01話 落ちかけた陽の下で
この世界はもうおしまいだ。
そんな悲観的な言葉が行きかっていた時代も過ぎ、いよいよ人の姿さえ見かけなくなってきた現代。
俺たちは今もなお、ゾンビという脅威にさらされ続けていた。
「やっと……着い、た……」
浮かんだ汗を拭い、顔を上げる。
頭上には、大きく「常木商店街」という文字が掲げられていた。アーチの電飾は錆び果て、先に続く廃墟感をより強く演出している。
「案外、たどり着けるもんなんだな……」
荷物ごと地図を盗まれ、挙げ句に遭難した時はこのまま死ぬんじゃないかと思ったけど――……俺の人生、やっとツキが回ってきたのだろうか。
重ねて運の良い事に、通路には誰の姿もなかった。
警戒のために立っている者もいなければ、どこかのグループの拠点になっているような様子もない。ただ閑散とした風景だけが、延々と続いている。
主を失い倒壊した建物の群れに、腐臭が漂ってくる生鮮食品店。壁面のガラスが割られたコンビニ。使い物にならない商品が床に散らばる店先。
かつて人の賑わいがあっただろうこの場所は、もはや『ゴーストタウン』と称した方が的確なほどに寂れきっている。
もっとも現れるとすれば、幽霊ではなく歩く死者――ゾンビだろうが。
「ざっと見た感じ、いなさそうだな」
注意深く見渡しても、俺以外に動くものはなかった。せいぜいボロ布と化した幟がはためいているぐらいか。
動かない者なら一人、傍に転がっていたが――起き上がりそうな奴でないのは、一見して分かった。
汚れたセーターにスカート、毛先だけ茶色く染まった長い髪。
剥き出しの肌は寒くなってきたからか、それほど腐敗は進んでいない。腹部に開いた大穴からは食い散らかされた中身が覗いているが、直接的な死因はこれではなく、頭にある銃痕だろう。
手が半端な形に開いているので、自分で撃った可能性が高そうだ。
傍へとしゃがみ込み、腰から抜いたナイフの切っ先を彼女の衣服のポケットに引っ掛ける。そのまま中を探るように動かしてから、俺はため息とともに立ち上がった。
「……さすがに無いか」
銃も含め辺りに荷物が無いので、あらかた盗られた後だろうとは思っていた。
ふと、彼女の顔に掛けられた布きれが目に留まる。……誰かの温情だろうか。
今時こんな酔狂な奴がいるだなんて、まだこの世も捨てたものではなさそうだ。
――二十年前のあの日。
小さな田舎町が日本中の注目を集めた日から、俺たちを取り巻く世界は大きく形を変えた。
きっかけは山中にある研究所から、人に感染する危険なウイルスが発見された事だ。
のちに『unknown』と名付けられたそのウイルスは、名前の通り未知の部分が多く、現代技術をもってしてもワクチンはおろか有効な薬すら見つけられず、抗体も採取できなかったという。
ただ分かっていたのは、感染した人間は体が崩れ、自我を失い、肉や臓物を本能で求めるようになる――本物のゾンビのようになってしまうという事だけ。
そこから人々の共通認識は、『ゾンビウイルス』で固まった。
奴らに噛まれた者は感染し、ゾンビと化して新たな獲物にかじり付く。
それにより被害は拡大し、十年のうちに全世界へと伝播し。残りの十年でどうなったのかは、想像にかたくないだろう。
政治も、交通機関も、報道も、電気も。
国を形作るシステムのすべてが崩壊し、今じゃ金銭さえ役に立たない。大昔のように物でやり取りし、バリケードで固めた土地に畑を作り。残った人間は、そうして細々と生きている。
集落を作って助け合いながら生活している者がほとんどだが、中には俺のように一人で旅をする者もいる。
孤独ではあるが、収穫物を誰かに分け与える必要がないのは大きい。それに集団ならではの危険もあるから、そういう煩わしさからは解放される。
ただ当然リスクもあって、そのせいでここに辿り着くまでに、俺はずっと空きっ腹を抱えて歩いていたのだった。
「せめて食べ物でも供えてくれてればなぁ……」
ボロボロの布切れじゃ、なんの足しにもならない。
遺体を前にため息をこぼし、鳴き声すら上げなくなった腹をさする。
俺――御崎成哉は現在、手元にあった荷物のほとんどを失っていた。三日前に夜盗に遭い、ゴッソリやられてしまったのだ。
尾行されているのは感じていたが、まさか丸一日追ってくるとは。寝不足やら栄養失調やらが祟って弱っているのを見て、狙い目だと思われたのかもしれない。
ナイフ一本と、ご丁寧に残してくれたリュックだけはあるものの、中身はものの見事にすっからかんだ。
備蓄していた食べ物も衣服も、食糧のある場所を記した地図さえ無くしてしまった。
これで危機感を覚えないわけがなく、しばらくは記憶を頼りに地図の場所をめざし、野草も生えないコンクリートの地面をひたすら歩き続けた。
