悪役令嬢の私が魅せる、最初で最期のとっておき。
この物語は、失敗から始まる。
王国の東端に建つ、貴族にしては小さな屋敷を、ぼんやりとした赤い光が照らし始めていた。他の部屋には東の方角に窓がないから、ちょっとした優越感を覚えられる数少ないもののひとつだったのだけれども、今はその光を見て、絶望に顔を歪めていた。
「……できなかっ……た……」
歪めた表情も一瞬で消え、代わりに残るのは表情の無くなった姿だ。目を少しだけ大きく開き、ゆっくりと昇っていく朝日を見て、涙が滲んでいく。
歳の頃は、まだ成人前といったところか。
大人びた顔立ちだが、まだあどけなさが残る。しかし、如何せん栄養が足りていないようで頬が痩けており、その不釣り合いさが際立っている。
取り外されている内側のカーテン。
ベッドメイクはしていないだろうに、嫌に整えられたベッド。
テーブルの上に載せられた椅子。
そして、下に敷かれた大きなマットに足を崩して座り込む若い女。
その手のひらには、細く結わいたカーテンが握られていた。
ぼう、と陽の光を見ながら、女は自分の首に手を当てる。
その首には、何かに締め付けられたような痕が残っていた。
彼女の名はセレナ。
エストリア家の次女である。彼女の上にはセリーナ、そして下にはたくさんの妹たちがいる。エレナ、セレーゼ、……と同じような名前の少女たちがたくさんいるお陰で、名前を間違えられることが殆どであった。
どれだけ子供を産んでも、どうしたことか男が生まれることはなかった。その為、必然的に唯一の姉であるセリーナが跡取りとなっている。
姉が快活な性格で良かったと、セレナは心から思っている。
セレナの性格は引っ込み思案で、大人しい。人前に出ることが苦手で、人の何倍も時間を掛けて、ようやく縁談の時も叱られない程度の所作が出来るようになったのだから。
自分は目立たないように、男爵家か騎士、もしくは商家の人間に嫁げば役目を果たすことが出来る。寧ろ、その役目を与えられた人間だからこそ、こういう性格になったのかもしれなかった。
──と、思えたのは幼い頃までであった。
そろそろ縁談が入るだろう。そう思った齢十二歳の時に宛てがわれた相手を見て、セレナは恐れおののくこととなる。
なぜなら。
「はぁ……なんで、こんな格下と婚約しなきゃいけねぇんだよ」
婚約者は、この国の王太子である、ゼノン・ソラリスだったからである。
ただの子爵令嬢に、それも、跡取りではなく次女に、なぜ。
当時は何も教えてくれることはなかった。ただ、「これは正式に決まっていることだ。受け入れなさい」と、文句を垂れるゼノンが言われていたことだけ覚えている。
セレナは現実を受け入れられず、最低限の受け答えだけしてその日を終えた。家庭教師は次女だというのにしっかりと付けられていたから、礼儀作法だけは守った。お陰で、両親から何かダメ出しを食らうことはなかった。
当時、何も知らなかった王太子が一言目に発した言葉は真っ当だとセレナは思うのだ。
婚約初日、セレナは自身の家で待っていた。要するに、王太子に迎えに来させたのである。もし、百歩譲って通常の手順で王太子と子爵令嬢が婚約を結んだとすれば、セレナがゼノンの城へ行くのが身分制度的に正しかった。
なぜ、王太子なのに。その疑問にすら誰も答えることなく、強制的に結ばれた婚約は、きっと当時から高かった彼のプライドを強く傷付けたことだろう。
当時はまだ幼かったのだから、それくらいなら水に流すことくらいは出来た。
だが今も尚、その態度をひとつたりとも和らげないというのは存外おかしなことだろう。
婚約から五年の月日が経った。
当時の、幼い頃特有の丸みを帯びた面影は無くなり、艶やかな金髪とライトブルーの瞳が良く似合う美少年へと進化した。ガッシリとした体格ではないが、剣の腕は同世代でも一、二を争う。所謂細マッチョとやらに入るのだろう。絵本に出てくる王子様の再来だとよく言われている。
剣技を鍛える理由だってすっかり理解しているというのに、ゼノンはセレナに冷たいままだ。
