顕現する力
「テメェ……っ、正常な人間によくもここまで狂蟲を……!」
亜紀の怒声がビリビリと伝わる。それをものともしない桐島は嬉々として答えた。
「そうだ! コイツはまさに素晴らしい実験体だ! 作品だ!」
本来、狂蟲はゼロ・トランス後、誰の体内にも侵入し、そのまま蓄積される。
だが狂魔の傾向にも至っていない人間に強制的に植えつける手法をオリエンスでは人体実験を通して可能としてきた。
そして、拒否する苗床に強引に寄生させることで反作用が起こる――それが、祥吾の現在の状態だ。
「さぁ祥吾! 王の為にこの場にいるゴミを始末しろ!」
「卯衣! 結界を急いで張れ!」
亜紀の声よりも先に離脱が終わっていなかった捜査官たちは、己の誇りと忠誠心に従い銃を構え発砲していた。
殺さなければ、という一心で引き金を引く。亜紀の声が届くのは遅すぎた。
変形した祥吾の腕は表皮を盾に固め、銃弾を防ぐと間髪入れずに捜査官たちに襲いかかり、蹴散らしていく。呻きと悲鳴が瞬く間に広がる。
収束するかと思われていた現場が、たった一人の狂魔の存在で戦場と化してしまった。
卯衣が結界を張り終えるころには負傷者が続出しており、普通の人間では完全にお手上げ状態だった。
「ゃろう……っ」
亜紀は銃を手に、間合いを取りながら祥吾の動きを封じていく。弾は確実に急所を捉えている。
「お前ら、衝撃に備えろ!」
「っ、待って……!」
やがて埒が明かないと思ったのか、亜紀は蒼斗の咄嗟の制止を無視して捜査官の一人に改造銃を投げて寄越させ、心臓部を狙って大きな風穴を空ける。
ズシン、と埃を巻き上げながら倒れる祥吾に捜査官たちは安堵の息を漏らした。倒した本人も、静かに胸を撫で下ろしていた。
「しょ、祥吾……っ」
「卯衣、今の内に全員を離脱させろ!」
「分かった!」
桐島はその場に立ち尽くし、顔を俯かせていた。彼の始末はすぐに片付いてしまうだろう。様子からしてもう戦う気力はないように窺える。
「――大丈夫か」
亜紀はすっかり腰を抜かした蒼斗を呆れた顔で見下ろし、手を差し出した。
「どうして……っ、祥吾は僕の大事な家族なのに……!」
「あのまま放置していたら部下たちがもっと危険な目に遭っていた。総帥として、皆の命を預かるものとして、その責任を果たしたまでだ」
数少ない、義理とはいえ家族だとしても、多くの人間の命と天秤にかけたらどちらに傾くか、なんて誰にでも判断できるだろう。
「お前の気持ちは分かる。だが現実は甘くねぇんだ」
「……っ」
確かに。蒼斗が亜紀の立場であったのなら、自分だけの意思決定を示さず、周りを考慮して、同じ判断を下していただろう。
自分の性格は、一番自分が理解している。
亜紀はきっと、卯衣が敵として立ちはだかったとしても……誰が相手であっても引き金を引いていたに違いない。迷いのない冷めた瞳はきっと揺らぐことないだろう。
どうして亜紀は、こんなに強いのだろうか。
蒼斗は目の前に伸ばされた、大きく、でも自分より小さい手を見つめた。
この手が……掌にマメを作り、鍛えられた手が、こうして多くの部下の命を背負い、体を張って人々を救っている。
蒼斗は亜紀のように人の心の闇と向き合い、救えるような人間になりたい――そう思った。
「……ほら、いらねぇなら下げるぞ」
「ま、待ってください! ありがとうございます!」
蒼斗が中々手を伸ばさないのは、自分の手が血で汚れていることが理由だと思ったのか、亜紀はさらに手を目と鼻の先まで突き付けた。一瞬引いた手に、蒼斗は急いで手を伸ばす。
「――っ、亜紀さん危ない!」
背後に迫る影に目を見張った。
それは一瞬のことで、触れた手は亜紀により切り離された。蒼斗を後ろに突き飛ばすと同時に、亜紀の腕から肉が裂け、鮮血が飛び散った。
