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少年、罪過を喰む  作者: 藤崎湊
FILE2 寄生魂
21/62

表の番人






「呼び出してからやけに早いと思ったが、辰宮ときたのか」


 亜紀はつまらなさそうにポツリと呟いた。背後では黄色のテープが張られ、パトカーの赤と青のライトが眩しく辺りを照らす。

 車で三十分の距離をバイクで半分の時間以内で現場に到着してしまった辰宮は、少し得意げだった。

 一方で蒼斗は軽く目を回し、心なしか顔がやつれている。なんと情けないことだろうか。


「もうバイクには乗りたくない、乗りたくない乗りたくない……」


 ボソボソと漏らし、今にも吐きそうな様子だ。


「ご苦労だったな、辰宮。手間をかけさせた」

「いえ、ちょうど一緒に蒼斗君といたのでついでにと思って」

「僕の心配は誰もしてくれないんですね!」

「何だ、甲斐甲斐しく労わって欲しかったのか? バチカルに舐めてもらうと気分が良くなるかもな」

「アニマルセラピーって奴ですね。流石ボス」

「悪魔の真形が動物に見えるのか僕には理解できないんですけど! ていうか元凶がそんな風にすっとぼけるな!」


 恐ろしい形相をした七頭に舐めて癒してもらうだなんて、不可能に決まっている。いや、未来永劫ない。

 不服そうに目を細めた亜紀は、それから何かを閃いたように視線を上にやり、端末から辰宮のものに何かの資料を転送した。


「別件で頼みたいことがある。資料を送っておいたから、手が空いた時に頼む」

「了解しました」

「彦直属の命令じゃなくて申し訳ないが、詳細はすぐに送る。頼んだぞ」

「総帥直々の指示でしたら、喜んでお受けします。……じゃあね、蒼斗君」



 ――ぞわり。



「っ、蒼斗君?」

「あ……」


 背中を向けた辰宮と何かが重なり、言い表しがたい恐怖に怯え、咄嗟に手を掴んで引き留めてしまった。

 腹部を押さえ、そこからは血が滲み出ている。苦痛に呻く姿は酷く痛々しい。



 今のは、幻影?


 いや、でも何故――何故、辰宮がボロボロになって傷つく映像が浮かんだ? もしかして、この先辰宮の身に危険が訪れるのでは……?



