の次にするのだから。
「誰か、誰か来てくれ! 誰かっ……!」
あ、と思った時にはすでに体は宙を舞っていた。
手の中には土くれと砂利しか残っておらず、掴むものすら何も無い。
急激にスローモーションになる視界の中、崖の上に複数の人影が見える。多くは光の反射により誰か認識出来なかったが、ただ一人、たった一人だけ、確認できる者がいた。
俺があの男を見間違えるはずがない。
あの男だけは。
――――……アイツだけは。
ギリ、と噛み締めた歯が鳴る。
燃えるような感情を抱きながら、先ほどまで見下ろしていた深い裂け目へと、俺は落ちていった。
「…………はっ!」
体が震えた振動で目が覚める。
慌てて上体を起こすと、そこは崖下などではなく、森の中に構えた休憩所だった。火は絶えておらず、傍らでカルムが適当に小枝を投げ入れながら本を読んでいる。エチェットとリオネさんは、すでに広げられた寝袋の上で眠っていた。
俺の声に気付いた彼は、本から顔を上げた。
「……起きたのか。どうした、怖い夢でも見たか?」
「あ、ああ……。落ちる夢見た」
「なるほど、だから体がビクッとしていたのか。俺も経験がある。あの現象は〝ジャーキング〟といって、寝入ったばかりの時や、精神的・肉体的に疲れている時、もしくは睡眠姿勢が快適でない時に起こるらしいぞ」
ジャーキング、聞いたことがある気がする。でも確か地球で聞いた言葉だから、この世界の住人であるカルムが知っているはずないんだけど……。
疑問が顔に出ていたのか、彼は苦笑した。
「神託者の著書にその様に書いてあったんだ。本当に凄いな、『神界』は。物事の現象や、生物の仕組み、ありとあらゆる謎が解明されている。想像もつかない世界だ」
「俺たちからすれば、この世界の方が凄いよ。だって魔法で何でも出来ちゃうんだからさ。唱えるだけで火とか水が出てくるなんて、超常現象以外の何物でもないよ」
「超常現象とは大袈裟だな。あれはただ精霊に力を乞い、助けて貰っているだけだ」
「精霊? 神様じゃなくて?」
この世界の魔法詠唱って「我が傍に御座す○○の神よ」から始まるから、てっきり火の神とか水の神がいるんだとばかり思っていた。
「ああ、あれは精霊が喜ぶからそう言っているだけだ。敬えば力を貸してくれる、そういう存在だからな。神でなく本当は精霊を統べる者、例えるなら『精霊王』と言うべきか。この世界において神とは主神であるククリア様、そして信仰の対象である各神託者しかいない」
色んな神様がいるんだとばかり思ってたけど、やっぱり神様ってやつはククリア神しかいないのか。熱心に信仰する人が多くて良い事だ。地球じゃ誰ひとりとして信仰していないのが、何と言うか可哀相だけど。
そんなことをぼんやり思っていると、ふとカルムがこちらをじっと見つめているのに気がついた。
「な、なに?」
「いや……エチェットにも話したんだが、ウェスティンに訊けと突っぱねられたのでな。言いたくなければいいんだが……お前の過去を、聞かせてくれないか」
「ええ?」
俺はあからさまに眉根を寄せた。
ミーハーなカルムのことだ、神託者である俺の情報を知りたいんだろう。今後地球から神託者が生まれるか分からないし、実質『最後の神託者』になるだろうから、貴重に思う気持ちは分からないでもない。けど、話して楽しい事じゃないからあまり積極的に喋りたくはなかった。
「他の神託者とはずいぶん違う人生を歩んできたし、殺伐としてて面白くないぞ。それに俺のことはあんまり神託者として見ない方が良いよ。選ばれたっていうより、後処理を任されただけだから」
そう返すと、カルムは真剣な表情にわずかに違う感情をにじませた。
何でそんな顔をするんだろう。失望させたんだろうか?
「…………そうか。いや、普段の俺の行いが悪いな。忘れてくれ」
彼はあっさりと引き下がり、俺へ向けていた視線を焚火に戻すとまた枝を投げ入れ始める。
「まだ時間もあるから、もう少し寝たら良い。今度は嫌な夢を見ないといいな」
「う、うん」
こちらを見ずに言われた言葉に曖昧に頷き返し、またゴソゴソと寝袋に入り込む。
今度は、悪夢を見ることは無かった。
◆ ◆ ◆
次に目を覚ました時には、すでに朝だった。
「おにーちゃん、おきて!」
「んん、起きる、起きるって……」
いつも通り妹のおはようコールに起こされながら、寝惚け眼を擦りつつ立ち上がる。大人組はすでに朝食の準備に取り掛かっていて、鍋を掻き回すリオネさんの傍でカルムがああだこうだと口出ししていた。
「調味料の分量は適切にだ、入れる順番も守って」
「はい、師匠!」
「師匠はやめろ」
いつの間に師弟関係が成立したのか、カルムに指示を仰いでいるリオネさん。
カルムは料理の師匠としての立場を本気で嫌がっているらしく、眉間にシワを寄せていた。それでもちゃんと頼まれれば教える辺り、律義さや優しさが窺える。
その顔はいつもと同じもので、あの時見たらしくない表情など欠片もなかった。
やっぱりあの時見た彼の反応は、思い過ごしだったのだろうか。
「……ス様。ウェス様!」
「え、なに?」
慌てて反応すると、エチェットが不安そうに俺を見ていた。
「大丈夫ですか、さっきからボーッとしていますよ。あまり寝られませんでしたか?」
「夜明け前に一度悪夢を見て飛び起きたから、あまり熟睡出来なかったんだろう。何なら俺が背負ってもいいが」
「その場合、誰があなたの荷物を持つんですか。だったら私がウェス様を背負います!」
エチェットとカルムは相変わらずああだこうだと言い合っていて、やっぱりおかしな部分などまるでないように見える。逆に俺の方が気にし過ぎて、おかしく思われる始末だ。
きっと気のせいだったんだろう。彼が普段通りなら、それほど思うところも無かったに違いない。俺が過剰に気にしているだけで、彼にしてみたらきっと大した意味はないのかもしれない。勝手にそう納得して、荷物を纏めはじめる。
目指すはフロリアだ。そこでギルドへ寄り、魔法協会へ連絡を取って、合成獣の調査と可能であれば討伐をして貰い、リオネさんが無事に森へ帰れるようにする。
ゾンビ退治という大名を受けている以上は寄り道出来るような余裕もないが、困っている人を見捨てる道理もない。
きっとこのわずかな助力が、後々に幸運として回ってくるのだと信じよう。
フロリアまであと少し。
遠回りだけど、確実に前へと進んでいる。
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