12話 悪夢の訪れ
――たまに、夢を見る。
魔法が当たり前に存在するヴァルアネスとは違う、人類の英知の結晶である『科学』という技術が発達した、異世界での暮らし。
そこで自分は、確かに生きていた。
そして、見ていたんだ。
ゾンビウイルスが徐々に人々を狂わせていく様を。
人の頭脳をどれだけ寄せ集めても、役に立たなかった現実を。
なす術もなく減らされていき、やがて隣人すら怪物に変わっていく現状を。
泥だらけになりながら。
血を垂れ流しながら。
後ろを振り返りながら、ただ、見ていた。
唯一の肉親だった、母さんすら置き去りにして。
その冷たくなった手の感触すら、思い出せないまま。
〝この体〟には何ら馴染みのない、近くて遠い世界の記憶だ。
それでも鮮明に思い出すのは、未練として深く根付いているからか。それともこちらの世界に待ち構えている未来が、同じものだからなのか。
どちらなのかは、分からないけど。
最近差し出されるようになった複数の小さな手は、きっと俺の、すぐ傍にある。
◆ ◆ ◆
クルスについて訊いた日から、二か月が過ぎた。
あれから約束通り、神父様は勉強と剣術の稽古を付けてくれた。
早朝と昼にターナーと一緒に剣術を教わり、日中のほとんどの時間は礼拝や掃除、畑の管理や売り物の制作にあてられ、夕方以降に勉強会。
以前よりも頭と体を酷使する生活に、初めの頃こそすぐにダウンしていたが、今はもうだいぶ慣れてきた。
だけど、どう頑張っても抗えない事があった。
――幼児の体は、夜に弱い。
「おーい、ウェスー? 机で寝るなよー」
今日も例のごとく頭を突かれ、ハッと我に返る。横に座るエッカさんの呆れ顔が、寝ぼけ眼でもはっきりと映った。
これで三回目だ。頬を叩いて目覚めようとするが、また頭と視界がぼやけてくる。子供の時って、こんなに夜眠くなるもんだったか?
「ふぁい。らいじょうぶれす」
まわらない口で何とか返事をし、手から滑り落ちそうになっていた鉛筆を握り直す。背筋を正したものの、しだいに頭が垂れていき、額が机にゴツンと当たった。
「聞いてるかー。ウェスー?」
いつの間にか閉じていたまぶたを開こうとするも、錆び付いたシャッターのごとく重い。指で押し上げながら格闘していると、腕を掴まれた。
「そこまですんな。続きは明日にしよう」
「けど、あんまりすすんでにゃい……」
「語尾がグニャグニャじゃねーか。ほんと無理すんなよ、子供はもうとっくに寝てる時間だ。今何時だと思ってんだよ?」
壁に掛かっている時計を見る。
二十二時を指していた。
「よるの十時……」
「さすがはうちが誇る天才児、眠くても時計の見方はバッチリだな。でもそういう事じゃない、とっとと寝ろって言ってんだよ」
エッカさんは渋る俺の体を抱っこし、強制的に部屋から退出させる。これもいつも通りだった。
途中で寝落ちして朝ベッドで目覚めるパターンもあるが、やはりわざわざベッドまで運んでくれているのだろう。世話を掛けて申し訳ないが、子供特有の突然くる眠気には勝てない。
ここのところ、毎日一時間半から二時間ほどの勉強を受けている。
基礎はある程度覚えたので、これからは応用だ。
どうやらこの体の脳みそは、前世のものよりも高性能らしい。
意識自体はどう足掻いても俺なので、活用出来るかは別として、物覚えが早いのはとても助かる。
剣術の方もなかなか順調で、先輩であるターナーを越す勢いで身についている。
最初の方こそ連敗続きだったが、最近ようやく勝てるようになってきた。しかし、神父様との手合わせで勝てたことは一度もない。
いつか勝てたら良いなとは思うが、きっとずいぶんと先の話だろう。
柔らかい布が掛けられる感触と、木が軋む音が体の下から聞こえてくる。どうやらベッドに着いたらしい。
「おやすみ、ウェス」
とろけた意識の中、甘やかな声がすぐ耳元で聞こえた。
額にかかった前髪を払う指の動き。肌を滑るように漂う、ふんわりとした優しい香り。
それにどこか懐かしさを覚えて、無意識に口元がほころんだ。
――ああ、母様だ。
まどろみの中で、ぼんやりと浮かぶ姿に手を伸ばす。
病気がちで、体が弱かった母様。いつも寝顔を見に来ては、俺を起こすまいと咳を苦しそうに我慢していた。我慢しなくていいよと言いたかったけど、結局すぐに寝てしまい、言えないままだった。
今なら言えるかな。
ずっと言いたかったんだ。
「かあ、さ……」
無理しないで。
もう心配なんてさせないから。母様どころか、世界まるごと守れるぐらい強くなってみせるから。
ゾンビなんて、全部やっつけてやるから。
そしたら家の外に花を沢山植えて、花畑を作ろう。約束したもんね。
あれ、約束したのって母さんだっけ?
