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ストレンジ


 橙色に染まった床に足を投げ出して座り、給水塔にもたれかかって床と同じ色に染まった空をぼぉっと見る。

 授業が終わって何時間かたった後。旧校舎の屋上からしか見ることができない、橙色に燃える世界まち

 道路や家屋、ビルといった人工物から木や生垣、遠くにそびえる名もなき山などの自然物まで。何もかもが橙色に燃える桜ヶ丘町。

 普段の何の変哲も無い風景も好きだけれど、やはり放課後に見るこの風景が、一番好きなのだと自覚する。


 このまま目を閉じれば、眼前のこの風景と同じように橙色に燃え、溶けてしまいそうなほど心地がいい。

 季節はとっくに夏を過ぎ、気が付けば秋も残すところあとひと月ほどで、冬の足音が聞こえてきた今日この頃。

 早朝や夕方に肌寒さを覚えることも多くなってきた。けれど、夕方であるはずなのに、今この瞬間は眠気がするほど心地がよく、まるで春の陽光を浴びているようだ。

 

 だから、襲ってきた眠気に抵抗することをやめた。全面降伏だ。

 でもその前に――。

 最後の抵抗として、目を大きく見開いて眼前の風景を目に焼き付ける。

 そしてそっと目を閉じた。

 瞼の裏に、大好きな町が大好きな色に燃えた大好きな風景を閉じ込めるように。たっぷりと時間をかけて、ひたすらにゆっくりと。

 

 十数秒かけて目を閉じて、暗くなった視界のまま、もたれかかった給水塔と同化してしまうくらい体から力を抜く。


 目を閉じてからまもなくして、さっきより強烈な眠気が襲いかかってくる。

 それに身を委ねてさらに脱力。

 まもなくして、まるで自分だけが世界から切り離されたように、五感の感覚が無くなっていった。

 まず最初に聴覚。次いで嗅覚に触覚、最後に味覚。

  

 生を彩る感覚の全てが薄れ、極めて希薄になった世界。

 彩りの無くなった世界でただ感じるのは、規則正しい心臓の律動と、暖かくやわらかな熱。


 やがて思考に靄がかかり始め、本格的に意識が遠のく。

 

 そして――、



「またここで時間つぶしてるんですね、センパイ」

 一度その声を聴けば体の芯まで冷えて凍り付いてしまうくらい平坦かつ無機質な声を聞いて、意識が急浮上する。

 睡魔に襲われ涙の溜まった目を見られて小言を言われるのは面倒くさいので、咄嗟に拭って証拠隠滅を図った。

 

 カツカツと規則正しい音を響かせ、屋上入口から給水塔に近づいてくる少女――七草麻耶。

 その規則正しい音が止み、少しして服がこすれる音とともに若干の間隔をあけて隣に座る七草。正直距離が近い。

 


 俺と七草が知り合って間もないせいなのか、まだこの少女との距離感が上手く掴めなくてどぎまぎしてしまう。

 だが、七草にそれを悟られるのも癪なので、自然体を意識して隣に座った彼女の顔をちらと横目で見る。

 七草は言葉にこそ出していないが、本当に暇なんですね、とでも言いたげな嘲笑の色を浮かべた表情でこちらを見つめていた。

 その微妙にむかつく表情に少し、ほんの少しだけイラついたので、


「放課後なんだから、俺がどこでなにしてようが勝手だろ。それに、やることはやってんだよ」

 そう言って、床に置いてある教科書を指さす。

 風でページはめちゃくちゃに捲られているが、一年生である七草に二年生の教科書の内容と、それが次のテスト範囲外であることは分からないだろうと高を括っての発言だ。

 

「へえ。センパイは次のテストの範囲外まで勉強してるんですね。案外優等生じゃないですか」

 七草にしては珍しく感心した様子で頷きながらそういうものだから、内心でかなり驚愕する。

 

