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少年、罪過を喰む  作者: 藤崎湊
FILE1死を視る青年
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黄泉の滝





 一体どれくらい走りつけただろうか。


 蒼斗は鉄の味を含む唾液を押し込みながら、身体に鞭を打って走り続けた。


 もう陽はすっかり昇っている時間だろうか? 

 それとも、何日か経っただろうか?


 色濃く生い茂る木々もあり、鈍色の太陽は姿を見せていない。一度入れば出てくるのに数日を要すると噂されているだけあって、まるで樹海だった。

 ここに入ってしばらく暗闇の中で身を隠していた蒼斗を待っていたのは、徹底した特機隊の包囲網と飛んでくる鉛玉だった。

 何度枝と葉で剥きだしの肌を傷つけただろう。どれくらい喉の渇きと空腹に耐えただろうか。蓄積される疲労感に心がへし折られそうになる。

 その度に蒼斗は近衛と祥吾のことを思い出し、ギリギリで持ちこたえた――きっと、彼らが助けてくれる、と。


「いたぞ!」


 逃げて潜めて……幾度となく繰り返し、鉛のように重くなった瞼は条件反射で開き、身体は弾かれたように気配のいない方へと駆け出す。


 ――しかし、逃げ続けていた蒼斗はついに足止めを食らった。

 ようやく明るい場所に出たと思えば、まず目に留まったのは鈍色の太陽。

 ここが頂上だと理解するのに時間はかからず、祥吾に降ろされ仰ぎ見た山をついに登り切ってしまった。

 道理で空気が薄かったわけだ、と思わず嘲笑が漏れる。

 頂上は剥きだしの大地が道を作るように続き、導かれるように辿っていく。多くがここを歩いたことでできたのだろうか。

 到達した視線の先に道はなく、曇天の空の下、荒れ狂う波が待ち受けていた。誘うような荒波を目にし、蒼斗は背筋が凍った。

 そういえば、この地は毎年の多くの行方不明者が最後に訪れたとされる――。


「黄泉橋」

「!」

「ここは自殺の名所で有名だったな」


 部下を背後に付け、副島は銃を手に笑っていた。


「副島君……」

「逃げ場はもうなくなったな」

「っ、僕を引きずり落としてまで、存在を否定したかったんですか」

「拾い者のお前なんかが祥吾隊長と同等の役目を担う資格はない。現に、俺たちを騙し続け王を殺す機会をずっと窺っていた」

「違う! 僕は誰も殺すつもりはない! 死神だって、何かの違いだ!」

「人なんていつ本性を見せるか分からないからな。誰がお前の言葉など信じると?」


 一歩下がった足場が崩壊した。背後にその先はなく、待っているのは断崖絶壁。


「……っ」


 あとがない蒼斗は最後の望みを秘め、持っていた銃をその場に捨て、ゆっくりと両手を上げた。

 副島は銃を構えたまま、眉間にシワを寄せた。


「何のつもりだ。今更降参するか」

「違う。僕は後ろめたいことも、恥じることも何もないから、こうして武器を捨てた。僕は王のためにずっと尽くしてきた。そのことは絶対に譲らない」


 背後の部下は堂々とした蒼斗の振る舞いに戸惑いを隠せず、互いに顔を見合わせる。


 ――そんな彼らの意識を引き戻すように、破裂するような残響音が広がった。



「……え?」


 胸部を貫く感覚と、それに伴う焼けるような痛み。

 右手を伸ばし、真っ赤に濡れたそれを見下ろし愕然とした。

 口内に広がる鉄の味、流れ出るように、芯から奪われていく体温。


「……っ、どうし、て……?」


 副島は引き金を引いていない。

 光のない瞳、冷ややかな面持ち。白煙がゆるゆると昇る銃口をずらすことなく、()()はせせら笑った。


「お前が王にどれだけ尽くしようが、関係ない」


 次いで引き金に指をかけ、二発目三発目を発砲。最早蒼斗に避ける気力も体力も持ち合わせていない。

 弾は蒼斗の身体を貫き、崖の先へと追いやる。


「蒼馬には絶対の死を。王に危害を与えるものは全て、抹殺――つまり、どの道、お前に生きる価値はない」

 


 ――じゃあな、死神。



「しょう、ご……」


 家族と言ってくれたのに。

 信じられる人間に裏切られた絶望感と喪失感。

 胸につかえるような圧迫感に堪え切れなくなった蒼斗は、そのまま底の見えない海へと真っ逆さまに落ちていった。

 一部始終を見守っていた部下は慌てて駆け寄り、崖下をそろりと覗く部下は姿を探す。

 しかし、ここは黄泉橋と謳われるくらいの場所。ここから落ちて生きて戻ってきた人間も、死体となって打ち上げられた人間もいない。彼の死は保障されたも同然だった。


 副島らと合流を果たした祥吾は荒れ狂う波を見据え、手元のデバイスに表示された『桐島蒼斗』の生命反応がぱったりと消えたのを確認。


「やりましたね、隊長!」

「あぁ。すぐに父に報告しろ――蒼馬はこの俺が仕留めてやった、とな」


 ――それでいいんです。あなたこそ、上に立つに相応しい人間だ。


 副島は隣で義弟を殺しておきながら冷静でいる祥吾を恍惚とした目で見上げた。

 悪しきものは早い内に消すに越したことはない。


 けれど、副島は踵を返す祥吾の横顔に瞠目した。



 ――冷徹を帯びた瞳で義弟を切り捨てた彼のその疲れ切った頬には、一筋の()が伝っていた。




 ◆




 少女がその場にしゃがみ込み、声を上げて泣いていた。

 桐島家に引き取られてから一月が経った頃、蒼斗は学校帰りの途中で遭遇した。


「どうして泣いているの?」


 見て見ぬ振りをするのは彼の性分として許せなかったため、思い切って少女に近づき、声を掛けた。適度な距離を保ち、こちらを見下ろす蒼斗を確認した少女は、すすり泣きながら口を開いた。


「キーホルダーを落としちゃったの。お母さんからもらった大切なものなのに……探してもどこにもないの」


 時間的にはまだ夕方前とはいえ、辺りは薄暗い。

 街灯も建っているのは数本のみ。肉眼でこの中を探すのは至難の業というものだった。母親からもらったという執着心もあり、少女は見つかるまでいつまでも探し続けることだろう。

 蒼斗は、少女がキーホルダーを落としたとされる場所を訊ねた。携帯の小さな光を頼りにアスファルトを照らし、一緒に探した。

 蒼斗の手元の淡い光に少しの希望を得たのか、少女は嬉しそうだった。


 ――しかし、結局残念なことに目的のものは見つからなかった。

 結果、少女を期待させるだけさせて落胆させてしまうことになってしまった。

 少女は、探しに来た母親に手を引かれながら蒼斗を睨み、未練がましそうに帰っていった。

 それは自分の思うように事が運ばなかったから怒るという、子供の身勝手な行為にしかなかった。

 けれど、蒼斗はこれほど自分の非力さ、不甲斐なさ……そして、黒セロファンが被さったような、濁りきった空を恨んだことはなかった。


 蒼斗は乞うように片手を天に伸ばした。

 あの空が晴れた時、一体どんな世界が待っているのだろう……?






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