寧ろ、歳を重ねるごとに酷くなっている可能性もある。暴力が出来ない分、頭を使うようになってきたからタチが悪い。
セレナが命を絶とうと思った理由のひとつでもある。
というより、ある意味で直接的な原因かもしれなかった。
「ゼノンと婚約すれば、国が助かる。私が首をくくれば家族だけは助かる」
だが、当の本人は──
「このまま私が婚約破棄されれば、──くにが、滅びる」
ミアに夢中であった。
大人になるというのは、残酷だ。選択肢ひとつで全てを変えられてしまうということを認識しながら、自分の意志で歩んでいかねばならない。というのに、本当に変えられることは限られているのだから、なるほど。これは窮屈だと、セレナは思った。
先生に習ったことを元に、愛はなくとも支えていけるだろうとセレナは願っていた。
どんな貴族、王族がいようとも、大元は同じ。「民を愛する」。これを欠いて行動をすれば報いを受けると歴史が物語っている。そう教わった。
だが、結果は無惨。
そもそも教わってもいないのか、教わっても右から左に抜けるのかは知らない。
ただ、セレナを毛嫌いし続け、そんなゼノンを肯定する女や配下に甘えていた。
聡い子は薄らと事情とやらに気付いたのか離れていった。セレナとゼノンの婚約反対派は、そもそもゼノンを嫌っている。近付くとしても美人局だった。
そんな中、現れてしまったのはミアという聖女候補であった。
この国では、聖女だけは唯一、元々の身分がどうだったとしても王家との婚姻が許されている。それどころか、とある世代では、帝国の王女との婚姻よりも優先された程だ。
百年に一度だけ現れる聖女は、身分なんて愚かな皮に収まる者ではない。
天使ミカエルが、領土に恵まれない我が国ヘスペリア王国に授けた唯一の聖の光。
……そんな、大々的な伝承も残っているモノなのだが、他国から見たら「なんだ、そんな御伽噺は」という程度である。
ミアは、突然現れた。それこそ天使ミカエルが産んだかのように、自然に発生した。
西の端っこの温暖な村で生まれたという彼女は、十数年間、ただの平凡な少女として生きてきたという。たまたまこの村が海の幸に恵まれていたから、生きることには困っていなかったとのこと。
魔法を使うことを夢見ていたミアは、王都に出て、魔法学校の入学試験を受ける。
魔法は、魔力を持っていたとしても、使い方を知らなければ放つことが出来ないモノだった。更に魔力の有無を測る魔道具は高く、貴族くらいしか家に置いている者はいない。
学園は大きく二つの科に分かれている。ひとつは魔法科。もうひとつは魔法補助科である。魔法を使うことは出来なくても、魔法を使う者の補助をする職業に就けるところである。学力があれば受かるからこそ、ミアも魔法科に入れたらラッキーだな、というくらいで試験には臨んだという。
そして、試験の時にバレてしまう。
魔力測定をした時に出た、とんでもなく大きな魔力の数値と、聖女だけが持つとされる属性を示す文字列で。
パチパチと目を瞬かせ、目の前に起きていることが現実か、はたまた現実ではないか……と考えている内に、ミアの現実は百八十度変わってしまった。
どんな貴族より讃えられる存在に。
まだ、魔法のひとつも使えないというのに。
そして、そんな彼女は当初予定していた魔法学校ではなく、貴族専用の学園に入学をした。
サポートするには、一介の貴族では格が足りない。
宛てがわれたのは、王太子のゼノンだ。
それが王家に出来る唯一の抵抗なのだと気付いていたから、何も思わなかった。
だが、それを機にゼノンが本気でミアに惚れるとは流石に思わない。
……否、恋をするのは構わないのだ。
ただ、ある程度は予期していたが、全国民に見せ付けるような真似は、流石に恥ずかしいどころか大丈夫なのかと周囲を見回したくなるからやめて欲しかった。
──だって、皺寄せはすべて、セレナに来るのだから。
「こんなみっともない姿を見せられて、レオニス様に何と報告すれば良いと思っているんだ!」
家族での食事だというのに、空気は重苦しい。ドンッと鈍く大きな音が響き、カタカタとナイフとフォークが音を鳴らした。
