美しき人形
「はぁ……そうきたかよ」
自信を奮い立たせた蒼斗は、先ほどの意気込みを撤回したくなった。
購買を覗けば、全ての店にシャッターが下ろされていた。横の貼り紙と時計を見比べるが、時間は十分に間に合っている。
背後のテーブルで食事をとりながら談笑する学生らは時折蒼斗を見てほくそ笑んでいる。
なるほど、食堂と結託しての仕打ち――死神に与える食事はないということか。
今更何を言おうが改善の余地はない。蒼斗は諦めて他に提供してくれるところを探しに行くことに。
「あら、営業放棄でもしているの?」
ガシャンと大きな音が食堂に木霊する。
談笑する声はシンと静まり、金属音が余韻を残して消える。
「ねぇ、どうなの? それならSTRPに通報しないといけないんだけど?」
――スタープ?
シャッターを盛大に蹴り入れる足はぐりぐりと中にいる職員を威嚇し、奥から悲鳴が上がる。
気配すら気づかせなかった存在に蒼斗は緊張し、息を呑み慌てて横を見やる。
初めに視界に留めたのは、金色の二本の尻尾――もとい、ツインテールを揺らした女。蒼斗は目を見張った。
職員は慌ててシャッターを開けると女の言葉に耳を傾け何度も頷き、目を見張るほどの速さで動き、瞬く間に大きめのどんぶりをトレーに差し出した。
「ねぇ、君。ちょっと手を貸してくれない?」
職員に背を向け、そのまま後ろに硬貨数枚を投げて寄越した女は、つまらなさそうに瞬きすると蒼斗に声を掛けた。
亜紀には劣るが迫力ある有無を言わせない『お願い』。蒼斗は半ば条件反射でどんぶりが乗るトレーを持つ。
まだ何も言っていないのに率先してトレーを持つ意外さに女は一瞬目を丸くさせ、口元をほんの少し上げるとブーツの踵を小さく鳴らしながら手招きする。
「それにしても、ハエ以下の脳みそしか持ち合わせていないようね、ここは」
狂魔や狂蟲と仲良くできそうだし、エサとして使うことに生きる価値がありそうね。
ニッコリと微笑んでも、吐き出されるのは毒と暴言。そのギャップにみな息を呑み、顔を赤くして拳を握るものもいた。
「君も、そう思わない?」
「え?」
「大学生になっても、頭は幼稚で困りものね」
「は、はぁ……」
もしかして、庇ってくれたのだろうか。
どんな形にしろ、初めて庇ってくれた人がいた。それだけでも耐え忍んできた蒼斗にとっては至福の極み。
「じゃあ行きましょうか」
「っ、辰宮!」
何事もなかったかのように食堂を去る辰宮の足を止めさせたのは、この場にいる学生の中の主格ともいえる男、篠塚だった。
初めて顔を合わせた時の第一印象はただエゴの塊。
姑息な手口は群を抜いて最悪で、学級委員や班長をやりたがるくせに役職だけに目が眩んだ小学生のような不快感を抱かせた。
その上自分よりも優れた若しくは気に入らない人間には嫌がらせ一択なのだから、人間としての出来は下の下に尽きる。
「お前、なんでそんな奴……」
「そんな奴? 一体誰のことを言っているのかしら」
「なんでそんな……っ、治安維持局の手駒を庇ったりするんだ!」
「治安維持局の手駒? あなた、APOCの報告書をちゃんと読んだの?」
亜紀は今回の治安維持局特別機動部隊摘発の一部始終をAPOC内に公開した。
当然APOCに所属するものなら、誰でも目を通しているはず。それはこの男にも言えることで、馬鹿らしいと言わんばかりに眉間にシワを寄せて答えた。
「報告書だと? 総帥直々の報告書が公開されたんだ、見るのは当たり前だろう!」
「いいえ、あなたは読んでなんかいない。ただ目を通しただけよ。そんな憎しみしか抱けていないあなたが、まともにあの報告書を読めるはずがない」
蒼斗が特機隊に属していたことは調べれば誰にでもわかること。それを見越しての今回の公開だった。
「何故そこまで恨むの? 彼は親の仇でも何でもないのよ?」
「オリエンスの息のかかったものを恨んで何が悪い?」
「そんなことしたら狂蟲が黙っていないわよ?」
「俺はそこらの奴らとは違って出来がいいんだ。心配することなんざない」
「そうやって恥ずかしく自惚れているといいわ。あなたが彼に腰巾着をぶら下げて嫌がらせをするのは、今回の一件を彼が解決したことが気に入らないだけでしょう?」
息を呑み怒りで顔を赤らめる男を嘲笑する女――完全に男を看破していた。
「あら、図星で何も言えなくなっちゃったの? これ以上恥ずかしい思いをしたくなかったら、下らないことはしないことね」
この際だから、と彼女は腰に手を当てて口を開いた。
「彼は確かにAPOCと敵対関係にある治安維持局の人間だった。けれど彼は命を狙われ指名手配犯になってまでも御影に抗い、今回の一斉摘発に貢献した。あなたたちが彼を恨む理由なんて、何処にもないのよ」
逆恨みはやめてよね、と言わんばかりに肩を竦め、首を横に振る。
開いた口が塞がらなくなった蒼斗に気づいていないのか、ぐうの音も出せない男への興味が失せた女は食堂を後にした。
「……あの、ありがとうございました、助けてくれて」