「ぐ……っ」
亜紀は傷を押さえながら蒼斗を蹴飛ばし、狩ったはずの祥吾から距離を取る。
亜紀の銃の実力で倒せなかった狂魔は、誰ひとりいなかった。
だが、バチバチと点滅を繰りかえす照明の下で吼える祥吾の身体には銃痕が全く見られず、綺麗そのものだった。
「馬鹿な…確実に倒したはず……!」
再度狂魔弾を撃ち込めば確かに悲鳴を上げ、苦しみ悶える。
狂魔弾は確かに効いているはず。――だがそれはほんの足止め程度に過ぎず、効果が持続しないのか身体に空いた穴は綺麗に元に戻ってしまう。
今までより遥かに再生能力が高い狂魔。常に冷静沈着の亜紀は珍しく表情に苦悶と焦りの色を見せた。
「馬鹿め! そんな銃弾が傑作に効くとでも思っていたのか!?」
狂ったように甲高い声で笑う桐島は亜紀の間合いを詰め、片方の銃を弾き飛ばし、鬼のような爪が上着を切り裂く。体勢が崩されたところを狙われ、祥吾に突かれる。
「バチカル!」
空いた手にバチカルの力が収束した黒い剣が出現し、それを掴むと紙一重で攻撃を躱していく。いつものような余裕さはなく、避けるのがやっとといった様子。
二対一という不利な戦況。完全に置いていかれた蒼斗は不安と混乱で全く身動きができない状態だった。
「亜紀ちゃん!」
捜査官の離脱が完了したのか、後ろには卯衣しか残っていない。
「亜紀さんはどうしてバチカルを使わないんですか? あの威力があれば、二人を……ころ、せるのに……っ」
「王の器にあたる悪魔を使役するには相当の力を消費する。廷内にいたあれだけの狂魔を薙ぎ払うのに亜紀ちゃんのバチカルは効果的だけど、身体にかかる負担も考慮すると連続での使用もできない上に、数は限られるの」
「負担……」
「それに、さっきの一撃を桐島は躱している。もしまたバチカルを発動して、万が一仕留められなかったら、亜紀ちゃんは隙ができてしまう上に魔力不足で丸腰同然になっちゃう。そしたら……狙い撃ちされて死ぬ」
いくら最強と言えど限界はある。
反撃の機会を与えてしまったら、亜紀は間違いなく死ぬ。勿論、このまま不利なまま戦闘を続けていたら、力尽きて死ぬ――どちらにしろ、選択肢はない。
「亜紀さん……っ」
「蒼斗、今すぐ卯衣を連れてここから逃げろ!」
「でも……」
「これは命令だ!」
心臓の鼓動が耳に届き、身体の中心を針で突かれるように痛んだ。
亜紀は、自らを囮に守ろうとしている。だが、みすみす亜紀を置いて逃げるわけにもいかず、襲いかかる義父兄を目にし、蒼斗の心は揺れる。
――できない……何も、できない。
誰かに必要とされたい。誰かを守りたくてずっと生きてきたのに……現実は、こんなにも残酷なのか……っ!
「亜紀ちゃん――っ!」
「っ!」
祥吾の爪が亜紀の背を捕らえる。
瞠目した双眸に移る世界が一瞬だけ、スローモーションのように見えた。コマ送りのような瞬間は束の間で、宙を舞い、苦悶の表情を浮かべた硬く目を閉ざした亜紀の身体が勢いよく地面に投げ出されて転がる。
目の前の状況を把握しきれないず、頭の中が真っ白になり息を呑んでいると、、亜紀の身体を中心にじわりと赤が滲み広がり一帯を汚していく。
「あ、亜紀さ……!」
「――っ、来るな!」
数メートル先に飛ばされた亜紀は、隙を作らんとばかりにすぐさま血溜まりに剣を地面に突き立て身体を起こし、肩で息をする。
荒い息遣いを繰り返す度にパタパタと血が滴り、左足は負傷したのか痙攣を起こしている。
「行け…早く……コイツらは、俺一人で十分だ」
――お前らは絶対に、守ってみせる。
「どう、して……」
こんな姿になってまで、何故守ろうとできる? 自分はあの異形が恐ろしくてたまらないのに、何故身を挺して守ろうとできる?