「っ、で、でも、昨日だって、良くないとゼノンにっ」
「行動が改善されていないのなら、何もやっていないのと同じだ」
「私一人では彼を動かせません。せめて誰か協力を──」
「これ以上、エストリア家の恥の上塗りをするつもりか?」
「も、申し訳ございません」
どうしようもないと分かっているからこそ、父は全てを投げ出して私の責任だと告げる。
それは、父が繋がりを持つレオニス家も同じだった。
家族がいない──学園にいる時が一番、都合が良いらしい。留学生の一人に、わざわざ手紙を届けさせて脅して来る。
何枚も、何枚も。
魔法で証拠も家名も消されているから、誰が送ったかは分からない。ただ、状況証拠を知っているセレナだけは分かる。
先日もそうだった。
この国を蔑む表現を散らしたその下には、この状態が続けばどうなるかが記してある。
ただ、この日はひとつだけ付け足された文言があった。
『婚約者が亡くなれば、ヘスペリア王国は滅びるだろうが、協力をしたエストリア家だけは救ってやらんこともない』
状況を相談すれば、首を跳ねられる。
事情を説明出来る者は、みんなセレナに責を押し付ける。
協力者は、協力を放棄した。
息が、段々と詰まっているのが解っていた。
ただ、スラムに住まう民のように食料には困っていない。学があってもお金が無く、勉学が出来ない訳でもない。家族だって全員生きている。次の日に死んでしまう訳でもない。
それでも確かに、明日へと生きることが重荷だった。
ほんの出来心だった。
だって、許されてしまったのだから。
どれだけ責められたとしても、家族のためと言えば解決出来てしまうそれは、渡りに船だった。
縄なんて用意させたら何をするか勘づかれてしまうかもしれないから、部屋にあるもので代用した。寝る時は、誰にも邪魔されない。
夜、使用人もあらかた寝静まった頃、ゆっくりと起き上がった。
内側のカーテンを、なるべく音が出ないようにひとつ一つ外す。それから、ギュッとひとつに縮めて、縄になるように結んでいく。結び方なんて習ったことは無かったけれど、髪ゴムが切れた時に臨時で結んだことがあったから、その方法を代用した。
それから、天井のシャンデリアにカーテンを括り付ける。カーテン二つ分の首縄は、ギリギリセレナの足が床に届かないくらいだった。
括り付ける為に、テーブルの上に椅子を載せていた。
あとは、首に輪っかを付けて、椅子を蹴るだけ。
怖い。
そう思って、蹴るまでに一時間掛かった。
でも、やらないといけない。そろそろ夜明けが来る。そうしたら、食事係が目を覚ましてしまう。
そうやって、ようやく踏み出せた足はすぐに地面に落ちるのだ。
シュルッ、と布が擦れる音とともに、簡単に外れる括り。
自重で床に座り込んだ。衝撃が来るが、反応しようとも思えない。椅子の足が、脹脛に思いっ切りぶつかって鈍い痛みが襲っていた。
「……あさひ、だ」
カラカラと椅子が床を転がり、最後に倒れる鈍い音が聞こえていた。
哀しみに暮れるのは、楽しいことなのだろうか。
いつの間にやら時が経っていた。淡い陽の光が顔に当たり、セレナはこのままではいけないことに気が付く。
確かに作戦は失敗をしたのだ。
人間が簡単に死ぬことは、歴史で学んでいるというのに、どうやら殺す方法は学べなかったらしい。
まだメイドがドアを叩くには時間があるから、それまでに片付けをしよう。
この家で、この部屋からだけよく見える朝日は、とても眩しくて、暖かくて、吐き気がした。
あの後。「今日は、体調が悪いから休むわ」と、扉を叩いたメイドに告げた。
長女と違って中々体調不良を訴えないセレナの言葉に大層驚いたらしい。「へっ、はっ、かしこまりました!」なんて、幽霊でも見たかのような調子で承られる。確か、半年前に入って来た新人のメイドだったと記憶を巡らせた。お陰で詳細を言わずに済んだと言っておこうか。
朝食はわざと抜かした。本当に食欲がなかったからである。生きている実感を覚えるのが嫌だった。