「…………もしかして七草って全学年のテスト範囲まで把握してるのか?」

 優等生だとは思っていたが、もしそうだとしたら七草はかなり勉強熱心なやつなのではないだろうか。

 おそるおそる尋ねると、


「センパイは本当に分かりやすいですよね。ただ鎌をかけただけですよ」

 あっさりとそう白状し、口元に手を当ててクスクスと上品に笑うのだった。

 一応センパイなのだから、もう少し気を遣おうとか、そういう気分にはならないのだろうか。


「そんな気分にはなりません。大体、気を使って欲しいのでしたらもう少し言動に気を遣ったらどうですか」

 返事だけで済ませばいいものを、律儀に皮肉を飛ばしてくる七草に何かを言い返してやろうと思い、ふと疑問が沸いた。


「俺今、口に出してたか?」


「いいえ。センパイの考えていることは読みやすいので言ってみただけです。当たってました?」

 小さい子供が悪戯をしかけたときのように茶目っ気にあふれた表情でそう言う七草。しかし、七草に出し抜かれたと思うといやにむかつく。

 

「いや、全然当たってないね」

 むかつくので、意味もなく否定しておいた。

 意地っ張りと言われるかもしれないけれど、何故か七草にだけは負けたくないというか。うまく言葉にできないがそういった感情が自己主張を始めるのだ。


「そうですか。…………まあ、そういうことにしておいてあげます」

 全てを見透かされているというか、馬鹿にされているというか。その種の居心地の悪さを感じたので教科書を手に取りページを捲って居眠りをする寸前まで読んでいた箇所まで戻す。

 勉強を再開したのを見て、七草も鞄から文庫本を取り出して読み始めた。


 七草が屋上に来るまでの時と同じように、あたりを静寂が包む。

 今年の夏まで碌に面識のなかった後輩の女子と屋上で二人きり、という状況にも関わらず俺の胸は特にときめいていない。

 それもそのはず。俺は、本郷恭弥は七草麻耶の事が嫌いなのだ。

 口を開けば馬鹿にしてくるか、からかってくるかの二択だし、言葉遣いがいちいち丁寧で辛辣な慇懃無礼な部分がある。


 だから嫌い。……なのだけれど、なんとなくその一言で済ませたくないという複雑な心境がある。


 別に、容姿にほだされたわけではない。

 確かに容姿は整っている。黒く艶やかな黒髪。切れ長の目に、じっと見ていると引き込まれてしまいそうなほど美しい黒色をした瞳。

 残念ながらケチをつけるところがどこにもない、文句なしの美少女。

 だが、別に容姿の良さは重視していない。不細工が好みだとは言えないけれど、性格が合わない時点で選考基準から外れている。


 

 だとしたら何がこの複雑な心境を作っているのか。

 答えはもう出ている。それこそ七草と出会ってからすぐに。

 世間的には変わっているのかもしれない。いや、自分でも変わってるなと思ったくらいだ。きっと変わっているのだろう。


 

 俺が七草麻耶のことを嫌いという言葉で片づけられない理由。

 七草麻耶のことが嫌いなはずなのにこうして屋上で遭遇した時には同じ時間を共有する理由。



 それは、七草麻耶と一緒にいるのが好きだから。


 

 七草とこうして同じ時間を共有することだけが好きで、後はほとんど嫌いだ。

 性格も口調も言葉遣いも、ときおり見せる笑顔も、反対に馬鹿にしているような嘲笑も。

 耳にするたびに、目にするたびに、調子が狂う。

 ここまですらすらと嫌いなところが出てくるのだから、たぶんきっと恋しているというわけではないのだろう。

 それに、面と向かって、嫌いで苦手だと言ったこともある。それでも七草は時たまこうして屋上に足を運び、こうして隣で本を読む。七草もかなり変わっている、と思う。


 放課後。とくに会話をするわけでもなく互いに好きなことをして過ごすこの時間が、かなり好きだ。

 一年前に入学して一週間たったときから放課後はずっと屋上で過ごしているけれど、一年前に一人で過ごしていた時間より今こうして二人でいる時間のほうが気に入るほどに。

 

 変わっている。本当に変わっている。想いが矛盾しているにも程がある。


 変わった男と、変わった女の。本郷恭弥と七草麻耶のどうしようもなく変わった大好きな時間。

 大好きな町が大好きな色に燃えた大好きな風景を眺めながら、嫌いで苦手な七草と大好きな時間を送る。

 

 

 そんな、奇妙で風変りストレンジな日々が続くことを、心の底から祈っている。










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