APOCとしてのプライド? 総帥として倒れるわけにはいかないから?
ボロボロの状態でもなお、垂れる前髪の先に見えるその瞳は揺らぐことなく死んでいなかった。
蒼斗はその凛々しく大きな背中に目を奪われた。
――我また聖なる都、新しき聖地の為に。
蒼斗は目を見張った。
聴覚が奪われたような錯覚が一瞬。それから流れるように頭に入り込んだ言葉が、こみ上げる焦りを一掃した。
――血の導きにより、蒼白の刃をかざせ。
怪我した額から滲む血が頬を伝い、左手の甲に落ちた。
そして――グローブ下に刻まれた紋章が蒼く光を発し、瞬く間に一滴の血が大鎌に姿を変えた。
死人のように青白く、妖しく光沢を発する刃。
「な、何……?」
「とうとう本性を見せたなああ、死神いい!!」
ぐりん、と首を回した桐島は瞳孔が開き切っていた。
「その鎌こそ! 貴様が王の命を狙い、滅ぼそうと目論む葛城の血を引く者の証だあああ!」
「こ、これが……っ?」
「蒼斗……?」
完全に桐島たちの意識は亜紀から蒼斗に移った。
「忌々しい貴様から片付けてくれる!」
名を呼ばれ、祥吾は身体の向きを変えて狙いを蒼斗に定める。
「祥吾……っ、お前……」
真っ向から向き合う形になった蒼斗は、大鎌を手にしてある変化に気づいた。
今までは狂蟲の浸蝕状態しか視ることしかできなかったが、祥吾の身体が浸蝕されている部分と、そうでない箇所を示す境界線を捉えた。
後者では、蒼斗が良く知る、人の姿を辛うじて保つ祥吾が苦しみもがいていた――その口は、『コロシテクレ』としきりに叫んでいる。
蒼斗は一つの仮説を立てた。
もしかしたら、まだ彼を助ける手立てがあるのかもしれない、と。
「……待っていろ、祥吾」
いつだって、自分が前に進めるように先を歩き、その度に振り返って手を差し伸べてくれた。
副島たちに襲撃され逃げまどっていた時にも、自分の立場が危うくなるというリスクを顧みず助けに来てくれた。
「……今度は僕が、助ける番だ」
蒼斗は大鎌を握り直し走り出した。
不思議な感覚だった。大鎌を通じ、脳が何をどうすればいいか直感で理解できた。
祥吾の変化した身体の一部が攻撃を仕掛ける。足元に刺さろうが、顔の横をよぎろうが構うことなくただ一直線に向かった。
間合いを詰め、手足を斬り払う。再生までは時間がかかる。隙が出来たところで蒼斗は大鎌を握りなおし、大きく振りかぶった。
「――あなたに悪魔の加護があらんことを」
二重に見える祥吾の境界線目掛けて大鎌を振り下ろし、蒼白い刃で切り裂いた。
「何、だと!?」
雄たけびを上げながら祥吾の身体が分裂した。片方の歪み切った形相に蒼斗は泣きそうになった――コイツを切り離せば、あとは……。
「視えた……っ、そこをどけ、蒼斗!」
切り離された異形を水魔鏡に捉え、亜紀は一歩大きく踏み出し剣を振るった。
身体から切り離され宙ぶらりとなった異形はあっという間に二つに切断され、断末魔の悲鳴を上げながら闇に消えていった。
「……やっと終わったか」
亜紀の大きく息を吐く声と共に、拾った銃をホルスターにしまう金属音が静かに響く。
「っ、祥吾!」
蒸気を発しながら元の姿に戻った祥吾に駆け寄り、刺激しないようゆっくりと身体を起こす。
意識が戻ったのか、数度瞼を固く震わせ、ぼんやりとした双眸が蒼斗を見上げた。
「う……っ、あお、と……?」
「祥吾……無事で良かった……っ」
「…お…れは……っ、お前に酷いこと……」
「そんなことを気にするな。全部は義父さんが仕組んだことだった。お前は利用されていただけだ」
目に涙を溜める蒼斗をよそに、亜紀と卯衣は銃を構え、水魔鏡ですっかり弱り切った祥吾を映した。
「! こんなことがあるのか」
「狂蟲が、一匹もいないなんて……」
祥吾の体内から狂蟲の姿は何処にも見当たらなかった。勿論、浸蝕されていた箇所も元に戻っている。いたって普通の人間だった。
蒼斗があの鎌で狂蟲を切り離したことで、根こそぎ取り払ってしまったというのか?