ベッドに包まった。夏が終わりそうなくらいだから暖かいどころか暑い筈だというのに、なんだか寒い気がしてくる。
失敗してしまった。どことなく現実感が無く、宙に浮いているような気がした。自分が正気でないことは分かっていた。今は何もしない方が良いこともまた、分かっていた。
セレナはずっと前から気付いていたから、周囲が気付くのも時間の問題であったのだ。何を。ゼノンとセレナが婚約者でなくなることを、だ。
ゼノンは、婚約破棄を企てている。
人の気持ちが移ろうのは仕方ないと、軽く諦めていたことが今起こっている事柄の原因かもしれない。
聖女ミアと正式な婚姻を結びたい。
その一心でゼノンは、セレナと結ばれた婚約を破棄するのだ。
いつ。それも薄っすらと聞こえてきた情報から分かっている。
来月の、収穫祭の後夜祭だ。大陸の貴族たちも、この日だけは駆け付ける。普段は敵同士であれど、聖女の逸話も相まって、敵味方なしに踊りに来る。恐らく情報収集も兼ねてだが。どうやら、初代の聖女は敵国の王子と婚姻したらしい。
そんな大舞台は、年に一度きり。そのチャンスに乗ろうとしているらしい。
焦っているのだろうとセレナは思う。
来年には成人だ。成人となれば、正式な婚姻をする年になってしまう。
その時までに大々的に宣言をしなければ、想いは結ばれない、と。
少しだけ、胸が痛む。
別に好きだとか、感情論を言い訳にするつもりは毛頭ない。
ただ、選ばれなかったことに対する落胆は少しくらいあっても良いだろう。誰にも言うわけもないのだから。
ミア。学園に入った当初はその二文字のみだった。後から公爵家の養子となり、ミア・スクビアとなる。
艶やかなホワイトブラウンの髪は腰の長さまである。前髪はやや長いらしく、まん丸い鮮やかなオーキッドの瞳が少しだけ隠れていた。華奢な体型をしていて、庇護欲が湧くような顔をしている。
「初めまして!」そう人懐っこく言われた挨拶は、貴族の所作などまるで知らないことが丸分かりだというのに、嫌らしさが無い。人好きしそうだとセレナは思った。
貴族としての礼儀、規則、所作についてはセレナがミアに教えた。彼女の力が発覚した時にはもう、冬が終わりかけていた為、時間がなかったのだ。
守り人としてゼノン。婚約者がいるため二人きりになるのは御法度だったから、おまけのようにセレナが宛てがわれた。
だから、まあ、ある意味では正しかったとセレナは思う。本来なら、将来就くはずだった立ち位置でもある。
男爵家や子爵家の跡取りでない者たちは、王家や公爵家など身分の高い家のメイドや家庭教師になることも多い。
ただ、仮にも婚約者になっている者に対してやらせることでは無いが。
後になってセレナが感謝するとすれば、この二人と約一年を共に過ごせたことだろうか。
本来なら一年もあれば、ゼノンとセレナの仲も深まるだろうが、きっと相性も出会った時期も悪かったのだと思う。
ただ、まあ、その一年で良いところも悪いところも知れた。
ミアが純粋なことも、ゼノンが初めは嫌々ながらも婚約者になろうとしてくれていたことも。
そして──二人とも、己の感情に素直なことも。
本当に、愚かだと思う。
初め、ミアは所作がなっていないと、ゼノンはセレナに愚痴を吐いていた。ミアもゼノンの目付きが少し怖いと弱音を吐いていた。その繋ぎ役がセレナだった。
二人の弟と妹を見ているみたいだったから、やる意味を探しながらも、慣れていたから苦ではなかった。
数ヶ月経った頃にはゼノンの態度も軟化していたから、このまま上手く行けば良いか、などと少し思ってしまっていたのだ。
「ねぇ、セレナ様。誰とお話されているの?」
──アステルとの通話が、バレるその時までは。
……いや、違うか。その時には関係はもう、崩れ去っていたのか。
セレナが、自分が悪ければ、せめて罪を償おうと思えたというのに。
確かにその質問がきっかけではあった。
ただ、綻びはゆっくりと広がっていた。
むしろ、上手くいっていたと思っていたのはセレナのみだったのかもしれない。
例えば。ゼノンが態度を和らげたことなど、一度もなかった。
