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三枝医師の言葉に夏彦は、無言のままその両の瞳を見つめ返す事しか出来なかった。
三枝医師にこの『さくら』に関する一連の出来事を話すという事は、この一件にいやおうなく巻き込む事を意味する。すでに、多賀城ほのか、そして国府田アレクセイの二人を引き返す事の出来ない程の深みに引きずり込んでいるのだ。
ここで、三枝医師まで巻き込んでしまってよいものなのだろうか?
そんな思いが夏彦の口を重くしていた。
だが、夏彦の肩を掴む三枝医師の手にそっと誰かが手を添えた。
「夏音……」
「夏音さん」
夏音は、三枝医師の手を握ると、皆の顔を順に見つめ、そして部屋の隅で壁に寄り掛かっていた本田直子をチラリと一瞥してから言った。
「夏彦くん。夏音さんは、三枝先生には、お話するべきだと思うよ」
「だが、夏音、先生も巻き込んでしまうんだぞ。今、そばにいてくれるほのかやアレクセイだって、今は無事だが……」
「夏彦くん――」
夏音は、三枝医師の手を離すと夏彦を正面から見つめた。
彼女の鳶色の瞳が澄んだ光を帯びて夏彦をまっすぐに見つめていた。
「夏音さんは、みんな無事に、さくらちゃんと一緒に帰って来てほしいんだよ。そのためにみんなと一緒に戦いたいんだよ。もうね、夏彦くんとエマさんに守られるだけのお子様みたいな夏音さんでいるのなんてイヤなんだよ」
それにね、夏彦くん……。
「それは、たぶんここにいるみんなも一緒なんだと思う。ほのかさんもアレクセイさんも三枝先生も、それに、たぶんだけど本田さんも……。みんな……みんな、夏彦くんやエマさんと一緒にさくらちゃんを取り戻したいんだよ……。だから――」
夏音の瞳に薄らと涙が盛り上がったかと思うと、一筋の涙がその頬を伝った。
三枝医師、そして夏彦を含む皆が見つめる中、夏音は最後に言った。
「一人で背負いこんじゃダメだよ。夏彦くんもエマさんも、自分で何とかしようとしないでよ。夏音さんは、夏音さんは……夏彦くんの事が、みんなの事が大好きだから。だから……」
「夏音さん。もういいよ、十分だよ……ありがとう、夏音さん」
ありがとう――。
三枝医師は、夏音の肩を抱くと、そっとその頭を抱き寄せる。医師のスーツにぽたぽたと夏音の瞳からあふれた涙が小さな染みを作った。
と、アレクセイが遠慮がちに声を上げた。
「夏彦――」




