[29]
目の前が白々と明るくなって来て、夏彦はゆっくりと瞼を開いた。
視線の先には公団住宅のなんの面白みもない板目模様の天井が広がっている。寝袋の脇に転がっていた腕時計を見ると時刻は五時過ぎ。少々早く起き過ぎたか。
夏彦は、音を立てないようゆっくりと寝袋から這い出した。
彼が今いるリビングの襖の向こうには、夏音とさくら、そして、昨日の晩に駆けつけてくれたエマが眠っている。六畳ほどの広さしかないリビングに薄い襖。ちょっとした音でも皆を起こしてしまうだろう。
夏彦は、慎重な足取りでリビングに続くダイニングキッチンへと歩を進め、コップに水を汲むと、ベランダのプランターに水をやった。
それが済むと再びリビングに戻り、中央に置かれた座卓の脇でいびきをかいているウサギを慎重に跨ぎつつ、部屋の隅にある窓の取手にそっと手を添える。
そして、音を立てないよう慎重に力を込めた。
だが――
「おはよう、夏彦」
すーっ、と襖が開き薄いピンク色のパジャマを来たエマが現れた。
「おはよう、エマ。起こしちゃったか?」
「いいえ、三十分ぐらい前から起きていたわ。布団の中でじっとしてただけ。ごめんね、ベット取っちゃって」
「いや、俺の寝床なんかでよければ、いつでも使ってくれ。それにしても……こうやって泊まりがけで三人が集まるのなんて久しぶりなんじゃないか?」
「あら、そうでもないわよ。映画鑑賞会しよう、って言って集まったのが四月の中ごろだったから……。そうね、ひと月も経ってないわ……て、言うか一週間前よ」
「そう……か?」
「そうよ。まあ、私は呼んでもらえて嬉しかったけど」
そう言って、片方の目をつぶってみせると、エマは、リビングのすぐ隣のダイニングキッチンへ。錆ついてガタの来た電子コンロのスイッチを何回か捻って点火し、やかんを載せた。
夏彦は、一端窓際から離れ、冷蔵庫から取り出したラミネート容器を彼女に渡してやる。
口を閉じていた洗濯バサミを外し、容器の中身を覘いたエマが声を上げた。
「コーヒー……。本物のコーヒー豆! どうやって?」
「前に参加した護送車列の隊員の人にその手の事に詳しい人がいてモグリの店を教えてもらったんだ。夏音ともども、いつも世話になってる礼さ」
「夏彦――」
「俺には、そんなことぐらいしか出来ないからな……いつも、本当にありがとな」
そう言って夏彦は、戸棚の上から豆挽きを下ろしてエマに渡してやった。
「ありがと……」
小さな声でそう言うとエマは、頬を赤く染めじっとうつむいてしまった。
「エマ?」
「夏彦………………」
夏彦の問い掛けにエマは、恥ずかしそうに上目遣いに彼を見た。
青い瞳が微かに潤んで、その中には夏彦の無表情な顔だけが写っている。
胸に豆挽きとコーヒー豆の入ったラミネート容器を抱えたままエマは、相変わらずじっと夏彦を見つめていた。エマは自身をどう思っているかは分からないが、夏彦から見てもエマは相当にかわいい。
見つめられていると胸が高鳴るほどに。
ついに耐えられなくなって、先に目を反らした夏彦の頬に、突然やさしい感触がした。
振り返った夏彦にいたずらっ子のように小さく舌を出して、エマは、ぱたぱたと壁際のコンロに小走りに駆けて行った。




