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さくらは、顔に掛かった前髪のせいで表情こそ窺えないが、僅かに見える彼女の頬には涙が付けた足跡がはっきりと残っていた。
無言で見つめる夏彦の目の前で、その上を新たな涙が一筋滑り落ちて行く。
ほのかが、脇からそっと彼女の手を握り――別の手がその涙をハンカチでそっと拭った。
「園田大尉は、あなたにとっても大切な人だったのね」
「誉隊長……」
「誉先輩……」
さやかは、ハンカチをそっと制服のポケットにしまい、悲しげに微笑んだ。
「はあぁ。困ったな……」
「すいません。でも、俺達は、この事に関して一切妥協はできません」
「それは、戦うってこと?」
「必要とあれば」
短く言い切った夏彦の言葉に小首を傾げて苦笑しつつ、さやかは、ほのかに視線を向けた。
「多賀城さん。あなたはどうする? もし、この一件にこれ以上関わらないって言ってくれるのなら、あなたは、この場に居なかった事にするわ。あなたは、さくらちゃんが、戦略生体兵器だっていう事を今初めて知ったみたいだし」
「…………」
ほのかは、唇を噛んで俯いた。
味方になって欲しいという夏彦の本音は、今も変わらない。
だが、それが彼女の今後の進路引いては、人生までも左右してしまう事は、なんとしてでも避けなければいけないと夏彦は思っている。
彼女にこれ以上の事を望むのは、あまりにも身勝手だろう。
ほのかと同じく、あの日手を貸してくれた国府田アレクセイについてもそれは同じだ。おそらく戦術生体兵器か機械化人間兵器であろう彼の実力は、ほのか以上にはっきりとあの場で見ている。今の夏彦達にとって喉から手が出るほど味方になって欲しい人物である。
だが――
だからこそ、けじめは、はっきりと着けたい。
あの状況で、あの場所で迷うことなく手を貸してくれた人達の誠意や好意を裏切りたくない無にしたくないのだ。
そんな思いは、エマも同じなのだろう。ほのかの表情を窺うエマの横顔を見つめて、夏彦は確信する。
その表情から、その意思を類推するのは、なにもエマと夏音だけでは無いのだ。
皆の視線を一身に集めて身を固くしていたほのかが、ゆっくりと顔を上げた。
「わたしは……さくらさんの、篠塚先輩やウィンターズ先輩の力になりたいです」
思わず顔を見合わせた夏彦とエマを尻目にさやかが、続きを促す。ほのかは、僅かに頬を赤らめながら、それでいて何の迷いも無いまっすぐな瞳をさやかに向けていた。
「あんな護送車列を組んで、女の子を運んでいるなんて普通じゃないです。よく分かりませんけど絶対おかしい、って昨日から思ってました。その……わたし、弱虫だし、能力もあまり役に立たないかもですけど、それでも、知っちゃったからには、ほっておけないです。篠塚先輩――」
ほのかのまっすぐな瞳が今度は、夏彦に向けられる。
夏彦もその瞳をまっすぐに見つめ返した。
「わたしをお二人の仲間に入れて下さい。お願いします」
「……お願いするのは、俺の方だ。ありがとう、多賀城」
夏彦は、テーブルに手を着き、深く頭を下げた。その隣でエマも瞳に涙を浮かべながら、ありがとう、と何度か呟いてほのかの手を握った。
そんな皆のやり取りにさやかは、やれやれと首を振る。
「困った事が一つ増えちゃったわけね。まあ、そう言うのキライじゃないけど……」
さやかが、脇にどけていたトレイを引き寄せ、席を立った。
食堂内は、すでに空席が目立ち始めている。五人のいるテーブルの脇をさやかに向けて敬礼しつつ生徒達が慌ただしく食堂を後にして行く。
空席になった背後の席の間を、体を細めて通り抜け、生徒隊長である少女は、改めて四人に向けて言った。
「篠塚くん達の言い分は分かったわ。もちろん、さくらちゃんを取り返すのが私の任務だから決して妥協はできないけど……でも、取り敢えず上には報告するね。あと――」
一端、言葉を切り夏彦、そしてエマ、さくら、ほのかと順に見つめて微笑んだ。
「園田大尉の事、聞かせてくれてありがとね」
ゆっくりと遠ざかって行く生徒隊長の背中を見送りつつ、その場にいた四人全員が、胸を撫でおろす。この場は、なんとか納まった。
もっとも――話し合いの結論は『決裂』だったが……。
(でも、それも予想していた事だ)
――いまさら慌てるようなことでもない。
夏彦は、相変わらずの無表情のまま全員分の緑茶を機械化召使にリクエストする。
機械化召使に淹れてもらったあたたかい緑茶を飲みつつ、一同がなかば茫然とする中、午後の授業開始十分前を告げるチャイムの音が、まるで遠くの世界の出来事のようにぼんやりと響くのが聞こえた。