そう思えたのは、セレナが彼の態度から考えていることを少しだけ分かるようになってきたからだ。素直になれない性格で、口もだいぶ悪い。けれど、婚約は続ける意志がある。これで充分だった。拒絶をされなければ良いと思った。ミアという友人も近くにいるし、と。
ゼノンの口調は、いっつもぶっきらぼうだった。これがやりたい、あれがやりたくない。他人に物言いをする時の基準は、自分に相応しいか、相応しくないか。婚約の時に言われたあとは、評価は同じだったからだろう、同じ台詞を言われたことはなかった。
ただ、とセレナは少し思う。そうやって分かっていたつもりでも、本当は違っていた。
ミアといる時の口調は、態度はどうだったか。
彼女が怖がりで、ゼノンの目付きが怖いとよくセレナの後ろに隠れていたから、ゼノンはいっとうミアに優しい声の出し方を意識していた。
やがて、ミアはようやく怖くないことに気が付いたらしい。小動物さながら恐る恐る近付いていくようになった。
それを見て、元に戻す訳にはいかない、とゼノンも思ったのだろう。機嫌が悪い時でも、ミアの為に優しげな声を出せるようになっていった。
そうして二人きりで会話が出来るようになり、しばらく経ってから、あれ、と思う。
随分と親しくなってはいないか、と。
ゼノンとミアの二人でいる時間が多い。二人で笑い合っている時間が多い。セレナが輪に入れない話題が増えた。
一緒にいる時間自体は、以前とそこまで変わっていない。何が、ズレたのだろうか。
そこでセレナは二人を観察した。
ミアは、元々貴族出身ではないからだろう。距離が近い。それはセレナに対しても例外ではない。
少し近過ぎる。ミアに見せられない、家から届いた手紙を確認している最中だ。そう思って、気付かれないよう離れることもしばしばあった。
それを、彼女はゼノンにもやっている。
鬱陶しがるだろう。初めはそうだった。
だが、ミアとそこそこの時間を共に過ごしたからなのか、ゼノンはその距離を正すこともなく隣にいた。ピッタリと肩をくっ付け、顔同士もあと数センチ近付いたら届いてしまうくらいの、そんな距離。離れないように、肩以上はくっ付かないように。絵画のように、二人の動きは止まって見えた。
それを学園にいる時でもやっているのだから、ゼノンとミアこそが恋仲なのではないか、と宣う輩も出始めた。
「……ゼノン。流石に、ミアとの距離が近過ぎます。距離感を保って接して下さい」
これはマズいとゼノンに忠告した時にはもう、遅かった。
「別に良いだろう、それぐらい。責務を果たすつもりはある。これ以上やる気を無くさせるつもりか?」
ゼノンは、ミアを良くない方面で気に入ってしまっていた。
このまま上手く行ったとて、側室に迎え入れそうな勢いだ。このヘスペリア王国では、国王が側室を迎え入れることは珍しくない。ゼノンの懐に入れる娘は、家柄と性格柄中々いなかったのだが、とうとう見付けてしまったようだ。
ふと、セレナは思い出す。
王都の民の間で大ベストセラーになっている、あの物語を。
百年に一度だけ現れる聖女が降臨したことで、百年前の聖女と王子の実際の恋を元にした物語が、再び重版されることとなったのだ。その復刻された御伽噺に群がる国民たち。
百年前の、そのまた百年前も、聖女と王子は結ばれていた。その前も、ずっと結ばれていたらしい。
その当時に生きてなど居ないから、真実など知らない。
ただ、今回は、物語通りになりそうだ。
どんなあらすじだろうか。
氷の王子の心を溶かした、純粋な聖女、とかだろうか。
そうしたら、その間にいるセレナは、さしずめ二人の仲を切り裂く悪魔か何かだ。
セレナは別に、ゼノンを好きで奪った訳でも何でもないというのに。
感傷に浸ろうと、とある日に二人とわざと別れて、国立図書館へ寄り道をした。
御伽噺は実話を元に書かれた物語だ。もしかしたら、参考になる部分があるかもしれない。それを調べることが出来るのは、王国で一番大きな図書館しかない。
