44話 エンカウント
そのドラオン――もといドラゴンは、ユエリスが両手を広げてようやく持てる大きさの籠にちょこんと収まっていた。
かなり小さいから赤ちゃんだろうか。可哀相なことに、背にある両翼の右側だけが引き千切られたように無くなっていた。傷痕を見るにすでに完治しているようだが、根元から無くなっているのが何とも痛々しい。これでは大きくなっても、将来飛べることはないだろう。
「ピンク色のドラゴン……ですか? 珍しいですね」
エチェットとカルムも鳥かごを覗き込む。大人がやって来たことに気付いてか、気だるげに座っていた店主が愛想笑いを浮かべて饒舌に喋りだした。
「レッドドラゴンだよ。稀に生まれつき色素が薄い個体がいてな、そのせいでピンク色なのさ。こいつは翼を食われて飛べなくなっちまったから、食材用に売ってるんだよ」
「食材っ!?」
唐突に言われた言葉に愕然とした。
こんなに可愛い見た目をしているんだぞ。小さくて、覗き込むユエリスをくりくりとした瞳でじっと見返していて、こんなに大人しい善い子なのに。
「食べるなんて、そんな……」
俺の呟きに、店主は困ったように頭を掻いた。
「そうは言ってもねえ。飛べないドラゴンなんて使いようもないし、自然に還しても、どうせ食われるだけだから」
しょうがないという理由は分かる。ドラゴンは成長すればかなり大きくなるから、番犬代わりに使うのも難しいのだろう。
ピンク色のドラゴンは喉を鳴らし、俺を見つめている。その薄い黄色の瞳が、助けて欲しいと訴えているような気がした。きっと気のせいだろうと頭の片隅で思うが、どうしても視線を外せない。
しばらく見つめ合っていると、ドラゴンが急に檻の格子を噛みはじめた。
やっぱり出して欲しいんだろうか……そう思いながら何の気なしに指を格子の隙間に差し込んで動かしていると、ドラゴンは噛むのをやめ、興味深げに顔を寄せた。フンフンと嗅ぐ仕種をしている。
それを見たカルムが慌てて俺の肩を掴んだ。
「やめろ、噛まれるぞ!」
驚いて、慌てて引っ込めようとする。その瞬間に、指先に慣れない感触がした。
──舐められている。
まるで甘えるように、小さな舌で指先を丹念に舐めている。かと思えば、「撫でて」と言わんばかりに頭をこすりつけてきた。猫の愛情表現のようだ。
「……噛まないけど?」
カルムの方を見ると、彼は困惑した表情で頭を掻いた。
「普通は子供ドラゴンでも凶暴だし噛むんだ。そいつは人慣れしているから大人しいんじゃないのか?」
モンスターが人慣れって、そんなことあるんだろうか。この世界のドラゴンは人に対して警戒心が強いんじゃなかったか?
カルムの言葉に、店主は大きく頷いた。
「その通り。こいつは元々、エリス・ガーディアンの機動隊用に育てていた個体だ。人の手で育ててきたから人慣れしているんだよ」
「エリス・ガーディアン?」
「アーセナル・クルセイダーズの別称だ。そう呼ぶ人もいる」
カルムが丁寧に解説を挟んでくれる。
機動隊……龍騎士ってやつだろうか。乗り物として扱えるようにドラゴンを繁殖させて、人の手で育てているのか。しかし人工保育しているのなら、なおさら丁寧に育てられていたはずだ。何故こいつの翼は片方無いのだろう。
店主は大きな溜息をついて続けた。
「こいつはドラゴンの中でも気弱な奴でな、子供同士の喧嘩に負けて翼を食われたんだ。いつもなら飼育員が止めるんだが、ちょうど目を離している隙だったらしい」
子供ドラゴンの喧嘩ってじゃれ合いのレベルではなく、食うか食われるかなのか……。弱肉強食の世界だ。
「すぐに気付いて離されたから翼だけで済んだが、飛べない上に気も弱いんじゃ、戦力としては使えない。食材として売るしかないってんで、オレが譲り受けたんだ。しかしチビで痩せっぽちだから、食材としてもなかなか売れなくてな。兄ちゃん、買ってくれんかね?」
やはり保護者に見えるのか、カルムに視線をやる店主。
「幾らだ?」
「オマケして三万バリスだ」
