ゴミ溜めヒーロー
奇跡という、実に抽象的な存在を信じる者は世界でどれくらいいるだろうか?
ある者は自らの手で導くものだと、ある者は信じることで神によりもたらされるものだと――そして、ある者は初めから仕組まれていたものだという。
蒼斗は病室の外から、幼い息子とその父親との再会を見守りながらそんなことを思い出していた。
つい数分前、あの場に自分が立っていた。
そして大倉の包帯だらけの力の入らない手に手を握られ、涙ながらに『ありがとう』と、言われた。胸の内がむずむずした。
ぼんやりと、回復に向かいつつある大倉の、祐樹を涙ながらに抱きしめる姿を見て考えた――自分も自分を探しているだろう家族と再会すれば、あのように強く確かめるように泣きながら喜んでくれるのだろうかと。
「良かったっスね、あの父子」
蒼斗の隣に並んで仲の様子を伺う奈島。後ろには隠すようにラッピングされた箱が持たれている。
「祐樹君にですか?」
「ま、まぁ……。ガキに物を渡したことなんてないから、どうすればいいか分からないっス」
「普通に渡せばいいんですよ。本によると、子供というのは直ぐに相手の感情が分かるそうですよ。純粋な奈島さんなら、大丈夫でしょう」
「じゅ、純粋ってどうことっスか! オレは泣く子も黙るSTRPっスよ!」
自分らしくないと自覚している上に、蒼斗に指摘されて顔を紅潮させる奈島。
視線が定まっていないことから動揺しているのが明白で、蒼斗は少しも怖くなかった。
「そ、そういや新條の首が例の廃工場の冷凍室で見つかったっスよ。ご丁寧に電気システムを復旧させて部屋の中心においてあったっス」
「最後の最後まで残酷非道、加えて亜紀さん曰く下衆でしたね」
「部下が数人、吐いたっス。オレもしばらく……肉は食べられないっス」
「残念ですね、亜紀さんが事件解決祝いに焼肉に行こうと言っていましたよ」
「嫌がらせもいいところっス」
思い出しただけでおぞましいのか、奈島はこめかみを押さえ、前に身体が傾くのを壁に手をついて堪える。
きっと亜紀も彼らの状態を知っていての言葉だったのだろう。やることがえぐい。
「奈島さん」
「あ?」
「以前、車の中で言いましたよね、人は命を懸けてまで守りたいものがある、と」
「それがどうかしたっスか?」
蒼斗は幸せそうに話をする父子を見ながら、右手でガラスに触れた。
「僕は命を懸けてまで守りたいものがあることに理解が出来ませんでした……僕の頭の中は空っぽ同然ですから」
奈島は黙って蒼斗の次に発せられる言葉に耳を傾ける。
「でも、今回の事件を通して分かった気がします。地位でも名誉でもない……何にも代えることが出来ないもの――それは愛するものだと」
大倉はアストライアが悪用され、十年前のような悲劇を引き起こさせないよう……そして、大切なこの街と愛する我が子のために、どんな苦痛を与えられても必死で耐え抜いた。
――彼が、この街を救ったのだ。
「はっ、ならアイツはさしずめ……ゴミ溜めヒーロー、と言ったところっスか?」
「良いですね。祐樹君は立派なヒーローを父親に持ちましたね」
「くっさそうっスけどね」
奈島はおどけて軽く笑うと蒼斗に向き直った。大きな手が目の前に差し出され、蒼斗は何のつもりだと奈島と手を交互に見つめる。
「お前のおかげで事件は解決した……礼を言うっス」
「僕だけの力ではありません。経緯はどうあれ、APOCとSTRP――亜紀さんと奈島さんが協力し合った結果です。こちらこそ、ありがとうございました」
蒼斗は奈島の手をしっかりと取り、握手を交わす。
この仕事は身の安全の保障もなく、危険である。それでも、解決した時の解放感と充実感が、自分たちのしてきたことが報われたと実感させられて心地よいのだ。
「病室、行きましょうか」
「……いやっス!」
「はぁ?」
ドアの前で拒絶の声が聞こえ、蒼斗は拍子抜けして耳を赤くする奈島を振り返る。
「やっぱりオレにはこんな慣れないことは出来ないっス! オレの代わりにお願いっス!」
「え、ちょっと……奈島さーん!」
病院で走るなとナースに怒られながら、陸上選手も顔負けの脚力で廊下を疾走する奈島。
その姿を呆然と見送り、蒼斗は強引に押し付けられた包装箱を見て思わず顔が綻んだ。
それからすぐに、奈島と入れ違いに見舞いの花を片手にやって来た東城に気付いた。
「やぁ工藤君。今ウチのボスが飛んで出て行ったけど……柄にでもないことやって恥ずかしくて逃げだしたようだね」
「ご名答です。体調の方は大丈夫ですか?」
「あぁ、お陰様でね」
東城は幸せそうな父子の姿を見つめ、微笑する。
一人でも多くの人を守ることができ、STRPとしても一個人としても嬉しいことだろう。それは勿論、蒼斗にも言えることだ。
「……それにしても、君があの死神だったとはね」
東城が今日ここにやってきたのは、見舞いだけの用事ではなかった。
「噂では耳にしていたが、こうも身近にいたとは考えもしなかった」