この図書館に出入り出来るのは貴族だけだ。もっとも、わざわざ訪れるのは勉学を好む者に限られ、実際には研究者が大半だった。そのため、館内はとても静かだ。靴音だけが響く。
そこで、再会した。
物語の主人公ならば、派手な演出があるのかもしれない。そんなことは毛頭なく、目的の本を探して角を曲がった時に、男の影が見えたから避けようと姿を見た。その時、覚えのある面影に気付いてまじまじと顔を見ると、相手も同じ気持ちだったようで、パチッと視線が合う。
「セレナ?」
その、柔らかな声に昔を思い出させられた。
「アス、テル……?」
パチパチと瞬いて、それから現実なのだと実感した。
彼は、所謂幼馴染という奴だ。貧しい男爵家の庶子で、幼い頃にどこかへ売り飛ばされた。五歳くらいまでは仲良く遊んでいたというのに、いつの間にか姿が見えなくなって、どうしたのだろうと母に聞いた。当時ははぐらかされたのだが、数年後にもう一度聞いたら、呆気なくそう答えられた。
貴族だろうと、貧しければそんなこともよくするのだ。特に幼ければ、病死にし易い。その後はどうなったかなど知りもしない。否、当時のセレナに何か出来ることなど、何もなかった。
「今まで、どうしていたの?」
驚きで心臓がバクバクと音を立てている。
昔の彼は、女の子とも言えるくらいに可愛い姿をしていた。長い睫毛、大きな瞳、丸みを帯びた顔つき。手足はスラッと長い。
それが今は、セレナよりふた周りは大きく、身体も骨ばってガッシリとしているのが見て取れた。貴族というより、騎士を連想する。
変わっていないところは、長い睫毛と、……昔より目元は細くなっているが、大きな瞳だろうか。
真っ黒な髪色に白銀の瞳。珍しいから覚えている。
「んー……鍛えさせられてた」
そこから、アステルに様々なことを聞いた。
今の状況が、非常に不味いと実感させられた。
「俺なら、セレナがやりたいように動かせるよ。だってセレナがエストリア家だから」
適当な本を二人して選んでいた。読むふりをして、ぺらりと紙を一枚捲る。
確かにそうだと思った。アステルが男爵家のままだったのなら、そんなことは出来なかったから。
「……考えとくわ」
そう、答えを先送りにしてしまったのは──甘さだ。まだ、やり直せると考えていた、浅はかな。
帰り道に、平たくて四角く、硬い材質のモノを手渡される。
「これがあれば、いつでも話せるから。好きな時に使って」
ヒラヒラと手を振りながら、何でもないようにアステルは言う。彼は、だいぶ先を行っていた。ヘスペリア王国では、これひとつで貴族家がひとつ潰れるほどの金額だ。
使わないだろうと思いつつ、とんでもなく高価なモノだから無くさないよう心掛けていた。
使ったのは、貰ってからひと月が経った頃である。新月の夜だった。
きっかけは、相談したいことが実際に出来たからだった。けれど、アステルで無くても良かったとは思う。
彼を選んだのは、寂しかったからだ。真っ暗な闇を見るとまるで独りのように思えて、使わないことが勿体なく思えてきた。
欲に弱いことは知っていた。けれど、否定をされるべきことではないと思って、使った。
離れたところにいる相手へ魔力を飛ばせば、通信が出来る機械。
初めは数分だったように思える。相談のためだけだったから。時間は増えていないが、頻度は次第に増えていった。
そして──
「──に、伝えておくね」
「ありがとう」
足音に気付かず、話を聞かれてしまうのだ。
「ねぇ、セレナ様。誰とお話されているの?」
そう言われた瞬間に、通信を切った。
「あっ、……ええ、お友達よ?」
「でも、随分楽しそうでしたよ」
「そんなこと、無いわ」
にへら、と笑みを無理やり作った。情報を出すつもりは毛頭なかった。ミアはそれ以上言ってこなかった。
けれど、隠していることは充分に伝わってしまった。
その翌日から、ミアは変わった。
「ゼノンさま。もっとお話しませんか?」
ゼノンの腕にべっとりと身体をくっ付け、耳元で囁くかのように問うている。それをゼノンは拒絶しなかった。
数週間が経つと、それは日常と化した。更に言えば、ゼノンの方がそれをさせようとしていたのである。しないと不機嫌な顔をして、すると直る。
