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後編

 夏が終わり、日中の焦がすような日差しが和らぎはじめた残暑の季節。

 大柄の男、伸行は揺れる電車の中にいた。

 休日ということもあって車両には人の集まりがちらほらと。親子連れや男女二人組、少年少女達がなごやかに談笑している。

 一方で伸行は一人座席、背中に陽光を受けてうとうととうたた寝をしていた。手荷物はなく、ネイビーのズボンを中心に落ち着いた格好。表情は穏やかで、浅い意識の上をゆらゆらと漂っている。

 ほどなくして電車は駅に着いて、ぐぐっと慣性が働いた。強い揺れに彼は浅い眠りから現実へと引き戻された。

 上体を起こす。

 左手で目を覆って、まぶたをわずかに擦る。

 通路を挟んだ窓の向こう側の景色を見て伸行はわずかに安堵した。

 ……よかった。寝過ごしてないみたいだ。

 ポケットに入りきらない手で携帯電話を探って、開いて時刻を確認。

 まだ到着まで時間がかかりそうだと判断して、次は寝ない様にと伸行は気を引き締めて背もたれに体を沈めた。

 二十分後、伸行は目的地へと到着した。

 この都市随一の大きさを誇るターミナル駅だ。

 迷路のような道を抜け、改札を出た。

 駅前の広場に進むと、巨大な噴水がいくつもの水柱と水流が透明な城を形作っていた。その周囲には人がぞろぞろと落ち着かない様子で取り囲んでいる。

 およそ数十人。

 待ち合わせ場所の定番なのだろう。誰も彼もが待ち人か時間を待っている風で周りを見回すか時計や携帯電話を見ていた。

 伸行は昨日聞いた言葉を思い出す。

『じゃあ、待ち合わせは駅前にあるおっきな噴水! 三時丁度に待ってるからね?』

 予想以上の人の数に伸行は苦笑い。

 ……待ち合わせ場所にするにはここは人気ありすぎだな。

 さて、と伸行は辺りを見回した。視界に柱に固定された大型時計を見つけた。短針はほぼ右を指し、長針は真上から僅かに右へ逸れている。

 大体、三時過ぎか。という事は──

「こっちこっち!」

 聞きなれた声に、反射的に顔を向けた。

 視線を左へ右へと動かして、なにやら不思議なものを見つけた。人混みの中から現れては消えてを繰り返す一本の細腕だ。

 慌てて人ごみに近づき、引き抜いた。

 現れたのは白いワンピースの少女、湯乃川だ。

「埋もれちゃってた」

 肩にカーディガンを一枚羽織って重量感のある男物のリュックサックを背負っていた彼女は、えへへ、と笑顔でそう言った。

 ……ぐあっ! か、可愛い……。

「伸行くん……?」

 私服姿に思わず見蕩れていた伸行は、ぶるぶると顔を振って、

「すまん、待たせたな」

「全然! まだバス来ないしだいじょーぶいっ」

 と、小さくVサイン。

 周りの視線に少し恥ずかしそうにいって、彼の袖を摘まんでバス亭へと歩き出した。

 

                   ◆

 

 バスが到着したのは、大きな緑地公園だった。

 県内で有数の広さを誇るその面積は、『百エーカーの森』にちなんで『百ヘクタールの緑』とキャッチコピーがつく程。

 馬に酷似した未確認動物がマスコットキャラクターで、園内の案内板にはその『ムーさん』が散りばめられて二人の笑いを誘っていた。地図には名物でもある巨大遊具、豊かな池や食事や土産を楽しめる店舗が描かれていたが、それらを素通りして二人は何もない芝生の丘へと進んだ。

「意外と空いてるね」

「客はみんな遊具に向かっているみたいだな」

「はあー……ふんふん……」

 いわれて湯乃川が周囲を見回すと、一帯には老夫婦や小さな子供を連れた家族がぽつぽつとレジャーシートを広げて休んでいるだけだった。遊びたがりの子供やデートに来たカップルにはここは退屈なのかも、と思う。

