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「これは……?」
「さっき、長い話を覚えられる自信がないって言ったでしょう? そのコツを教えてくれる勉強会のお知らせ」
「こういう勉強会があるんですね。でも……」
聴く方が楽しいし、なにより学校のある時間帯だから参加は出来ない。
チラシをじっと見つめていた私に村崎さんは、
「真心ちゃんは学校があるから行けないっていうのは分かってるよ。ただ、こういう勉強会があるよって教えてあげたかっただけ。”おはなし”はね、本来は特別なことじゃないのよ」
と村崎さんはファイルに紙を綴じて脇に置くと、スツールを降りて同じ床の上に腰をおろした。
「おはなしを語る人も特別な人じゃない。そこらへんにいるおばちゃんばっかり」
ふふふ、と村崎さんは笑う。
「真心ちゃんは小さい頃誰かにおはなしをしてもらったことはある?」
私はふるふると首を横に振った。
「絵本は読んでもらったことがあるけど」
「そうよね。今は親やおじいちゃん、おばあちゃんから昔話をしてもらう機会が本当に少なくなって、昔話を口伝えできる人も少なくなったから、こういう勉強会を開いて、おはなしができるようになるためのお勉強をしているのよ。昔は農作業の合間とか憩いの時間に身近な大人が自分のおじいさんやおばあさんに聞いたおはなしを子どもたちに語っていたの。だから、語る度に少しずつ違う場合もあるし、人によっても少しずつ違う。お膝に抱っこされながら、囲炉裏を囲みながら、肩をくっつけて寄り添いながら、そんな体温を感じる距離で語られていた、すごくプライベートな時間を楽しむツールだったのね。そうして小さな頃から聞いていた昔話を、また自分の子どもや孫に話して聞かせる。そんな風に伝えられてきたのが昔話。最初からこんな本だったわけじゃないのよ」
と、今日語ってくれた『三枚のおふだ』が載っているそうな小さな薄い本を、私の手のひらに載せた。色画用紙で表紙を付けたような気取らない装丁のその本のタイトルは『ともしび』
「でもね、口承のままでは次に語っていく人が育たなければせっかくのいいおはなしが語り手とともにこの世から消えていってしまうでしょう? 今はテレビやゲームがあるから、おはなししてもらうことを唯一の楽しみにしていた時代ではないからね。だから偉い学者先生が現存している伝承の語り手の人から聞き取りをして、誰が聞いてもストーリーが分かるように再話して、こういう本にして、次の世にも残るように出版してくれているの。でも実際子どもたちに伝えていくのは私たち現場の語り手なのよ。語り手は育てていかなくちゃ育たない。私たちは伝承の途中にいるのよ。子どもたちにこのおはなしを楽しいと思って、誰かに話してくれたらいいな、そんな風に思っているの。良かったら読んでごらん。こんな薄い本の中におはなしが五つ載っているの。そのまま”語り”に向くように、耳で聞いて場面が思い浮かぶように再話されているの。これまでに真心ちゃんが聞いたおはなしもたくさん載ってるのよ」
「お借りします。あの、前におはなしは子どものものだけじゃないって教えてくれた人がいたんですけど」
遠慮がちにそう切り出すと、村崎さんは少しびっくりしたようだった。
「すごいね真心ちゃん。そのとおり」
よく知っていたわね、と村崎さんが褒めてくれるので、なんだか照れくさい。ただの受け売りだから。
「水曜日に一度だけその人のおはなしを聴いたんです。初めて”おはなし”を聴いたのがその人の時で。あの、若い男の人の語り手って珍しいんですか?」
おそるおそる訊ねてみる。別にあの彼のことだけを訊ねているわけじゃないんだから。
「そうねぇ、とっても珍しいわよ。大学で日本文学の口承文芸を専攻している学生さんでも語りを実践する人は少ないもの」
「そうなんですか」
村崎さんは含みのある顔でふふふ、と笑う。なんだか嫌な予感。
「貴史君、かっこいいよねぇ。今流行りのイケメンだものね」
かああ、と頬が熱くなった。
「ボランティアさんたちの間でも人気なのよ。次に貴史くんがボランティアに入る日を聞いておいてあげようか?」
「い、いえいえ、大丈夫です。あ、もう帰らないと。村崎さん、また来ます。長々とすみませんでした」
手に持っていたチラシと借りた本を通学鞄に入れ、村崎さんに慌てて頭を下げた。そしておはなし室を出る。
振り返ったとき目が合った村崎さんは気を悪くした様子はなく、にこにこと手を振り返してくれた。もう一度深々と会釈して、そして図書館を後にした。
彼はたかふみくんという名前なのか。
その名前を忘れないように何度か心の中で繰り返した。