もしかしたら、とセレナは思った。見ていないだけで、隠れてやっていたのかもしれない。そうでもしないと、こんなに慣れたような動きはしないだろう。
そこでセレナは、とある日にアステルから言われた言葉を思い出した。ミアの母親は踊り子だったらしい。そして、父は商家の人間らしい、と。
上手く物事を進めようとしても、弱い自分が誘惑をしてくる。
これ以上ベッドの上にいるのも嫌だったから、何とか重い体を動かして。
数時間後、セレナは書物庫にいた。
気を紛らわせようと思ったのだ。
セレナの両親は、勉学が不得意だ。そのせいで、本はたくさんあるというのに、滅多に書物庫へ入ろうとしない。書物庫自体、物置小屋のように屋敷の隅へ追いやられている。
少しでも目に入る可能性を消したくて、逃げるようにそこに入った。
昔からだった。本を読むきっかけもそれかもしれないとは思う。だって、セレナは本を読むことが好きなのに、両親も姉妹も、誰も本を読まないから。
ここに来るのは書物庫を整理する者くらいだから、部屋の中はとても静かだ。ページを捲る音しか聞こえない。
読んでいる本は、国で話題の御伽噺。
聖女と王子様のお話だ。
この御伽噺になぞらえて、ゼノンが可哀想と言う国民たちも多いのだ。セレナは二人の恋を切り裂く悪役令嬢だと、彼らは言う。
百年前の歴史には、悪役令嬢は存在しない。ただ、百年前の物語をオマージュした作品は山ほどある。その人気作のひとつには、二人の仲を切り裂く悪い女が登場した。
その女は最終的にメデューサとなった。嫉妬を露わにした醜い彼女は、王子様を石にして自分のものにしようとする。王子様に掛かった石化の呪いは解けない。けれど、聖女様の愛と力で奇跡が起こり、石化が解ける。そして、メデューサは二人に倒されて、めでたしめでたし。
彼女は、どこかセレナと似ている。黒い髪と、赤い瞳だ。
なんだか、自分みたいだ。そう思い始めると、感情移入をしてしまう。
メデューサは、王子様に恋をしただけだった。なんなら、悪い魔法使いによってメデューサに変えられてしまうのだ。それを倒してめでたし、とは。
もし今日、セレナが自死をやり遂げていたとしたら、こうなっていたのかもしれない。そう、思った。
別に家がどうだのとか、どうでも良かった。
ただ、ここまで我慢し続けた先が悪役で、倒された結果みんながハッピーエンドを迎えるなんて、望んでいない。
倒されたらバッドエンドになるから、我慢をし続けたというのに、倒されてみんなが拍手をするというのなら、その行為になんの意味があるというのか。
別に誰に言われたでもないその部屋で、ぷつりと静かに糸が切れる感覚があったのである。
「ねぇ、アステル。話があるの──」
──そこからの行動は早かった。
ゼノンとミアの仲はかなり良好である。たまに、学園の外でも同じようなことをしているからセレナが注意をすると、「煩い」と一蹴される。注意をしなければ怒られるのはセレナだということは、きっと一生理解出来ないらしい。
ただ、少しだけ面白いことを言えば、ゼノンの方がより熱を上げているということか。
無論、ミアもゼノンのことが好きだという態度をよく取る。元々平民出身だからかは分からないが、所謂、夜伽の誘いとも取れる仕草も見受けられる。
けれど、ミアはゼノン以外にもそういうことをする。
それを知ったのは、アステルからだった。
彼は、この国の被害者だ。彼が一年前に戦争へ連れて行かれたことも、最近になって初めて聞いた。魔法の才能と剣の才能、どちらも持ち合わせているかららしい。それが言い訳にならないことくらい、分かっていた。
『取り巻きの、エウロパとカリストとガニメデら辺? にもちょっかい掛けてるらしいよ』
『そんなの、どこで聞いたの?』
『本人たちから。一か月前に一週間、ここに戻ってきた時があっただろ? その時に声を掛けられた』
『えっ……? 取り巻きではないのに?』
『なんなら、この国の民ですらない相手に、だろ?』
