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通信ブラウザが閉じると同時にエマがにっこりと微笑んだ。
「素敵な子だったわね、タチアナさん。それに、とてもしっかりしていて……彼女は、いくつなの?」
「へへっ。妹を褒められるとおいらも悪い気はしねぇやね。タチアナは、今年高校に入ったばかりだから……十五だな。地元の公立に通ってらぁ」
「美人さんでしたね」
「ほんと。夏音さん、夏彦くん取られちゃうかと思ったよっ!」
「そ……そぉかぇ?」
皆の反応に、ホントかぇ? そぉかぇ、そぉかぇ……とアレクセイは、嬉しそうに何度も頷いた。だが、ちらりと腕時計を見て「いけねぇ」と呟いて慌てて立ち上がった。
「すまねぇ。そろそろお暇しねぇといけねぇや。タチアナとセルゲイが待ってやがる」
「ああ、ところで今更なんだが……」
「おう?」
「あんた、今日は、そもそもここに何しに来たんだ? 俺達に用事があったのか?」
そう尋ねた夏彦に「ははは」と笑ってアレクセイは、夏彦の腕の辺りをぽんぽんと叩いた。
「今朝、おいらが夜勤明けで基地に戻ろうと歩いてたら、ここの窓からおまえさんとエマの顔が見えたのよ。それで、ちょいと挨拶したくなったのさ」
(なるほど……)
今朝、夏彦に向けて手を振ったのは、やはり彼だったらしい。
アレクセイは印半纏を羽織り直すと、幾分表情を引き締めて夏彦の顔を見た。
「問題は、これからどうするかだな。まあ、今日は、使わなかったみてぇだが、おまえさんの必殺技『音速斬撃』を使えば、また戦ったとしてもあの野郎に簡単に負ける事はあんめぇよ」
「俺の事、知ってたのか?」
「あたぼうよ」
アレクセイが、片方の目をつぶってみせる。まあ、戦時中あれだけ国防軍の広報が夏彦の戦果を喧伝していたのだから、知らない方が不思議なのかもしれない。特にアレクセイは、国家警察軍、特にその華と讃えられた治安警備部門『赤きルクレール』に在籍していたのだから尚更だ。
だろう? と自身の顔を見つめるアレクセイに夏彦は、しばし黙ってその顔を見つめた。
夏彦は、彼のその灰色の瞳を見つめてしばし沈黙した。
もう、ここに到って彼を疑うような事はしていない。
いや、むしろさっきのタチアナとのやり取りのお陰で、彼に対する信頼はより深まり、だがそれ故に今夏彦は、ある事を告げるのを躊躇しているのだ。
そして、実はそれこそが、夏彦の今の悩みのネックとなりつつある事なのである。
(――これをどうにかしない限り、誉さやかは決して斃せない)
と、その時隣にいるエマが、そっと夏彦の手に触れた。
目が合うと「私が、話した方がいい?」とでも言うかのようにそっと夏彦に目で問い掛けて来る。
(…………いや。これは、俺の問題。俺が自分で乗り越えなければいけない物だ)
夏彦は、エマの申し出を目でやんわりと断り、アレクセイに改めて言った。
「隠すつもりは無かったんだが……俺は、この表情の病気を患ってから、失感情障害と診断された前後から――」
(いや、そうじゃない……)
夏彦は、一端言葉を切り、唇を噛んだ。
今言った事は、ウソでは無いが、本当でも無い。
本当は、もう全て分かっていた事なのだ。
そして、その事に向き合う時が来たという事なのだ。
(これは――園田大尉が亡くなった時から……大尉の戦死を確認したあの夜からだ)
大尉……。
(あなたが亡くなって四年近く経ちました。でも……今でも俺は、あの時のままです)
大尉…………。
夏彦は、大きく息を吸い込み言葉の続きを言った。
「俺は『音速斬撃』を撃てなくなったんだ」
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