高嶺の華
オリエンスは御影の棲む城を中心地櫻都の小高い山の上に置き、その周りを環状道路が囲むように整備されている。上空ではモノレール、城下では電車が走っている。
城に隣接するようにそびえ立つ、軒並ぶ度の高層ビルよりも存在感を誇示する建物――これこそ、オリエンスのシンボルでもあり、蒼斗が所属する特機隊の母体――治安維持局。
「お待ちしていました、桐島蒼斗さん」
正面エントランスから入ると、すらりとした立ち振る舞いの女が蒼斗を待ち受けていた。当たり障りのない笑みを浮かべ、呆ける彼の視線を奪い、エレベーターを指差す。
「ご案内します――知っていると思いますが、ね?」
治安維持局特別機動部隊秘書課、近衛静。
半年前にやってきた彼女は、配属早々に機転の速さと俊敏さを発揮し、隊員たちを外から誘導し迅速な事態収拾へと導いた。
今では上級補佐の地位に立つ彼女の存在を知らない者はいない。
白百合のように可憐で美しく、きめ細やかな肌をした近衛はまさに高嶺の華。
そんな彼女に心惹かれる者は尽きず……かくいう蒼斗も淡い恋心を抱いていた。こうして彼女が声をかけてくれて胸が躍った。彼女に会えたというそれだけでも、蒼斗は胸中に広がる熱を噛みしめた。
だが同時に針でつつかれた様に痛んだ。
もし自分が隊長という地位ではなく、一隊員にすぎなかったら今のような笑みを彼女は向けてくれただろうか?
祥吾のように別段秀でたものもなければ度胸もない。そんな自分をただの隊長としてではなく、一人の人間としてみてくれるだろうか?
「昨日は災難でしたね」
「えぇ、まぁ……」
「局中で噂になってしましたよ。裏切り者が災いを持ってきたって」
「……近衛さんも、そう思っていますよね」
「桐島隊長から詳細は伺っていますので、信じていませんよ」
「そう、なんですか?」
「所詮は風の噂。取捨選択は自由。それに、劣等感しか抱けない器の小さい不出来な人間の戯言ほど信用に欠けるものはありません」
近衛から発せられる不出来な人間という言葉は、中々威力がある。出来る人間にこうもきっぱりと面と向かって言われてしまったら、きっと心を抉られ奈落の底に叩き落とされた気分になるだろう。
裏切り者の烙印を押されてからも変わらず接してくれるのは、蒼斗が知る限りでは祥吾とかつての部下、そして近衛だけ。
「あなたが裏切り者? 虫も殺せないような性格のあなたにそんな大それたことができると、本気で私が思っていると?」――なんて、鼻で笑われてしまえば返す言葉もない。
「桐島さん、調べの方は大丈夫そうですか?」
「はい、状況整理しておきたかったので、ちゃんとまとめておきました」
肝心な時にヘタレるから、と半笑いで見上げる近衛に対し、蒼斗はふふんと誇らしげにカバンから一枚の報告書を出してみせた。
「あなたのゴ……字、だらけのダメ報告書を桐島隊長に読ませて手間をかけさせるつもりですか? 前のように私が見てあげますよ」
「今ゴミって言いかけましたよね? ねぇ? ……まぁいつも報告書は近衛さんにチェックしてもらっていましたけど……じゃあ、どうぞ」
長い廊下を歩き、蒼斗は、少しだけと言って報告書に目を通す近衛を見た。
黒すぎず、かといって茶すぎない落ち着いた色の髪を揺らす。時折邪魔なのか、耳にかかる自然な動作が蒼斗の鼓動を速める。
局内一美しいと謳われているだけあって、彼女の全てに反応してしまう自分がいた。まるで少年のような心持ちだ。
窓から差し込む光が近衛の顔を隠し、蒼斗は思わず眩しさに目を緩く細めた。
「訊いてもいいですか?」
報告書から目を離さず、近衛は口を開いた。黙って続きを促すと、
「――どうしてクロヘビの戦闘員を助けたりしたんですか?」
ぎくり。
思わず顔が硬直した。思い浮かぶのはあの喧騒と、処刑人に投げつけた瓦礫の破片を掴んだ感触と……そして、鍛えあげられた身体を守る頑丈なプロテクターの冷たさ。