「じゃあこのあたりにしよっか?」

 伸行はよっしゃと一声。湯乃川からレジャーシートを受け取って、緩やかな傾斜の頂上に広げて適当な荷物で四隅を固定する。

 続けて湯乃川は四角い風呂敷を取り出した。

「んと……じゃ、じゃじゃーん……!」

 広げて現れたのは四段の重箱だ。

 一緒にくるんでいた使い捨てのおしぼりを渡した。

 伸行は礼をいって受け取り、手を拭きながら重箱を見て感嘆の声をあげた。

「それにしてもすごい量だな」

「伸行くん、たくさん食べるでしょ? だから私、頑張ってきたのです!」

 気合が入った面持ちでぐっと拳を握っていう湯乃川に、伸行は笑いながら答えた。

「そいつは楽しみだ」

「えっへん」

 彼の言葉に若干顔を強張らせながら、湯乃川はえへんと小さな胸を張った。そう自信満々に言いつつも、しかし実の所は不安だった。

 ……学校でずっと見てきたんだもん。好きな食べ物は当然予習済み……だけど、気に入ってくれるのかな。

 一方で伸行は単純明快。餌を前にしたペットと同じ表情で、無限の可能性を秘めた重箱の中身に期待を膨らませて蓋を持ち上げた。

 入っていたのは、おにぎりだ。

 大きさがばらばらの不揃いなおにぎりが一段目の器に窮屈そうに詰められていた。

「おお。まずはおにぎりだな」

「うん。中学の卒業文集の伸行くんの自己紹介に、好きな食べ物はおにぎりだーって、書いてたんだよ」

「よくそんな昔のこと覚えてるなあ」

「えへへ……」

 照れ隠しに湯乃川は頬をかいた。

 彼女はその時からずっと自分を見ていたのだろうか、と伸行は彼女の想いを想像してかーっと胸が熱くなるのを感じた。

 嬉しさに頬を緩ませながら一段目を持ち上げて、二段目を見下ろした。一段目以外は上の段そのものが蓋の役割をしているのでそのまま中身が伸行の目に映る。

 待っていたのは、おにぎりだ。

 小さな両手で握ったとは思えない横綱体型から団子のような小さな球状まで、正方形の中にぎっしりと並んでいた。

 予想外の内容に伸行は呆気にとられた。

 湯乃川は彼の胸中など露知らず、熱っぽい顔で語った。

「こっちはね、梅おにぎりなんだよ。高校生の時、伸行くんが学校に持ってきてたお弁当っていつも梅干しが入った日の丸弁当だったから、梅干しも大好きなのかなあって……。それで入れてみました……ど、どうかな?」

 懐かしい話だ、と伸行は当時を振り返った。

 確かに母が作る弁当の半分は常に白米に梅干しだった、と。

 その何故か毎日入っていたというその梅干しは、息子の好物を欠かさず入れる優しい母からの賜物──ではなく単に料理下手な母にできる料理の選択肢レパートリーから最も安牌で簡単なメニューがそれだったという悲しい理由なのだが。

 彼女の説明を聞いて、伸行は二段目にある十個のおにぎりの具材は梅である事を認識する。

 その時、ある想像が伸行の脳内によぎった。

 湯乃川は二段目は『梅おにぎり』だと説明した。対して一段目は『おにぎり』だといった伸行に否定も補足もなかった。

 それはつまり、

 ……一段目は全部、具なしの『白むすび』という事か……!

 直視しがたい可能性。

 思わず伸行は重箱から目を背け──否、踏み止まった。

 再び一段目へと視線を向けて、考えを改めた。

 まだ可能性の話だ、と。

 事実は全て食べてみなければ分からない。それにおにぎりの魅力は具材の多様性だけではない。根本的におにぎりは一つの料理だ。ならば味も知らずに具材を聞いて優劣を決め付けるのは暴論に等しい。作った彼女に対しても失礼ではないのか。

 ……まるでシュレディンガーの猫、いやシュレディンガーのおにぎりか。

 伸行は腕を組んで、うんうんと頷いた。

 その反応を見ていた湯乃川は、一人困惑していた。

 自分の説明を聞いて、彼は複雑な表情をしていた。真剣な顔でおにぎりを品定めしたり、目を背けたり、頷いたり。それがまるでテレビに写る著名な料理の審査員のようだと彼女は固くなった。