「……少し高いな」
お前が食いついてたブレスレットよりはよっぽど安いだろ。
「どう思う、エチェット?」
窺うと、彼女は少し微笑んで言った。
「ひとつの命を助けられるなら、安い出費だと思いますよ。お金は減っても働けば増えますが、命は亡くなればそれきりですからね」
その言葉に、背を押された気がした。
そうだよな。こんなに小さな命を見捨てて世界を救っても、後味悪いし。三万バリスで救えるのなら、迷うことないよな。
「……おじさん、このドラゴン下さい!」
「あいよ、毎度あり」
こうして新たに、飛べない子供ドラゴンがパーティーメンバーに加わった。
協議の結果、ピンクドラゴンには『ロズ』という名前が付けられた。
エチェットは『みーちゃん』、ユエリスは『ドラちゃん』、そしてカルムは『雨斬』という名前を挙げたが、けっきょく俺が挙げた名前が満場一致で選ばれた。(ちなみにカルムの出した名前に関してツッコむ奴は誰もいなかった)
体色の可憐さから付けた名前だったが、意外と本人からも好評で、名前を呼ぶとすぐに反応してくれた。籠から出したとたんに肩を登ってくれた辺り、けっこう懐いてくれているらしい。
「みゃ! みゃあっ!」
嬉しげに鳴いているロズは、右肩と左肩を交互に行き来して忙しない。尻尾をブンブン振っていて、たまに耳にバシバシ当たるのが非常に気になる。
「ふふ、ウェス様に懐いていますね」
エチェットは癒される光景として見ているのか、とろけるような笑顔でこちらを見ている。大人しい奴だと聞いて肩に乗せてはみたが、ここまで興奮するとは思わなかった。足を踏み外して落ちないといいんだけど。
首もとを撫でてみると、喉を鳴らして手に擦り寄ってきた。こんな穏やかな性格だから、喧嘩にも負けてしまうんだろうな。
「変わった鳴き声だな」
懐いているのを見て警戒心を解いたのだろう、カルムが撫でようと手を伸ばす。
フンフンと嗅いだロズは、ごく自然に大口を開けてガブリと噛み付いた。
「……あの店主、嘘をついたな」
手を噛まれたままのカルムが、暗雲を背に低い声で呟く。
「ロズ。カルムは仲間だから、噛んじゃ駄目だぞ?」
軽く叱ると、聞き分け良く口を離した。人慣れしているだけあって、元々躾自体は行き届いているみたいだ。
「カルムさんはよくモンスターを狩っているから、手に染み付いていて分かるんじゃないですか?」
エチェットの容赦ない言葉に、彼は愕然とした。
「なにっ!? 手はしっかり洗っているぞ!」
「いえ、そういう意味ではないんですが……」
「あっ、ほら二人とも! 出口だぞ!」
喧嘩になりそうな空気を誤魔化すため、慌てて先に見える景色を指さす。
門の外には、草原や林道とはまた違う、植物が生い茂る鬱蒼とした道が続いていた。いかにも小型モンスターが出そうな雰囲気だ。
好奇心から自然と足取りが軽くなっていた俺は、我先にと駆け出していた。
「ウェスティン、危ないッ!」
「え?」
振り返ると、呼び止めたカルムが剣を抜いてこちらに向かっているところだった。
一体どうしたんだ、そう思った瞬間にロズが肩から飛び降りる。
「ぴゃっ!」
甲高い鳴き声を上げて跳躍したロズは、よろめきながら着地して草むらの影に噛み付いた。
「キュウー!」
「ぴゃっ、ぴゃ!」
草をガサガサ言わせながら、もつれ合う二匹の影。すぐに一匹の白いモンスターが転がり出てくる。
長い耳に赤い目。見た目的には兎っぽいが、額と背中に小さな角が生えていて、とても大人しい種類には見えない。尻尾もちょこんとした兎独特のものではなく、細長くて先の丸い部分にやはり棘が付いていた。
「何だコイツ!?」
「スティングラビット、通称『新米殺し』だ。こいつの針には毒があって、二ヶ所刺されると昏倒し、三ヶ所刺されると致死量に達して死ぬ」
カルムは剣を構えた体勢のまま答えた。その隙のない眼光から説得力を感じ、強く実感する。
俺たちはもう、モンスターたちの領域に足を踏み入れているのだと。