条件反射のようにジワリと滲む汗に気づかないふりをして、乾いた笑い声を上げる。
「なんの、話でしょうか?」
「実は調査の為に目撃証言を探ったところ、あなたが処刑人から敵を守ったという話を受けたんです」
「それは……」
「袖の下にあるこの包帯の傷が、その証拠なんじゃないんですか?」
「っ!」
「できたばかりの傷ですよね? どうなんですか?」
腕を掴まれ、近衛の前に傷を隠した包帯が晒される。これはもう言い逃れができない。
「まだ上にも、勿論桐島隊長にも報告していません。これが耳に入れば、あなたにとって都合が悪いと思ったので」
「どうしてそこまであなたが僕のことを庇ってくれるのか分かりませんが、そのことにはお礼を言いたいです。できれば弁解もさせて欲しいです」
「では私の質問と合わせて言い訳をどうぞ」
報告書を返し、近衛は足を止めて蒼斗を振り返る。
張りつめた重々しい空気が漂う。普段の近衛ではないことに若干の警戒心を抱く。包帯を巻かれた腕は未だ解放されないままだ。
「相手は天敵のクロヘビ。その一人と無謀にも闘い、いつ死んでもおかしくない状況だったことでしょう。それなのに、あなたは味方を切り捨てて敵を庇った。こんな腕に怪我を負ってまで」
人の気配はない。それを承知で近衛は話を持ち出したのだろうが、いつ人が来てもおかしくない状況での会話は若干の焦燥を抱かせる。
「どうして助けたりしたんですか? 敵を庇っても何の得にもない、むしろこれが知られれば反逆者として処刑される。それを分かっていながら、あなたは馬鹿げた行動に出たんですか?」
声の調子は変わっていないはずなのに、見えない圧力を感じた。
その色からは謀反行為への怒りが含まれているのかもしれないと考え、顔が逆光でよく見えないことも踏まえて恐ろしくなった――これではまるで尋問だ。
「僕は――」
委縮しそうになるのをこらえ、緊張で乾く口を開く。
「僕はただ、自分の心に従っただけです」
嚥下で喉が動く。
「確かにクロヘビ治安維持局、王にとって最大の敵です。殺せば称賛に価しても助ける義理は全くありません。でも、あの選択は、僕にとって最善だったと思っています」
こんなことを言ったら引かれるかもしれない。でも、自分の心を偽ることだけはしたくなかった。胸に手を当て、声音が強くなるもの忘れて口を開く。
「敵を……彼を助けろ。いや、助けなければならない――そう、僕自身の心が、全てがそう叫んでいた。僕はそれを信じた自分の選択に悔いることは一切ありません」
上司に物申すような感覚。痛いくらいに脈動する心臓。黙ってしまった近衛に次第に不安が込み上げてくる。今の言葉をそのまま上に報告するだろうか、はたまたそれをダシに脅してくるか――。
「……そうですか」
近衛の返答は至極単純であっさりしていた。拍子抜けで表情が歪む。
いつの間にか場の空気は和らぎ、近衛は口元に笑みをたたえていた。先程の雰囲気は錯覚だったのかと思わせるくらいの、綺麗な笑みだ。
「私はあなたの選択に対して責めません。その必要もありません。私はただ、純粋にあなたのことを少しでも知りたいと思っただけなので」
「どういう、ことですか?」
「分かっているくせに」
近衛の白い手が蒼斗に伸びた。
ガーゼが貼られていない頬を、力を込めれば容易く折れてしまうような細長い指が触れた。ひやりとした冷たさに驚きつつ、蒼斗は目を泳がせる。
どうすればいいのか、考えを頭の中でぐるぐると巡らせ、自然と自分の手を重ねていた。
「……あら?」
瞠目した後、近衛は蒼斗の頬から手を離し、重ねられていた手を取って掌を返した。
現れた左手の甲には、青痣が浮かび上がっていた。押しても痛くないことから外傷によってできたものではないのだろう。
しかし、桐島家に拾われてこの方入れ墨などしたことがない蒼斗は身に覚えがなかった。
そもそもこんな目につくところにあったとしたら、とうの昔に自分で気づいていたはずだ。