 最終的に自分のおにぎりを彼は気に入ってくれたのか。それが気になって仕方ないが、答えは直接彼の口から聞く他ないだろう。湯乃川は小さな口をきゅっと結んでそう決心した。

「さてと、次は──」

「三段目もね、たぶん大好物だからね」

「そうか、そいつは楽しみだな!」

 伸行は空元気で笑い飛ばして、三段目を開けた

 中身はやはり、おにぎりだ。

 一つとして同じ形のない多彩なおにぎりが重箱の中に所狭しと詰め込まれている。

 流石の伸行もこれにはげんなり。だが態度には出さず、

「これは……?」

 短く問うと、彼女は赤らめた顔を俯かせて落ち着かない様子。もじもじと数秒躊躇した後に恥ずかしそうに答えた。

「……鮭おにぎり」

「なんで鮭なんだ?」

「えっと……私ね、ご飯に鮭フレークかけるの、好き……なんだけど。……私の好きな物、伸行くんに知ってもらいたくて……」

 湯乃川は尻すぼみ気味にいうと、伸行はなるほどと一言。瞑想でもするかのようにゆっくりと目を閉じて考え始めた。

 好きな食べ物というのは月並みの話題だ。だが食事中にはしばしば持ち出される人気の話題でもある。自然に話を切り出すには実際にその料理を出した方が良いだろう。

 それに鮭おにぎりはバラエティに富むおにぎりのなかでも定番中の定番だ。塩が効いた鮭とご飯の相性は非常にいい。おにぎりを語るというのならば、必須といっても過言ではない。

 鮭おにぎりを選択した彼女に非はない。仮に問題があるとすれば、ここまで三連続でおにぎりが選ばれているという一点のみだが──

 ……完食してしまえば、何も問題はない……!

 伸行は心の内であげた彼女への賞賛を気合を体に漲らせてそう締めた。

 だが反対に湯乃川の顔は不安でいっぱいだった。

 もしかして、とおそるおそる尋ねた。

「鮭、嫌いだった……?」

「へ?」

 予想外の言葉にがくりと右肩を落とした。

 ……違う、そこじゃない。

 危うく伸行は条件反射で口に出して突っ込んでいたが、今の彼女には言えないと自重した。

 思えば今日の湯乃川はまるでちぐはぐだった。

 噴水広場で人混みに埋もれていたのは待ち合わせよりも早く着すぎたからだろうか。女性らしい格好に似合わないリュックサックも、重箱を入れるために慌てて用意したのかもしれない。その中身の量も男女二人で食べるには多すぎた。

 きっと相当気合を入れてきたのだろう、そう思った時にはもう口からこぼれていた。

「ありがとう……」

「え──」

 湯乃川は驚いた顔で見上げた。

 伸行は安心させるように力強く頷く。

 彼は気付いた。俺は馬鹿だ、と。

 弁当の中身がどうした。もしも全部のおにぎりが白むすびだったとしても、こんなに頑張って作ってきた彼女を責める権利はだれにもない。

 そうだろう、と自分に問いかけた。

 答えはもう決まっている。

「今日はおにぎり祭りだな! 食っていいか?」

「……うん」

 小さな答えを聞いて、伸行はひょいひょいと両手で二種類のおにぎりを手にとった。片方は親指と人差し指でつまんで丁度いい小ささで、もう片方は彼の手の平ほどの大きさだった。それを交互に口に運んだ。

 感想は、

「これうまいな!」

「本当……?」

「ああ! 鮭がいい感じにしょっぱくてうまい。お、こっちの梅もいいな! やっぱりご飯には梅が一番合うなあ!」

 まぶしいくらいの明るさでそういって、ぺろりと手持ちのおにぎりを平らげた。休まず次のおにぎりを掴み取る。

 対照的に湯乃川は弱弱しい声で、でも、と呟いた。

「全部おにぎりになってるし……」

「むしろ大歓迎だ! おにぎりはうまいし、色んな具があって飽きないし、食べやすいし……うまいし!」

「うまいって、二回言ってるし……」

「そりゃあ、うまいからな。こっちのしろむすびもシンプルだけどうまいぞ!」

「ふふっ……馬鹿……」

 湯乃川は嗚咽を漏らしながら伸行に背中を向けた。

 濡れた顔にハンカチを当てた。けれどいくら拭き取ってもそれは止まらなかった。緊張と辛抱で塞き止めていた涙腺が決壊して、ずっと我慢していた堪えていたものが溢れ出ていた。だが彼女の顔には笑顔があった。

