19 教育
◆ ◆ ◆
翌日。
隔離区画・多目的室。
ホワイトボード。
低い机。
小さな椅子。
……完全に、教室だった。
「よし」
虫喰が、
端末を置いて手を叩く。
「今日は“お勉強”だ」
『……おべんきょ……?』
マモリガミは、
椅子の上に正座して、
首を傾げた。
赤霧が、
壁際で腕を組む。
「……大丈夫か、これ」
「問題ない」
虫喰は即答する。
「高度な理論はやらない」
「“生きるための最低限”だ」
三雲が、
静かに補足する。
「情緒を乱さない範囲で」
「短時間でお願いします」
「了解」
◆ ◆ ◆
虫喰は、
ホワイトボードに
大きく丸を書く。
「これは——」
少し考えてから、
言い直した。
「……“じぶん”だ」
『……じぶん……』
マモリガミは、
じっと見る。
虫喰は、
次に丸をもう一つ書く。
少し離して。
「これは——」
「むらの」
俺の名前。
マモリガミが、
ぱっと顔を上げる。
『……むらの……!』
「そう」
虫喰は、
その反応を確認してから、
線を一本引いた。
丸と丸を、
つなぐ線。
「これは“いっしょ”だ」
『……いっしょ……』
声が、
少し嬉しそうになる。
「だが」
虫喰は、
線の横に小さく
×印を書く。
「“いつもくっつく”とは違う」
『……ちがう……?』
「違う」
虫喰は、
真剣な顔で続ける。
「距離」
「離れても」
「いなくならない」
「これは、大事だ」
マモリガミは、
しばらく考えてから、
自分の胸を指す。
『……ここ……?』
「そう」
虫喰は、
少しだけ笑った。
◆ ◆ ◆
次に、
虫喰は
ボードに
簡単な絵を描く。
人型。
腕を振り上げている。
「これは」
「……だめ」
『……だめ……』
「そう」
「“いや”なこと」
「“こわい”こと」
「“おこる”こと」
虫喰は、
三つ、指を立てる。
「そのとき」
「すぐ、力を出さない」
影の話だ。
マモリガミの指が、
無意識に
床の影をなぞる。
「まず」
虫喰は、
自分の口を指す。
「——言う」
「“やめて”」
『……やめて……』
「次」
「“むらの”を見る」
『……むらの……』
俺の方を見る。
「最後に」
虫喰は、
強調する。
「それでも、
危ないときだけ」
「力を使う」
『……さいご……』
赤霧が、
小声で呟く。
「……幼稚園かよ」
三雲が、
即座に睨む。
「大事です」
赤霧、黙る。
◆ ◆ ◆
虫喰は、
少しだけ声を柔らかくした。
「マモリガミ」
「力は」
「強い」
「だから」
「選び方を、
覚えないといけない」
マモリガミは、
ゆっくり頷く。
『……えらぶ……』
「そう」
「選ぶ」
『……まちがえたら……?』
虫喰は、
一瞬、言葉に詰まった。
だが、
誤魔化さなかった。
「……間違えることもある」
「そのときは」
視線を、
俺に向ける。
「一人で抱えない」
「むらのに、言う」
俺は、
頷いた。
「言え」
『……いう……』
◆ ◆ ◆
授業の終わり。
虫喰は、
ホワイトボードを消しながら言った。
「今日のまとめ」
指を一本立てる。
「力は」
「“すぐ使うもの”じゃない」
『……すぐ……じゃない……』
「二つ」
「“一緒”は」
「“くっつく”だけじゃない」
『……いっしょ……』
「三つ」
「分からないときは」
「聞く」
『……きく……』
全部、
ゆっくり復唱する。
完璧じゃない。
でも。
確かに、
覚えようとしていた。
◆ ◆ ◆
授業が終わると、
マモリガミは、
真っ先に俺の方へ来た。
——抱きつく。
『……できた……?』
「……ああ」
「よくできた」
三雲が、
小さく頷く。
赤霧が、
ぼそっと言った。
「……育児だな」
虫喰は、
端末を閉じながら答える。
「教育だ」
「違いは、
責任の重さだ」
その言葉が、
妙に重く響いた。
——それが、
マモリガミにとって
初めての“授業”だった。
◆ ◆ ◆
それから、しばらく。
隔離区画の時間は、
奇妙なリズムを刻むようになった。
訓練でもなく。
監視でもなく。
——教育。
午前。
多目的室。
ホワイトボードの前に、
三雲。
床に座る、
マモリガミ。
「今日は——」
三雲は、
指を一本立てる。
「“まつ”です」
『……まつ……?』
「はい」
小さな砂時計を置く。
「今から」
「これが落ちきるまで」
「動かない」
マモリガミは、
じっと砂を見つめる。
——三秒。
身体が、もぞっと動く。
「……まだです」
『……む……』
唇を尖らせて、
また止まる。
「できたら」
三雲は、
ほんの少し声を柔らかくする。
「次に進めます」
我慢。
抑制。
——力を持つ存在に、
一番必要なもの。
午後。
観察区画。
虫喰は、
端末を片手に、
離れた位置から見ている。
「……発現兆候、安定」
独り言のように。
「依代との距離が」
「三メートルを超えても」
「侵食率の急変なし」
マモリガミは、
床に描かれた円の中に立っている。
『……ここ……』
「そう」
俺が、
円の外から声をかける。
「そこから出ない」
『……むらの……』
「見てる」
それだけで、
動かなくなる。
虫喰が、
小さく頷いた。
「……依存ではなく」
「信頼に近づいている」
夕方。
赤霧との能力訓練。
広めの訓練室。
床には、
耐衝撃マット。
「……今日は」
赤霧が、
慎重に距離を取る。
「“出すけど、当てない”」
『……だす……』
影が、
マモリガミの足元に集まる。
牙の形。
「止めろ」
俺が言う。
影が、
ぴたりと止まる。
赤霧の額に、
冷や汗。
「……今の」
「完璧だ」
「前は」
「止まらなかった」
『……とめた……』
少し、
誇らしげ。
赤霧は、
ゆっくり近づいて、
片膝をついた。
「……偉いな」
マモリガミが、
一瞬びくっとしてから、
俺を見る。
「大丈夫だ」
そう言うと、
赤霧を見た。
『……もう……しない……』
「……ああ」
赤霧は、
真面目な顔で頷く。
「約束だ」
夜。
自室。
マモリガミは、
ベッドの端に座って、
今日使った砂時計を回している。
『……いっぱい……やった……』
「ああ」
「頑張ったな」
『……つかれた……』
「寝ろ」
『……いっしょ……』
「……すぐ戻る」
そう言うと、
ちゃんと待った。
——成長。
ゆっくりで。
危うくて。
でも、確かに。
俺は、
その小さな背中を見ながら思う。
守るだけじゃ、足りない。
教えなきゃいけない。
力の使い方も。
生き方も。
——それが、
俺たちの選んだ道だった。