考えられるとすれば、これしかない。
信じ難いことかもしれないが、それが逆に死神ならではの力だと関連付けてしまえば納得できなくはなかった。死神そのものについては未だはっきりとしていないのだから。
「っ、助けてくれ、蒼斗!」
弾かれたように顔を上げ、異形の影に浮かぶ桐島の姿を視た。彼は恐怖一色に染め、必死に蒼斗に命乞いをしている。
「私が間違っていた! 義理とはいえ息子のお前を手にかけようとするなど……っ、償いはいくらでもする! だから殺さないでくれ!」
「義父さん……っ、僕は――」
狂魔は生きるためならどんなことでもやる。相手を惑わし、裏切り、平気で傷つける。一度染まった人間は、二度と戻ることはない。
――周りの音がなくなった。
ただ脳裏に亜紀の言葉が木霊し、ペラペラと口が回る桐島を呆然と見つめた。
あれだけ自分を殺そうと企て、部下を騙して狂魔に堕とし、実の息子を狂魔の苗床に作り上げた人間が今更……。
「蒼斗」
尊敬していた義父は、もう何処にも――いや、もしかしたら、初めからそんな存在は……。
「命令だ。――始末しろ、蒼斗」
冷ややかな亜紀の言葉をしっかりと捉え、ギリ、と柄を握りしめる。
「蒼斗……?」
卯衣の治癒の施しを受けながら、祥吾は訝しげに蒼斗と桐島を交互に見やる。彼からすれば重傷の父親に対峙しているだけに見えていることだろう。
その視線を背に受けながら、蒼斗は邪念を振り払うかのように叫び声をあげた。
かざした刃は崩壊した部屋の隙間から覗く汚い月夜に照らされ、妖しく輝く。
白銀の放物線を描き、桐島の首を跳ね飛ばした。
寄生されてしまえば肉体は驚異的な生命力を持ち、心臓を刺しても死にはしない。
人間の中枢である脳、または頭を斬り落とすことによって神経伝達を絶つ。
これは亜紀に与えられた知識ではない。しかし、赤黒く汚れてしまった鎌を手にした瞬間から、蒼斗はこの使い方を熟知していた。
息を吸って酸素を取り入れ、二酸化炭素を吐き出すように、当たり前のように頭の中に入り込んだ。
寄生した狂蟲は次の身体に移ることはできない。人間の身体の終わりとともに、桐島の首を繋いでいた身体は動かなくなり、灰となって風にさらわれた。
斬って、しまった……。
蒼斗の頭の中には、そんな後悔の念が押し寄せてきていた。役目を終えた刃は形を失い、足元にバシャリ、と跳ね飛んで飛沫を作った。
――崩壊した天井から、雨粒が降ってきた。その勢いは強まり、土砂降りの雨となって廷内に降り注がれる。あっという間に、全身がびしょ濡れだ。
重たい顔を上げ、小さな声で亜紀の名を呼ぼうとしたところで……蒼斗は言葉を失った。
コートは重たくなって水が滴り落ち、いつの間にか手にしていた煙管をゆっくりと吸って肺に送り込んでいた。顔は、よく見えない。
「――」
「あ、きさ……」
「青い刃か」
ふと顔を上げ、ブーツの踵を鳴らし、亜紀は感心したように頷く。
「さぁ、帰ろうか。俺たちの国に」
濡れて意味をなさなくなった煙管をそっとしまい、視界を遮る髪を掻き上げながらゲートへと足先を向けた。