 ……ありがとう、伸行くん。ずっとあなたのことを好きでいて、良かったよ。

 伸行は晴れ晴れとした表情で頬張った。

 彼女の涙が止まった時に安心して振り返れるようにと、ずっとそうしていた。

 うまい、うまい、と嬉しそうに。

 

                   ◆

 

 ふう、と伸行は一息をついた。

 体を斜めに倒して空を仰ぎ、腹部に抱えた大きな風船を片手でさすった。

 見上げた空は変わらず快晴。

 変化したのは彼の膨れ上がった胴体と、重箱の様子と、隣に座る彼女の表情。

 こちらを振り返った時の湯乃川は涙で目元を赤く腫らしていた。気丈に振舞う彼女に伸行はどう接すれば良いのかと落ち着きなく心配してしまったが、すぐにそれは杞憂だと気付いた。

 彼女は今、魔法瓶の水筒とコップを取り出してお茶を振舞っている最中。顔色のいい湯乃川から湯気が立つコップを受け取って、もう心配はいらないだろうと伸行は再認識する。

 伸行がほうじ茶をすすっていると、湯乃川は片づけを始めた。ゴミは分別してビニール袋。並べられた重箱は元の形へと積み重ねる。

 箱の中身はどれも空っぽだ。小一時間前までそこにあった料理のほとんどはもう彼の胃袋の中だ。風呂敷で包んでリュックサックに仕舞いながらそのことを思い出して、湯乃川は口元を緩めていた。

 一仕事を終えて振り返ると、

「ありがとう、うまかったよ」

 伸行からコップとともに礼を受け取った。彼はすぐさまその場で寝転んだ。まるで父親みたいだと湯乃川は小さく笑って、同じコップにお茶を注いで一口。こく、こく、と。

 程よく熱を持った喉を潤す液体。

 音は静か。草木が時折ささやく程度。

 柔らかい陽光が彼女を照らして心地よい気分にさせた。

 すると無意識のまま湯乃川は、こくりこくりと舟をこぎ始めた。我慢できずに家でくつろぐ様にその場で横へ。

 気付くと、

「うっ……」

「えへへ……」

 はからずも目が合ってしまった。

 伸行は耐え切れずそっぽを向いて、湯乃川は照れ笑いでごまかした。

 彼女の笑顔につられてか伸行も赤い顔のまま視線を戻して、にへらと笑い返した。それでもやはり、猫のように目をあわすことができずに顔を反対へ逸らしてしまう。

 それから、彼の高鳴る鼓動が数回数えた頃のこと。

 突然、風が吹いた。冷たい風だ。

 足先から頭まで、びゅんと巨大な空気の塊が一気に通り抜けたのを伸行は感じた。驚いて反射的に体を起こして過ぎ去った先を見つめた。

 一方で湯乃川は二重の意味で驚いていた。

「わ、わ──」

 ぶわっと。

 白い裏地と、白い肌。

 ワンピースのスカートが派手に舞い上がっていた。内側の彼女の体が光に照らされて煌いた。

 声を聞いて思わず伸行は振り向き、即座に見てみぬ振り。

 ……うわ、わ、うわああ──

 慌てて湯乃川は両手を突き出して風を受けて膨らむ衣服を押さえ、ひたすら収まるのを待った。

 しばらくして、風は過ぎ去り。

 と緊張の糸が切れた二人は、示し合わせたかのように肩を下ろして息を吐いた。

 ふとお互い顔を見合わせた。

 湯乃川も伸行も同じ顔をしていた。頬は恥ずかしさに朱色に染まって、髪は突風で好き勝手に跳ねていた。

 突然の出来事とお互いのへんてこな様子に、揃って吹き出した。

 二人は外にいることも忘れて、笑い声を響かせた。

 

                   ◆

 