「まぁ……亜紀さんと契約しているからっていうのもありますし、利害が一致しているからというのもありますからね、それで居候させてもらっているんです」
蒼斗が触れて浮かび上がる首輪を一瞥した東城は、あの悪魔のやりそうなことだと眉間にシワを刻む。
「あの悪魔が何か嫌なことをしたら、STRPは全力で助けよう。君は一般人を救った善人なのだから」
「ありがとうございます」
「……そうだ工藤君。あの悪魔に会ったらコレを渡しておいてもらえないだろうか?」
取り出して見せたのは、先日亜紀が登場に貸した愛銃だった。
太一を始末した後、精神的ダメージが大きすぎて気を失ってしまったことを思い出し、返しそびれてしまったのか。
そう、蒼斗は一人解決。
「千葉から大体の事情は聞いた。前線に立つ君たちと違い、自分たちがいかに生温い場所で動いていたのか理解し、恥ずかしくなったよ。あんな化け物と日々向き合っていたのだな、君たちは」
銃を握る手が小刻みに震えた。
ちらと顔を盗み見れば、当時の恐怖心がフラッシュバックしたのか表情が硬い。
APOC規定通りに千葉のカウンセリング勧めたかったが、STRPでも通用するのか分からなかったため、下手なことは口にできない。
「方法は違っても、根底の趣旨は変わらないだろうが」
「亜紀さん!」
花束を手に気だるそうな顔で近づく亜紀は異様な絵面だった。
当人がやってきたことに東城は気まずそうに視線を下に逸らす。
「今更俺たちとの重荷の違いを実感しようが痛感しようが無駄なことだ。こっちは本気で命を懸けているんだからな」
「ちょっと、そんな言い方……!」
「いいんだ、工藤君」
片手で制されてしまえば蒼斗は黙ることしかできない。
「大事なことは、お前の成すべきことに誇りを持ってやり通すことだ。重荷や重圧の問題じゃない、ペンタグラムを守ること――それが核に求められていることだ」
亜紀なりの励ましの言葉なのかもしれない。
それから紙切れ一枚をポケットから取り出すと東城の目の前に突きだす。
東城は蒼斗と顔を見合わせ、首を傾げた。
「何だ、鳩が豆鉄砲でも食らったような顔をして。まずはAPOCの規則に従って千葉のカウンセリングを受けろ。時間はとってあるから、必ず本部に来い」
「は? いきなり何を……」
「狂蟲の浸蝕が嫌なら必ずだ、分かったな?」
「いきなり総帥面して私に指図をするな」
「だからこそだ」
「何?」
「総帥だからこそ、ペンタグラムの人間の命を守る。例え相手が憎き野郎だとしても、俺が守るべき人間に変わりはない」
狂蟲の浸蝕を少しでも抑え、摘発し人々に安息と平穏の地を与える。
目の前に堕ちていない人間がいたら、迷うことなく手を差し伸べ己が手を罪に染める。
ただのエゴ――自己満足でしかないかもしれない。
しかし、それは核から第一皇帝とアポカリプス総帥の地位を与えられ、大悪魔を授けられた時から全て心に決めていたこと。
むしろ、亜紀のその覚悟を核は見込み、力を与えたのかもしれない。
当然のように告げられ、東城は息を呑んだ。何も言えなくなってしまったのか、舌打ちを漏らし、亜紀の腕を強引に掴むと銃を押し付けた。
それからカウンセリングの予約票を引ったくるように奪い、大股気味に奈島の後を追うように足早に去った。
「仮りは必ず返す」
擦れ違いざまに聞こえた声は、果たして彼のものだったのだろうか――?
「何だ、蒼斗。見舞いの花だけでなくガキに貢ぎ物でもやる気か?」
亜紀はすっかり興味が失せたのか、蒼斗の手にある梱包物を目にして訊ねた。
「違いますよ、奈島さんから祐樹君へのプレゼントです。父親が殺されそうになった上に、自分も危険な目に遭って相当ストレスを抱えているはずです。あの人なりに気を遣ってくれたんですよ」
父子を見る限り、狂蟲の浸蝕反応は安定しているよう。APOCが出る必要がないことに、ひとまず安堵の息を漏らす。
「へぇ、女に花を贈ることも出来ないくらいのチキン猿がねぇ……。で、ゴミ溜めヒーローはどうしている?」
「あの通り回復に……え、亜紀さん、今なんて?」
「ゴミ溜めヒーローと言ったんだ。皮肉を込めてな」
二度も言わせるなと睨む亜紀に、蒼斗は腹を抱えて笑った。他の患者やナースたちから怪訝そうな目を向けられても構いはしなかった。
亜紀は突然笑い出した蒼斗を奇妙なものを見るような目で見つめ、癪に障るから上着の下に隠している銃を抜こうと手を伸ばす。
笑いすぎて目尻に涙を溜める蒼斗は慌てて亜紀の手を押さえて気にしないでくれと首を横に振った。
「そのゴミ溜めヒーローって、さっき奈島さんも言っていたんです」
「……あのクソ猿……ぶっ殺す!」
「わ、わーっ! お願いですから抑えてください! 警備呼ばれちゃいます!」
拳を震わせる亜紀を蒼斗は必死で押さえ込み、亜紀の瞬間沸騰がおさまった時には息を荒げ汗をかいていた。
亜紀相手に蒼斗は全力で何事にも取り組まなければならず、常に苦労が絶えない。




