51話 なん……だと……?
「カルムーッ!! カールームーッ!!」
名を呼ぶと、黒い背中が勢いよく振り返った。
姿を認めたとたんに笑みを浮かべて立ち上がりかける。が、彼は何かを察しギョッとした顔になった。
「ウェ……ッ!?」
構わずそのままの勢いで突っ込んでいく。
「不良品渡すんじゃねえええぇぇッ!!!!!」
「ふぐぅっ!?」
全力の飛び蹴りがどてっ腹に炸裂し、彼は仰向けに倒れ込んだ。
その上に馬乗りになり、喉元に不良品の杖を突きつける。
「身を案じてくれるのは心底嬉しいんだけどな。せめて使える物を渡してくれ、な?」
「え、つ、使えなかったのか?」
俺を見上げながら、カルムは状況が理解出来ていないという風に疑問符を飛ばしている。
見かねて後ろで待機していたリオネさんが進み出てきた。
「失礼、私はリオネという者です。真っ暗い森の中で明かりもなく佇んでいるこの子を見つけ、保護しました。あなたがこの子に渡された簡易ロッドは、正規品ではなくポルテノ商店の粗悪品です」
「なん……だと……?」
よっぽど困惑しているのか、普段初対面の相手に見せる警戒などまるでなく、リオネさんを見返している。
「あの商売人は、『エスタロット様御用達の店』だと言っていたぞ!」
「そんなのタチの悪い売り文句です。エリス・ガーディアンはチグルス様のところから直接送って頂いているんですよ」
雷に打たれたように大口を開け固まるカルム。
「あの、ポルテノ商店って?」
俺の問い掛けに、リオネさんは嘆息しながら答えた。
「いわゆる偽の商品を製造・販売している店よ。他にも違法販売している所はあるんだけど、その中でもポルテノ商店は技術力だけは優れていてね。隠れた場所に製造所を設けて、人を雇って冒険者の往来が激しい場所で販売しているの」
それから、カルムに馬乗りになっている俺の頭にポンと手を乗せる。
「お子さんの身を案じるのであれば、まずは正規品と、そうじゃない物の見分け方も知っておいた方がいいですよ。父親として」
「……ん、父親?」
カルムの片眉がピクリと動く。
このままだと今までの経験上、「こいつは神託者だ」と言い出しそうだ。怪しまれるぐらいならまだマシで、下手したら通報だってされかねない。詐欺を働いてると勘違いされてもおかしくないのだ。
仕方がない。俺の過去を知っているエチェットの前でこの手は使いたくなかったが、やむを得まい。
「パパ、お腹空いた! 早くご飯食べたい、パパ!」
カルムの上着を引っ張り、わざと『パパ』を強調する。
彼は何事か分からないという顔で俺を見ていた。この野郎、恥ずかしいんだから早く気付いてくれ。にぶいにも程があるだろ。
そう思っていたら、ひょいと抱え上げられた。傍らで見ていたエチェットだ。
彼女は俺を抱き上げたまま、カルムから少し遠くの位置にある切り株へと座らせる。
「よしよし、怖かったでしょう。だから言ったじゃないですか、一緒に行くって。もう怖いものなんて無いですよ。あんなダメなパパなんて放っておいて、ママと一緒にご飯食べましょうね?」
頭を撫でられながら、肉や豆がこんもりと盛られた皿を手渡される。瞬時に顔が赤くなるのが自分でも分かった。
ダメだ。カルムの時は別に何でもなかったけど、エチェットをママ扱いするのはなんというか、ダメだ。恥ずかし過ぎる。
気を紛らわすためにスプーンを口に運ぶ。あのマズ……未知との出会いを果たした今、俺にとっては至高の味に感じた。エッカさんの手料理を食べたら、泣くどころか昇天しそうだ。
俺の頭を撫でながら、エチェットはリオネさんの方を向いた。
「それで、あなた……リ、リオ……リオデジャネイロさん?」
それはブラジルの大都市だ。
「リオネです。この辺りに住んでいます」
名前を間違えられても、リオネさんは顔色ひとつ変えない。この中では間違いなく大人だ。
「最近この辺りで失踪や誘拐事件が頻発しているので、事前に防げないかと自主的に保護活動をしていました。そこでこの子に出会い、あなた方の元へお返ししようとしたのですが……、その……」
急に暗い表情になる。
俺は残りをかき込むと、皿を膝に置いてカルムとエチェットを見据えた。
「合成獣に会ったんだ。多分人とドラゴンを合成した生き物だ。そいつが赤ん坊くわえて、この森の中を徘徊してた」
カルムは目を見開いた。先ほどの驚きとはまるで違う、冒険者特有の研ぎ澄まされた表情。
「合成獣って……もうずいぶんと昔に禁止になったはずだ、それがなぜこんな森の中に!」
「んう……」
カルムの大声に、ロズを抱いて寝ていたユエリスが身じろぎをする。
しかし起きる気配はなく、またスヤスヤと気持ち良さそうに寝入ってしまった。それで我に返ったのか、彼は少し気持ちを落ち着けて静かな声で続ける。
「では合成獣を作っている何者かが、この近くに潜んでいる可能性があるということか。その失踪・誘拐事件との関連性は?」
「現時点では何とも」
リオネさんも声を潜めて答える。
「そもそも、今回の件で私も初めて知りました。とても個人で解決できる問題では無いと思うので、エリス・ガーディアンを派遣して貰った方が……」
「そうだな。モンスター単体なら冒険者でどうにか出来るが、人の手が関わっているとなれば、俺たちではどうにも出来ない。とりあえずギルドを通して、魔法協会へ連絡を取ろう。幸いフロリアまであと少しだ」
意外にも協力的なカルムの提案に、リオネさんは安心した様子で頷いた。あの生き物と遭遇した時の恐怖は抜けきったのか、とても落ち着いているように見える。
やっぱり傍にいるのが子供一人だけだと、「私が守らないと」という気持ちが強く出て安心できなかったんだろう。男としてはちょっと不甲斐ないけれど、彼女が安心出来るようになって良かった。
心から安心したせいか、リオネさんのお腹がぐうと鳴った。そういえばあのクソマ……焼き菓子を結局食べなかったんだよな。それであれだけ緊張していれば、お腹も空くだろう。
「少し残っているので、よければどうぞ」
エチェットが焚火の傍に置かれた鍋を持ち、残った中身を皿にあける。リオネさんは「ありがとうございます!」と嬉しそうに受け取り、品よく食べ始めた。と思ったが、一口食べただけで輝かんばかりの笑顔になり、足をバタバタし始めた。どうやら感動しているらしい。
「すっごい美味しいですね! 料理人でもやっていたんですか!?」
「いや、冒険者一筋だが」
「弟子入りさせて貰ってもいいですか!」
「ひ、人に教えられるような腕ではないんだが……」
珍しくカルムが気圧されている。なかなか面白い光景だ。
助けてくれという視線を感じるが、俺はもう残念ながらおねむの時間だった。かなりまぶたが落ちかけている。
「もう眠いですか?」
エチェットの優しい声がすぐ傍で聞こえる。
「ん。あ、そうだ……水、汲んでこれなかった……」
「良いんですよ。ゆっくり休んで下さい」
また抱えられる感覚がする。
眠気に勝てなかった俺は、そのまま足掻くことなく、まどろみの渦へと身を投じた。