魔法の通信はやっぱり便利である。
誰も味方がいない。信用出来ない。そんな中で、唯一信頼出来るアステルと話す時だけは楽だった。
だが、お互い大変な生き様をしているなとは思う。
貴族の子息が戦争に行くなんて、滅多にあってはならない事だから。
そんな彼の言葉を聞いて、セレナは思った。準備をしておけば、きっと時が味方をしてくれる、と。
たまに、見せ付けるかのように聞こえてくるのだ。「なんで、婚約破棄をされないのですか? ゼノンが可哀想です」と、強請るような言い方をするミアの声が。
そして、満更でもなさそうにゼノンは返すのだ。「ありがとう。そう言ってくれるミアが救いだよ」と。
こんな甘い台詞をよく吐けるようになったものだとセレナは思う。
今では二人仲良く手を繋いで歩く姿を、しばしば見掛けるまでになった。
そういうことであろう。何も仕掛けずとも、ミアの望み通りにする。
ゼノンとは、そういう男だ。
ずる賢い女は保険を掛ける。──アステルに聞いたように。
負け続けたセレナの、最初で最後の晴れ舞台は──ここにしようか。
「セレナ・エストリア。ミア嬢を階段から突き落としたことは、ここにいる全員が見ていた。もう、言い逃れは出来ない」
目、目、目。まるでメデューサの髪の蛇のように、無数の敵意の目が一斉にセレナを見つめている。
「今日をもって婚約破棄をする!」
真っ直ぐに指を突き付けながら、ゼノンは告げた。
それから隣にいるミアを抱き締める。
「そして、今日からミア・スクビアが俺の婚約者になる!」
セレナに向いていた敵意の目が二人に集まり、今度は歓迎の色に変わる。
「百年ぶりの再来だ!!」
誰が言ったか分からないその声と共に、歓声が徐々に広がっていく。
誰もが待ち望んでいた御伽噺が現実になったと、喜ぶ大衆。きっとセレナはメデューサなのだろう。
歓声がひとしきり続き、ようやく収まった頃、セレナは口を開いた。
「やっていない。わたくしは階段から落ちるミアに手を伸ばしただけ。そう、真実をお伝えしても──嘘だと思うのですよね」
「当たり前だ。確かに突き落とされた瞬間をこの目で見た。それに、今までしてきた虐めの証拠だってあるんだ」
「では、その証拠がすべて贋物だったとしたら、どういたしますか?」
「そんなことがあるわけがないだろう。証言だって貰っている。腹心のエウロパ、カリスト、ガニメデからも、それぞれ別の証言を取っているんだ」
「……仕方が、ありませんわね」
「は?」
つい、零れてしまったため息交じりの返事に、ゼノンは苛立った声を上げる。
それを無視して、セレナは告げる。
「私に触れてみてください」
「いきなり、何を血迷っているんだ」
「指先ひとつで良いのです。それが、紛うことなき証明になります」
「はあ?」
「良いから」
たった一言、強く言っただけだというのに。初めて向けられた口調に気圧されたのか、ゼノンは素直に言うことを聞いた。
そして──
「えっ……?」
──セレナに触れたはずのゼノンの指先は、彼女の指をすり抜けた。
「あら、残念。触れないみたいですわ」
触れた部分はブツ、ブツッと、エラーが起きたように光が乱れた。
「一体、何が……」
「残念。わたくしはここに、いないみたいです。これでは、ミアに指一本触れることも、突き落とすことも叶いませんわ!」
高らかに宣言すると、周りはしんと静まり返った。
何を言えば良いのかも分からないのだろう。
だって──だってこれは。
「私の……!」
か細い声が耳に届く。ミアの声だった。
──そうでしょうね
セレナは薄く微笑んだ。幻の中のセレナは表情ひとつ、変えていないが。
これは、聖女だけが使える、「幻身魔法」そのものだったのだから。
2作品目。
お読みいただき、誠にありがとうございます。
後日、誤字脱字の修正・加筆修正を行う予定です!
16日〜17日頃に改めてお越しいただけますと、より完成した状態でお読みいただけるかと思います!
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