「私ね、中学一年生のときから、伸行くんのこと気にしてたんだ」

 そういって湯乃川は話し始めた。

 胡坐を組んだ伸行は相槌を打つ。だがその首は小さな違和感にぴたっと止まって、右へとひねられた。当時を思い出す彼の記憶に湯乃川はいなかったのだ。

「私は、あんまり目立ってなかったかな。むしろ伸行くんはすっごく目立ってたよ」

「そうか?」

「うん。伸行くんのこと気にしない人なんて、多分クラスにいなかったんじゃあないかなあ。だってその時からクラスでいっちばん体が大きくて、体育の授業とか大活躍してたもん」

「そういえば中学に入るときには、みーんな俺より小さかったなあ……」

 代わりに伸行が思い出したのは、楽しかった学校生活だ。

 誰よりも運動が得意で、どの科目よりも体育が好きだったのは良く覚えていた。平均以上に体が大きかった自分は、手足が長くて力があった。何のスポーツをするにも自分の独壇場だった。

「一年生の時の、郊外学習は覚えてる?」

「あったような……なかったような……」

「私たちのクラスはね。車の歴史についてや色んな部品が展示された博物館にいったんだよ」

「うーん……」

 眉間にしわを寄せてうんうんと唸ること十秒。伸行は、あっと声を出して、

「めちゃくちゃ混んでた記憶しかない」

 すまん、と両手を膝の上に着いて頭を下げた。私もほとんどそれくらい、と首を振って湯乃川は苦笑。

「ものすごく混んでたけど、同じ班の子と一緒に色んな展示物を見ながら私、夢中でメモしてたんだ。学校に戻ったらみんなの前で発表しないといけなかったから。でもね、気付いたら周りには他校の人しかいなくて、班のみんなとはぐれちゃった」

 続けて、

「その頃の私って今よりもずうっと背が低くてね。周りが人ばかりだと自分がどこに居るのか分からなくて。右を見ても左を見ても知らない人しかいなくて、どこに同じ学校の子がいるのかも全然分からなくて」

 でも、

「一人だけ、ちっちゃな私にも見つけれたの」

 目を細めて優しく語る湯乃川に、伸行は問いかけた。

「それが──俺?」

 彼女はそっと頷いた。

「周りの人、みんな私よりも背が高かったけど、伸行くんはもっともっと背が高かったから。だから人混みの中でも伸行くん目指して進んだら、みんなと合流できたんだ」

 そう言って、

「伸行くんは私にとってはすっごいヒーローなんだよ」

 と、自慢するように微笑んだ。

「でも、中学で一緒のクラスになれたのはその時だけ」

 湯乃川は懐かしみながら当時を思い出して背中を丸めた。顔を上げて、だからね、と。

「一緒の高校に入って、また一緒のクラスになれた時、すっごくうれしかった。うれしすぎてうれしすぎて、めちゃくちゃ泣いちゃった。受験に合格した時と、クラス分けの発表の時」

 結局そこでも一緒に話くらいしかできなかったけど、と最後に付け加えて彼女は口を閉じた。

 ……ああ、そうだったのか。

 伸行は彼女の語る話を聞いている内にある事に自然と気付いた。

 多分彼女はずっと自分の事が好きだったんだ、と。

 なのに当の相手は大馬鹿だ。

 大馬鹿な上に、自分に好意を抱いている人が居るなんて考えもしない鈍感野郎で、自分から告白する勇気も持たない根性なしと来た。きっとその恋が独りでに成就することはなかっただろう。