女の足が止まったのは、ペンタグラムの街並みがよく見えるひっそりとしたテラスに来たとき。
日当たりもちょうどよく、過ごしやすい環境だった。
女は備え付けの端末メニュー表を開いて紅茶を頼んだ。「あなたは?」と、訊ねられ、水でいいと慌てて答える。
席につき落ち着いたところで、蒼斗は言いたかったことがようやく口にできた。
女はきょとんと眼を丸くさせると微笑し、カバンからフルーツサンドをテーブルに置く。蒼斗はトレーに乗ったどんぶりを見比べて意外に思った。
「結構食べるんですね」
「あら? それはあなたの分よ」
「へ?」
「好きでしょ、天ぷら蕎麦。あなたのために用意したものだから食べていいよ、工藤蒼斗君」
何故自分の名を――と、口を開きかけたところでやめた。ここでは自分の存在は指名手配犯のようなものだ。
好物の香ばしい匂いに嗅覚が刺激される。空腹もあってか、その香りは威力を倍増させる。
女は全く食べる気がないのか、ウェイターが運んできた紅茶を優雅に飲み、フルーツサンドを胃に収めていく。蒼斗はありがたく蕎麦を頂くことにした。
まともな食事ができたのは初めてだった。
無心で好物を胃におさめたところで、蒼斗はハッと箸を止めた。蒼斗の表情が面白かったのか、既に食べて終えていた女はふふと柔らかく笑った。
「空腹満たされたって感じ?」
「はい、ありがとうございます、辰宮(星妃さん」
「どういたしまして」
辰宮は訓練所内で最も一目置かれている人材だった。もちろん、良い意味で。
辰宮星妃、大学一年生。既に前線に立っていることからその実力は誰からも認められ、中でもずば抜けた変装能力は亜紀の折り紙つき。
傷やシミが一つもない艶やかな肌、絹のような滑らかな金色の髪。その容姿で男女問わずに密かに話題にされるが、常に周りに友人はいない。
何故ならば、彼女は普段は無口で、何を考えているのか分からないから。
近づきたいが、彼女を取り巻くオーラがそうさせないのだ。
本人はそんなつもりはないのかもしれないが、周りはそれを近づくなと警告しているように捉えてしまうのだ。
だが、蒼斗はそんな辰宮に対して嫌な感じはしなかった。むしろ、それが着飾らない、自然体の彼女の本当の姿のように思えた。
――にしても、こんなAPOC幹部と同等の人間と知り合えるなんて奇跡に近い。そう改めて亜紀のペットとしての奇跡(オプション力)を実感した。
「そういえば、良かったんですか?」
「何が?」
「僕を助けてくれたことには感謝していますけど、辰宮さんへのアタリが心配です」
蒼斗に嫌がらせをする集団の中でも、先ほどの男――篠塚亮は群を抜いて蒼斗に嫌悪と侮蔑の情をぶつけてくる。
噂では辰宮に淡い恋心を抱いているとも聞く。
好いている女が殺したくなるほど憎い男を庇ったとなれば、何をしでかすか分からない。蒼斗はそれが心配だった。
「気にしてくれてありがとう。でも、私は問題ないわ。それと、敬語とかやめにしない?」
一緒に任務に就いた仲だし、と首を傾げる辰宮。さらりと垂れる髪と、細められた目に背筋が伸びる。
だが、今度は蒼斗が首を傾げる番だった。
「一緒に……? あれ、僕、辰宮さんと任務に就きましたっけ?」
「え? ……あぁ、そっか。知らないんだっけ? 私とあなた、先日の特機隊摘発の一件で同じだったのよ」
「ええ!?」
「変装していたから、分からなかったのも無理ないわね」
「そ、そそそそれって……っ」
辰宮はその変装能力を必要とされ、潜入任務に駆り出されていると聞く。もしかしたら、と蒼斗の中で期待が高まる。
だが、近衛静が辰宮とイコールであると分かった時、蒼斗に残るものは一体何だろうか?
約束のグローブを返し、その後は、一体……?
変装していた人物は『近衛静』であったか――と、いう言葉がいざ出そうにも出せない蒼斗の心情を悟ったのか、辰宮はカップをソーサーに戻した。
「確かに、私はあの任務中『近衛静』になったわ」
「え!」
「でも、それは一瞬のこと。あの後はフリーになって待機していたから、実質摘発には加わってはいないの」
「一瞬って……」
「ボスから治安維持局のIDを受け取り、情報収集。その後あなたを乖離点付近で拾って、ボスの家まで送り届けて保護すること――それが、今回の私の任務。それだけよ」
「ボスからIDって……それって僕の……」
「えぇ、そうよ。ボスはあなたが死神ではないかという疑問から監視をしていたの。あの人からしたら、あなたも治安維持局の情報も手に入って一石二鳥の計画だったわ」
「亜紀さんは、僕のIDを自分で……?」
「えぇ、久しぶりに前線に出たいと言っていたから」
あの処刑場襲撃の時に亜紀がいた。――つまり、あの時対峙し、戦闘を仕掛けてきたのも、自分が無意識に庇ってしまったヘルメットを被った男は亜紀だったというのか。
辰宮の話が真実ならば、亜紀が呟いた『借りは返した』という言葉に合点がいく。
同時にあの時闘っていたのかと考えるだけで身震いする。よく生きていられたものだ。