「大丈夫、蒼斗君? 顔色、悪いけど」

「何でも、ない……っ、ただ……辰宮が、傷つく姿が視えたから……」

「……それって、私に危険が迫っているってこと?」


 冗談だろと受け流すことをせず、落ち着いた調子で蒼斗の言葉に耳を傾け、取り乱すこともせず訊ねた。

 あまり不安にさせたくない、けれど今の映像が真実だとしたら彼女を危険から遠ざけることができるかもしれない。

 蒼斗は手を震わせ、決心するように背けていた顔を上げた。


「いつ起こるかは分からないけれど、確実に辰宮は危ない目に遭う。……ここ数日は、あまり人気のないところで動かないほうがいい。正直、かなり重症を負うことになるから」

「そう……」

「仕事柄難しいことは分かっている。けれど、僕は大事な友人を喪いたくないんだ」


 捜査官らが作業の片手間に、蒼斗と辰宮を興味本位の目で眺めているのが手に取るようにわかった。

 そして現場周辺で何をやっているのだと多少の羞恥も湧き起こる。


 力が入っている辰宮の手を掴む手は次第に緩まり、緊張で小刻みに震える。


「こんなところでよくそんな恥ずかしいこと言うのね、あなた」

「っ、そういうわけじゃ……!」

「でもありがとう、心配してくれて」


 戸惑う手に辰宮の手がそっと重ねられた。

 ひやりとした手は余韻を残しながら浸透し、蒼斗の強張りを解いていく。


「私は大丈夫だから、安心して。あなたの助言、胸に留めておくわ」

「あぁ。……あのさ、送ってくれてありがとう」


 ヘルメットを被った辰宮は片手を挙げるとシートに跨り、アクセルを回して現場から去った。

 彼女の後姿を見送り、現場へと戻っていく亜紀の後を追った。




 ◆




 事件現場は数年前にできたバーの裏口だった。


 一人分の狭い廊下を抜け、トイレの数歩隣にある開いたままになった裏口へのドアをくぐる。少し開けた空間に出ると、その角に不自然に積み上げられた木箱の山が目に入る。

 蒼斗は亜紀についていき、木箱の上の反対側に転がる男の遺体を見た。咄嗟に鼻と口を片手で覆い、胃が締めつけられる圧迫感に姿勢を前に崩す。


 両手足、両大腿部に一発ずつ、それから腹部を二発、止めに額に一発……これは、男が受けた銃弾の数だ。

 苦痛と恐怖、絶望の色に染まり切った男の死に顔は、彼に起きたことを痛烈に物語っていた。


「酷い……っ、どうしてこんな……うええ」

「馬鹿、ここで吐くな! 吐くならここにしろ!」


 亜紀は現場とは関係ない場所へと蒼斗を引きずり、茂みに放る。それから耐え切れず嘔吐する蒼斗の背中をぎこちなく擦ってやる。

 触れる手と摩擦熱――蒼斗は特機隊にまだ所属していた頃、任務後の飲み会で酒を無理やり飲まされトイレに駆け込んだ時のことを思い出す。



「馬鹿ですね、あなたは」


 そこで、酔いに任せて何でもできる気になった愚かな男たちから逃れるために酒の席からそそくさと離れていた近衛に鉢合わせし、憐みの目で見られたのが記憶に新しい。

 彼女の憐みは、嘲笑とイコールと考えても何ら問題はないだろ。


 ――あの時も、こんな風に少々乱暴気味であったが介抱された。


 吐きたいのに出し切れない蒼斗の口に躊躇なく指を突っ込んで残りを一通り吐かせてから外に連れ出し、店の傍の縁石に座らせる。

 じっとしていろと釘を刺され、それから水の入ったグラスを上司に捕まらないよう持ってきてくれた。

 胃液の臭いが不快感と、彼女の不器用な優しさを思い出させ涙を誘う。



 一通り吐いたところで蒼斗はティッシュで口元を拭った。

 亜紀に向き直れば、手を差し出して立ち上がらせてくれた。こういう時折垣間見る優しさが、オリエンスで恐れられた冷酷非道なAPOCの総帥が嘘なのではないのかと錯覚を起こさせる。