 気持ちを伝えるのが遅れたことに、伸行はすまないと思う。

「それなら、仁と剛に感謝しないとな」

「えっと……在村くんと、岸宮くん?」

 湯乃川は首を傾げて聞き返す。

「二人で遊びに行くくらいに仲良くなれたのは、同窓会とこの間のキャンプのおかげだろう?」

「うん」

「その二つを発案したのもセッティングしたのも、実はあの二人なんだ」

「そうだったの?」

 その時の二人を思い出し笑いしながら、

「会社で彼女探しても全然できないって嘆きながらだったけどな」

「だったらみきちゃんも綾ちゃんもいい子だし、今彼氏いないから全然おっけーだよ!」

「あー……そっちは信用してるんだけど、こっちの二人は馬鹿だからなあ……」

 自分を棚に上げている事を自覚しつつ、自分に勝るも劣らない彼らの馬鹿さ加減にため息を吐いた。

 いや、と伸行は口元に手を当てた。

 ……もしかするとあの二人は、俺の湯乃川に対する気持ちにずっと気付いていて、人知れずキューピッド役として幹事を買って出たのかもしれない。

 思えば二人の言動には不審な点がいくつかあった。だがそう考えれば彼らの行動には納得がいく、と確信した。

 それを口にしようと、隣に並ぶ彼女の名前を呼んだ。

 湯乃川、と慣れ親しんだ呼び名で。

「っ……」

 彼女は肩をびくりと震わせた。

 答えは無言で、自分の言葉に何か問題があったのだと伸行にもわかった。彼女は膝を抱えて自分のつま先を見つめた。

 再び伸行は名前を呼んで、問いかけた。

 それでも返事はなく、代わりに顔色だけは正直だった。熟れたりんごの様に真っ赤に染まったそれは、恥ずかしくて口にできないとでも言いたげだ。

 自分の心を鷲掴みする可愛らしさにじっと我慢して待っていると、やがて彼女は口を開いた。

「は、はる……」

 消え入るような声だった。

 緊張と恥じらいが唇を彼女の意思と関係なく揺さぶった。

 目を閉じてぐっと気持ちをこらえて、湯乃川は声を全身から搾り出した。

「はるねって……!」

 呼吸を整えながら、潤んだ瞳で伸行を見つめた。

「せっかく、こ、恋人になったんだから……名前で──」

 伸行はうろたえた。

 『恋人』と言われると照れ臭くて。

 名前で呼べていない事実を突き出されて。

 何よりも今の湯乃川の表情が狂おしい程に可愛くて、車に衝突したかの様な衝撃で心臓が跳ね上がった。改めて、自分は彼女の事が好きなのだと痛感した。

 口を開くが、

「は、は──」

 戸惑いが言葉にならない声に変えた。気持ちの整理が一向に終わらない。

 目を逸らして、頭をかいて、

「あー……──」

 どこを見ればいいのか迷って、どんな顔をすればいいのか困って、

「うっ……──」

 やっぱり言うべきだと顔を紅潮させて、最終的には満開の笑顔で、口にした。

「は、──はるねっ!」

 精一杯の勇気を出して、小さな彼女の手に無骨な手を重ねた。湯乃川は、ぼっと体から煙を出さんばかりに顔を赤くした。

「はわわっ……」

「はるね……」

 もう一度、今度は落ち着いた声で呼ばれた。

 湯乃川は伸行の肩に寄り添って、返事をした。

「は、はい……伸行くん」

 二人はいつまでも話し続けた。

 ほどなくして日は傾き、彼らを夕焼けが照らす。並んで座る丘は真っ赤な光に包まれて橙色に輝いた。それはまるでいつかの夕暮れの教室。

 話題に限りはなく、時には笑い合い、時にはからかい合う。昔の思い出から昨日の出来事まで、取るに足らない世間話ばかりを口にした。

 日が沈むまで。

私の初投稿作品を最後まで読んでいただきありがとうございました。

また、作品を書くきっかけを作ってくださった皆様、作品を書くに当たって各種表現や文章の書き方の参考に勝手にしてすみません、多くの先生方、ありがとうございました。


以下、反省会。

書きなれてない癖に無計画に書き始めたので書いてる途中でぐだぐだ。

キャラ設定を何も考えずに書きはじめたのでキャラの性格が変わること数回(そのたびに全体見直して書き直し)。

「後日談」はもっと短くする予定だったけど長くなって前後編に分かれることに。

終わり方をある程度書いてから思いついたので、かなりばっさり切り捨てるハメに。

だらだら時間かけて書きすぎて脳内設定がばがば(お題貰ったのが去年の十月。その間なにしとんねん!)

以上。


これをきっかけに、次の作品も無事書くことができるよう頑張りたいと思います。そしてもし次も読んでいただけたら、とても嬉しいです。

せめて月一ペースで……。


二〇一六年二月 仕事前夜の悲しみと共に。

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