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通信ブラウザには、白いブラウスに着替えた櫻子の姿があった。
「さやか姉……あのね……」
「大丈夫だよ。何も心配いらないからね。ちょっとしたトラブルなんだけど、よくあることだから。たぶん三十分くらいで櫻子ちゃんの所に戻れるから、朝ごはん――」
「相手は、エマ姉なんでしょ!」
通信ブラウザに映った櫻子がその両の瞳一杯に涙を溜めて叫んだ。
言葉を失うさやかに櫻子は、ごめんなさいと小さな声で呟いてから、言葉を続けた。
「この部屋の通信端末って、部隊の通信を聞く事ができるの。たぶん、昔この部屋が司令部だったからだと思うんだけど……。さやか姉の事心配になって盗み聞きしちゃってた。ねえ、さやか姉……」
エマ姉を殺すつもりなの?
「え?」
「制圧って、そう言う事でしょ? だって、相手はエマ姉だよ。夏彦兄も強かったけど、エマ姉だって……。あのエライ人絶対分かってて言ってるんだよ――無傷でエマ姉を止める事なんて無理だって。さやか姉――」
「櫻子ちゃん、やめて……」
「あの人は、暗にさやか姉にエマ姉を――」
「お願いだから、やめて!!」
さやかの声が無人の廊下に響いた。
ブラウザの中の櫻子の瞳から涙があふれ出た。
もう、櫻子には分かっているのだろう。
さやかの立場と言う物が。
それが、いかに矛盾したものであろうとも、敵となってしまったエマ・ウィンターズと心を通わせる点がいかにあろうとも、それは決して交わる事の無い物である事を。
「さやか姉は、それでいいの?」
「………………」
いい筈がない。
でも――
「櫻子ちゃん……。私の立場を櫻子ちゃんは、分かっているでしょう?」
「うん。よく知ってるよ。それに私だって、軍にいた。いつも……先生のそばにいたよ」
「お姉ちゃんだったら、園田大尉だったらどうしたと思う?」
「…………」
櫻子の瞳からさらに涙が溢れ、閉じられた唇が苦しげに歪んだ。
櫻子は、知っているのだ。
軍事組織の命令がどういった物なのか。
それが、如何に個人的に受け入れがたいものであっても背く事は許されない。
そして――
それ故に……園田あかり大尉とその部下達は、戦略生体兵器『さくら』を使用した最後の作戦でその命を落としたのだ。
その事を、目の前の通信ブラウザの向うに居るこの戦略生体兵器の少女は、痛いほどによく分かっているのだろう。
でも、それでも敢えて、彼女はさやかにそう問い掛けているのだろう。
涙に濡れた彼女の漆黒の瞳に宿る光が、その事を如実に物語っていた。
さやかは、目尻を指で拭い、まっすぐに彼女の瞳を見返した。
「……私は、生徒隊長の任務を果たすだけ。学校と会社、そして部下であるみんなを守るのが私の仕事だから」
――さやか姉!!
それだけ言うと、さやかは声を上げた櫻子を遮るようにして、通信ブラウザを一方的に切った。