……どっちでもいいか。
二人とも守ればいいんだから。
吐息に混ざる微かな笑いが、耳朶をくすぐる。
「まだまだ子供だな」
子供じゃない。子供じゃないんだよ、母様。
体が大きくなりさえすれば、俺はいつだって二人を守れるよ。
そういう力を、神様から授かったんだから。
守れるよ。みんなを。
【――本当に?】
やけに冷たい声と共に、ふいに無重力の空間に放り出された心地がして、閉じていたまぶたを開ける。
真っ暗で上も下かも分からない空間に、たった一人たたずんでいるのに気がついた。
黒一色の世界だ。おまけに何だか底冷えがして、体が震えてくる。
【本当に守りたいのか?】
どこからともなく聞こえてくる声は、力強い女性のようでもあり、地の底から響く恐ろしい声のようでもあった。
ふたつが混じり合い、体の産毛が逆立つほどの醜悪さを感じる。
何故だろう。この声を聞いていると、酷く不安になってくる。
「ま、守りたいよ。だって俺にとっては大切な……」
【お前を捨てた連中も守るのか?】
被せられ、二の句を継げなくなる。
捨てた連中、親族たちのことか。確かにあいつらは母様や父様の血縁とは思えないほど身勝手で、傲慢だったよ。
浅ましく自分を飾り立て、周りには関心を抱かない。
俺に対してはそれが顕著で、厄憑きとか言う割に何も行動に起こそうとはせず、遠巻きにしていた。いっそ居ない者扱いされた方がマシだったと思えるぐらい。
必死になって俺を庇ってくれた母様の悪口まで言っていた。
それが一番許せなかった。
「確かに、あいつらも一緒に守ると考えたら少し癪だよ。……だけど」
あいつらにも、守りたいものがあったのかもしれないんだ。
叔母様にとっての父様みたいに。
「守りたいものだけ守っても、きっと意味がない。自分が不要なものでも、見捨てたら悲しむ人はいるだろ?」
答えに対する返事はなかった。
耳が痛くなるほどの静寂が、辺りを包んでいる。心細さがつのってきた。
これ、夢かな。だとしたら早く目覚めたい。
【――愚かだな】
膝まで震えだした時、ようやく声が聞こえてきた。見下しているのが口調で感じ取れる。
【どうやら、まだ足りないらしい】
投げやりに言われた言葉を最後に、黒一色の世界がじわじわと白に侵食されていく。
足から包まれるような暖かさが戻ってきたが、依然として不安感は拭えなかった。
……何が足りないんだ?
言おうとするが、言葉が出てこない。かすれたうめき声だけが漏れ出る。
必死に喉を絞るが、上手くいかない。
『――――ン。――ティン』
答えてくれ、何が足りないんだ。俺に足りないものがあるなら教えてくれ。
どちらも守ろうとしちゃいけないのか?
それは、愚かなことなのか?
「ウェスティン!」
白い光が漏れ出る蓋をこじ開ける。
眼前に、ジースの顔があった。