「これ、あなたが彫ったんじゃないんですか?」
「まさか! こんな目のつくところにそんなことするわけないじゃないですか! いや、そもそも掘ること自体しません!」
「でも、現にこうしてありますよ」
擦っても消えず、蒼斗は困り果てた。このまま目の敵にしている輩に見つかってしまえば、嫌味の一つや二つや三つ言われることだろう。行き場のない溜め息が漏れる。
「まさかあなたが治安維持局を辞め、肩書きが元公務員の腐れニートに成り果ててから日が浅い内にグレて刺青を入れるようになるなんて、思いもしませんでしたよ」
「だ、か、ら! そんなことはしていませんってば!」
「仕方ないですから、私のグローブ貸してあげます。これでもはめておけば、少しは周りに見られず済むでしょう」
近衛は小さく息をつくと、腰に提げてあるポーチから黒いフィンガーレスグローブを取り出した。その内の片方を蒼斗に差し出す。
「あ、ありがとうございます……って、少し小さいですね」
「……文句を言うなら返してください」
「い、嫌です!」
「嫌って何ですか」
「あ、いえその……っ、本当に助かります! ありがとうございます!」
「言っておきますけど、貸してあげるだけですからね」
「分かっています!」
近衛は、蒼斗がちゃんと返すように敢えて片方だけを貸したのだろうか……? だとしたら、何にせよ、また彼女に会う口実ができた。
蒼斗は少しぴったりすぎるグローブを見つめ、嬉しそうに目を細めた。
「何笑っているんですか、気色悪いですよ。腐れニートになっただけでは飽き足らず変態にも成り果てたのですか?」
「酷い! 言葉の暴力やめてください!」
「はいはい、さぁ着きましたよ」
上に祥吾のオフィス付近に到着したところで、近衛はまったくもう、と鼻息荒くした蒼斗を追い払うように手を振る。
それからすぐに踵を返して元来た道を辿る。そこで――。
「近衛さん!」
規則通りに業務をこなした近衛は、呼び止められてまだ何か用かと後ろを振り返る。
「ありがとうございます、ここまで送ってくれて」
「……別に、これは決まりですから。……さっき話したことは伏せておきますから、ヌケサクなあなたは自分で墓穴掘らないように気を付けてくださいね」
「わ、わかっていますよ!」
ノックをして祥吾のオフィスに消えていく蒼斗を今度は見送り、近衛はひとり廊下に残される。
長い髪を片手で後ろに流しながら歩みを進め、丁度来た無人のエレベーターに乗り込む。
「助けなければならないと心が叫んでいた、か……。あなたらしい答えですね」
――それでもってつくづく滑稽で、甘い考えだ。
誰の耳にも届かないまま、近衛の呟きにも似た言葉は静寂に溶けた。
◆
「来たか」
書類と睨めっこをしていた祥吾は顔を上げ、手にしていたペンを置く。向かいのイスに座るよう促し、後ろに設置してあるコーヒーメーカーに手を伸ばす。
「近衛に迎えを頼んでおいたが、彼女には会えたか?」
「うん、さっき一緒にいた。ありがとう、わざわざ彼女に案内させてくれて」
「気にするな。秘書課でお前と一番親しくて、尚且つ今回の一件に左右されていないのは彼女だけだったからな」
近衛以外の秘書課の人間だったら、きっと心無い暴言を吐きかけられていたことだろう。それを考慮しての祥吾の判断に、蒼斗は感謝で心が苦しくなった。
コーヒーを受け取り、砂糖とミルクをたっぷり入れて胃に一口分おさめる。
やはり隊長だけあって、用意された豆は上等のものだ。美味い。毎日飲んでいるインスタントコーヒーなんて目じゃない。
コーヒーを飲みながら蒼斗の事情聴取は行われ、思いの外早く終わった。
「……なぁ蒼斗」
まとめた書類をファイルに挟みながら、祥吾はそう口を開いた。
「家に戻ってくる気はないのか?」
「……こんなことになって、義父さんたちに合わせる顔がない」
「お前がどれだけ努力してきたかは、俺たちが一番よく知っている。だからそこまで気にする必要はないんだぞ」
