第六章【時間】
いつの間に私は眠りに落ちていたのだろう。確かなことは、隣の布団に晴海がいなかったこと。早朝、私はその事実を静かな気持ちで受け止めることが出来た。けれど、それでもどこか信じられずに、私は彼女の名前を声に出して呼んだ。
「晴海」
答える声はなかった。彼女が既にここにいないことは、どこか遠くの頭の中で私は理解していた。しかし、敢えてそうしてしまったのは、信じられないという心情と共に、言葉のほとんどが抽象的だった晴海のことだから、夢心地を漂わせて、どこかその辺りからひょいと姿を現すような、そんな淡い期待を私は抱いていたのだ。だが、晴海は、もういない。充分過ぎる程に私は分かっていた。
しんとした部屋は広く、大きかった。冷蔵庫を開けると、まだ食べていなかったゼリーが美しいルビーのようにきらきらと光っていて、それはまるで夢の残滓のようにも思えた。一口、食べてみると、葡萄の味が口の中に冷たく広がった。泣きたいくらいにおいしかった。
――リビングに掛けられた時計を見上げると、まだ朝の六時を過ぎていなかった。家族は眠っているのだろう。ここ七日間にはなかった気配がする。そっと両親の寝室を開けてみると、やはりそこには両親が、妹の部屋にはやはり妹が眠っていた。私はその事実に特別、驚きはしなかった。有るべき事柄が有るべき現実に戻っただけだからだ。
私は再度、階下に戻る。窓際には、七夕飾りがきちんと残っている。窓を開けると、朝特有の涼やかな空気がするりと流れ込んで来た。七夕飾りが、ひそやかに揺れる。見上げた先で揺れる橙色の短冊を私は背伸びをして取り外し、書かれている文面を見てみた。そこには「また夏海に会いたい」とだけ、丁寧な文字で書かれていた。不意に視界がぼやける。涙が落ちた。私はまた、晴海に会えるのだろうか。
耳に、鳥の鳴き声が入り込んで来た。止まっていた時間が動き出したように思う。だが、本当に時間は止まっていたのだろうか。
もうすぐすれば、家族は起き出して来るだろう。私は制服へと着替え、駅に向かい、いつもの電車に乗るのだろう。きっともう、街も駅も無人ではないはずだ。あれ程までに疑問だった様々な事柄は、いつの間にか私の中で結着が着いていた。
いや、全てが明らかになったわけではない。無人だった街や駅の説明などは到底、私には出来ないのだから。晴海は私を知っていると言っていたけれど、未だ私は彼女のことを知っていたのかどうか思い出せはしないし、時間が止まっていたのかどうかも分からないままだ。しかしながら、私はこの七日間のことを、もう受け入れていた。私だけに贈られた、意味のある時間として、私はそれを受け止めている。
上空には、うっすらと月が見えた。宇宙が好きだと言っていた、晴海の言葉を思い出す。私にも心からそう言えるものが、いつか見付かるだろうか。自らへの問い掛けを肯定してくれるように、七夕飾りが風に揺れて小さな音を立てた。
私はこの時間のことを、決して誰にも話しはしないだろう。