どこの家も冷蔵庫は役立たずで、見つけた畑は掘り返されてボコボコ。コンビニもスーパーも空っぽ。
今にも倒れそうになりながら、ようやくここに辿り着いたのだ。
やっと見つけた無人の街。
休息を取れるのは嬉しいが、さすがに死に場所にはしたくない。
「……っよし! 食糧を探す前に、まずは拠点の確保だな」
ぴしゃりと頬を叩き、改めて周囲の確認をする。
店の多くはシャッターが下りているが、役に立たなかったことが容易に想像できるほど破壊されている。大半がそんな状態で、拠点にするにはあまりにも無防備と言えた。
散々歩き回ったすえ、結局条件を満たしたのは、商店街の一角に建っていたレトロな外観の店だけだった。
二階建ての住居の、一階部分にある店舗『洋食屋ぽあろ』。
此処が滞在するあいだの拠点に選んだ場所だ。外観が少し古びているのが気になるが、扉も窓も壊れていないし、数日寝泊りするぐらいであれば申し分ないだろう。
「失礼しまーす……」
ピッキングで開けた扉からこっそりと覗く。
カーテンの隙間から見えた通り、死体も無ければ誰かが住んでいる様子もない。
茶色い革張りのソファー、クロスが掛かったテーブル。白い壁を飾る絵画。そこかしこに埃が積もっているが、掃除さえすれば普通に住める状態にはなりそうだ。
窓のロールカーテンを引くと、陽は落ちかけ、すでに空は夜の顔を見せ始めようとしていた。
背負っていたリュックを下ろし、手近なソファーに腰を下ろす。
「ふあぁ、ぁ」
とたんに睡魔が襲ってきた。沈み込む感覚に、しだいに頭がボーッとしてくる。
……マズいな。数分休憩するだけのつもりだったのに、一度腰を落ち着けただけでこれだ。まだ中も見回ってないというのに。
気持ちとは裏腹に四肢からは力が抜けるばかりで、完全に身を任せる状態になってしまっている。
でもまあ、鍵はもともと閉まっていたし。
窓も破壊された跡がなかったから、そう焦る必要も……。
そんな言い訳を並べながら、頭を背もたれに預けた時。
カタン、と。
ほんの微かな物音が、耳に届いた気がした。
「――――誰だッ!」
反射的に立ち上がり、鞘からナイフを抜く。
呼び掛けに対し反応は無かったが、やはり同じような物音がした。明らかに何かがいる。
奥にある調理場の方からだ。
武器を構え、音のする方へ近寄ってみる。
扉を開けると、音はハッキリと聞こえるようになった。冷蔵庫やステンレスの調理台、棚などが並ぶ中に、蠢く影を見つける。
皮膚がただれ、所どころ剥き出しになった肌。
片側だけ異様に飛び出した眼。凶悪な牙。
盛り上がった背に浮かび上がる骨。
床に散らばる白い無数の欠片は、犠牲者の存在を知らしめていた。落ちた包丁、床に広がる茶褐色の染み。それらを踏んでいる餓鬼のような背中が、前振りもなく急に振り返った。
「……ギギッ」
俺の姿を捉えた瞬間、ヤツは一目散に飛び掛かってきた。
「ギ、ギギャギャッ!」
それをかわし、狭い調理場を離れようときびすを返す。辺りを破壊する勢いで迫ってきたゾンビは、耳障りな鳴き声を上げながら爪を振りかぶった。
「ギッ、ギギィ!」
「くっ!」
辛くも回避すると、調理台の天板に刺さりガリガリと削られる。人体ではどうなるかなんて一目瞭然だ。
ゾンビは獲物である俺の姿を改めて視界に入れると、こちらに目がけて跳躍してくる。
「ックソ!」
右に避けると、相手は背後にあった棚に盛大にぶつかった。ボウルやザルが頭上めがけて降りかかる。
それを好機と見た俺は、ナイフを突き出せる姿勢で一歩前に出た。
――その時だった。
「いッ……!?」
頭に割れそうな衝撃が走り、手からナイフがこぼれ落ちる。
額に手を持っていくと、温かさとぬるりとした感触があった。傍に金属製の大きな秤が落ちているのが目に入る。その角は、手のひらと同じ赤色に濡れていた。
脳が揺れて歪む視界に、起き上がる姿が見える。
そいつはひと鳴きすると、ニイッと悪魔じみた笑いを浮かべ、憐れな獲物へと再び襲い掛かった――……。
◆ ◆ ◆
「……う」
耳に届いた苦しげなうめき声に、薄く目を開く。
一体どこから聞こえてきたのかと思ったが、自分の喉から発せられたものだと気付いた時、今まで寝ていた事をようやく察した。
起き上がろうとするが、全身がダルくて力が込められない。
頭と右肩がひどく痛い。それに、さっきから聞こえてくるこの水音は何だ?
ぐちゅり、ぐちゅ。やや粘着質な音に、獣のような荒い吐息が混じっている。
右肩にかかる生暖かい空気。もはや日常的に嗅いで慣れてしまった、生物が腐敗していく臭いが鼻腔をかすめる。嫌な予感がした。
「嘘、だろ……?」
そこには――組み敷いた姿勢で俺の肩に噛み付いている、ゾンビの姿があった。