 事実、亜紀のやることなすことはえげつないこと数知れず。





「――そこまでにしてもらおうか」


 複数の足音が現場に踏み入った。

 背中に『STRP』の文字が刻まれた藍色の上着を羽織った男たち。彼らが現れたことで、一帯を瞬く間に緊迫な空気に変貌させた。

 静を保っていた水面に石が投げ入れられたような、そんな感じだ。

 何が起こっているのか把握できず、呆けて口を開けたままの蒼斗の傍らでは、亜紀が嫌悪の色を顔に滲ませていた。


「何の用だ」


 いかにも彼らの中心者であろう男が亜紀と真正面から対峙する。

 冷たい風がそよそよと吹き込み、高く纏め上げた長い髪が揺れる。冷ややかな面構えの男はデバイスを取り出すと、ある文面を突き付けてみせた。


「ここは我々サトラップの管轄だ。悪魔の出る幕はない」

「これは……核の勅命か」


 ペンタグラムでは、狂魔を狩り摘発するアポカリプスの他に、表の街の治安を守護する組織が存在している。

 サトラップ、通称STRP(スタープ)――それこそ、今目の前にいる彼らのことだ。


 辰宮が言っていたスタープというのは彼らのことだったのか、と蒼斗はここで理解した。

 核の命令とあれば大人しく従うしかない。亜紀は文面を確認すると捜査官らに撤収の指示を出す。


 引き上げていく捜査官らを横目に、蒼斗は亜紀に負けず劣らず的確な指示を出す男を見た。



「亜紀さん、あの人は……?」

東城夏彦(とうじょうなつひこ)、STRPのナンバーツーだ」

「彦さんみたいな位置ですね」

「本人の前で言ってくれるなよ。立場だけでなく名前も似ていることもあって奴らは相当仲が悪い。犬猿の仲というより火と油の関係だ」

「うわぁ……悪質ですね」

「と言いつつ、俺は二人まとめて言うときは夏浩って呼んじまうがな」

「それ地雷景気よく踏んでいますね!」



 すらりとした姿勢。堂々としていて一つ一つの動作に無駄がなく、人を捌くのが見事だった。

 要領がいいという点で、瀬戸と類似する箇所が見受けられる。

 単なる同族嫌悪だと亜紀は笑って流すが、蒼斗は彼らが対面した時の惨状が想像ついた。彼らは絶対、顔を合わせてはいけない。面倒なことになるのは目に見えている。


「俺たちも下がるぞ。ここにいても仕方がない」


 瀬戸に連絡をする亜紀の背を追う蒼斗は、何となしに顔だけ後ろを振り向いた。


「あ……」


 バチリ。東城と視線がタイミング悪く視線が合ってしまった。

 眼鏡越しの肉食獣のような瞳に畏敬の念を抱き、反射的に逃走心を煽られる。


 しかし、常に殺意を投げつけられている蒼斗は、東城の瞳がそれではないということに気づいた。彼の瞳には、悪魔と謳われ、人を傍に置かない亜紀が従わせている蒼斗に対する純粋な好奇心が見えた気がした。

 勿論、これは単なる蒼斗の憶測でしかない。

 だから先入観ではなく、自分の直感を信じ、軽く会釈を返した。ひれ伏すといった意味ではなく、本当によくある挨拶だ。



「……」


 東城の瞳が驚きに変わったような気がした。微かだが、目を見開き、呼吸が一拍遅れる。


 ――蒼斗は亜紀に急かされて目にすることは叶わなかったが、確かに東城は反応を示していた。



「……?」


 頭にちらつく、つっかえるような違和感が蒼斗の足を止めた。

 ――この感覚の正体をよく知っている。


 溢れ出るように広がる情景に、意識を集中させる。


「蒼斗?」


 横では亜紀が座り込む蒼斗に添うように片膝をついている。





 ――何処かの施設のようだ。

 薬品や消毒液の匂いが慣れない嗅覚をつんざく。

 

 場面が左右にぶれるのは走っているからだろうか……?

 何かから逃げるような慌てぶりに緊張が走る。


 視線は空に移り、やがてコンクリートの地面が占める――行き止まりだったのだ。


 踵を返すと白衣がちらつき、黒装束でマスクを被った男が立っていた。その手にはサイレンサーが握られている。

 緩やかな殺気を漂わせる男は銃口をこちらに向け、足に撃ち込んだ。激痛が襲い、蒼斗はたまらず悲鳴を上げた。

 貫通した箇所からはどくどくと血が溢れ、足の芯から轟く衝撃に涙がとめどなく流れる。

 穴が開いたことで血の巡りが偏り、熱が絞り取られていく。その息苦しさは、真綿で首を絞められるかのような恐怖を突き付ける。


 ――男の口元が微かに動いた。何かを訊ねたのかもしれない。


 告げた男に対し、蒼斗は絞り出すような声を上げた。

 内容は分からないが、間髪入れずにもう片足と胸部に発砲されたことで、男の求めたものではなかったのは確実だった。落ち着く間も与えずに迫る痛みと恐怖に蒼斗は獣じみた声を上げた。



 ――助けて、助けて……助けて! 誰かこの痛みを止めてくれ……!



 終わって欲しいと切に願う一方で、とどめを刺そうとした男の動きが一瞬だけ鈍った。好機と思うのも束の間、蒼斗の身体は後方に傾いた。



 ……後方?



 宙に浮いていると気づくのは男との距離が広がってからだった。

 そしてそのまま真っ逆さまに落ちていき……ブラックアウトした。




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