「それでも、隊長として命令に背いたことに変わりはない。そもそも、何処の誰かも分からない拾われ者が人の上に立つこと自体、おかしかったのかもしれない」
「記憶が未だに戻らないことを気にしているのか?」
孤児となった蒼斗は桐島家に引き取られた。
それから同僚たちとの共同生活や訓練を繰り返すうちに、自分の中の景色が新しい生活で彩られるどころか、むしろ色褪せていく違和感を抱いた。
蒼斗は自分の存在について疑問を抱き始めた。
治安維持局の情報機関を駆使しても、『蒼斗』という名の男に関する情報は手掛かり一切見つからなかった。
何のデータも見つからず、まるで世界に存在していないような……そんな不安感が蒼斗の胸中を占めた。
――僕は一体、誰なのだろう。
「おい、元気出せって。記憶のこと気にしているんだろうけどよ、そんなの何かの拍子でコロッと思い出すかもしれないだろ?」
十年も一緒に暮らしていせいか、蒼斗の考えていることが分かったらしい。祥吾は下がった肩を大きな手で叩いた。
「それに、俺たちがいるから大丈夫だ。お前は、ちゃんと存在している」
「……あぁ。そう、だな」
「そういえば蒼斗、お前がいつでも帰ってきていいように部屋を掃除していたらこんなものを見つけたぞ」
「これは……?」
手をポンと叩き、祥吾がデスクの引き出しから取り出して見せたのは、一冊の本だった。
本のタイトルは『忘却の国』。
【忘却の彼方】
彼の国では独裁体制の政治が行われていた。
日常茶飯事となった人種差別、迫害行為。逆らえば末路は死という絶対的な力の前に抗うことも出来ず、多くの民は悲しみ怯え、時に怒り震える。時には己の無力さに涙した。
――そんな時、一世一代の巨大な反乱が起きた。
健やかな生活のために人々はたった一人の先導者の元に集まった。
後世のために多くの民が傷つき血を流し、息絶えていった末――、ついに何年も続いていた独裁体制は崩れた。
国は二つに割れた。
誕生したのは、差別のない自分たちが未来を決定することが出来る平穏で、新たな民主政治体制がしかれた国。
平和に傾きつつある中で、彼の国の残骸ともいえる国は、次第に人々から……世界から忘れ去られた。
その時を生きてきた人々は後世にその存在を伝えなかった。
そしていつしか――彼の国は忘却の国となった。
「この話……」
「覚えているか? 昔、それ読んでいたんだぞ、お前」
「僕が……」
そうだ、僕はこれを読んだことがある――蒼斗は本の表紙をそっと撫でた。黒地に黄の文字で書かれたタイトルが鮮明に脳裏に浮かび上がる。
あれは、蒼斗が桐島家に引き取られてから数週間経った頃のことだった。
空っぽの頭と災害の影響で精神状態が不安定だった蒼斗は、家の人間にあまり馴染めずにいた。生きる目的もなく、昼夜問わず空を縁側から眺めているのが日課だった。
そんな暇を持て余していた蒼斗はある日、一冊の本を見つけた。それが『忘却の国』だった。
「これを読んでいるのを義父さんが見た時のことを覚えているよ。凄く怒って恐かった。どうしてか教えてくれなかったけど、二度と読むなって怒鳴ったあの顔は忘れられない」
「俺も。鬼のようだったよな」
義父に取り上げられた本が忘れられなかった。だから蒼斗は彼の目を盗んで取り返し、部屋の奥にしまい込んだ。
「捨てないでおいてくれていたのか……義父さんが、あれだけ叱ったのに」
「だって、お前の大事なものだろう?」
「え?」
「あの頃、人形のような面をしていたお前が、家に来てから初めて興味を示したのはあの本だった。そんな大事なものを俺が捨てるわけがないだろう」
初めてこの本を手にした時……経緯は忘れてしまったが、言い表しがたい感情が胸に入り込んだ。
「俺は、お前が安心して帰ってこられるように全力を尽くす。だから、もう少しだけ、待っていてくれ」
「祥吾……っ、ありがとう」
蒼斗は大丈夫だ、と頷く祥吾から本を受け取った。




