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特異点 -特殊怪異対策庁第10課-  作者: 霜月真
アラヒトガミ
16/20

16 理由

夜。

隔離区画。


消灯後。

 俺は、眠れずに天井を見ていた。

 胸の上。


 小さな重み。

 ——神。

 幼い姿のまま、


 俺の服を掴んで、眠っている。

 呼吸は、静か。


 ……こいつが。


 全部の始まり。

 「……なあ」

 声を、落とす。

 起こさないように。


 「なんで、俺だったんだ」

 喉が、詰まる。


 「普通に生きたかっただけだったのに」

 「昇格して」

 「給料上がって」

 「少し楽になりたかっただけだ」


 「……誰でもよかっただろ」


 しばらく、沈黙。

 呼吸音だけ。


 やがて——

 胸の上の重みが、わずかに動いた。


 幼い指が、

 俺の服を、強く掴む。

 目は、閉じたまま。

 でも。

 声がした。


 『……えらばれた……わけでは……ない……』


 眠ったままの声。

 幼いのに、妙に古い。


 『……そこに……いた……』

 胸が、冷える。


 『……こわれたく……なくて……』

 『……にげたくて……』


 「……逃げ?」


 『……しんこう……なかった……』


 神は、淡々と語る。


 『……よばれなく……なった……』

 『……なまえ……わすれられた……』

 『……このまま……きえるか……』

 『……こわれて……あちらへ……いくか……』


 ——怪異化。


 『……こわかった……』


 その言葉が、

 胸に刺さる。


 『……そなた……』


 少し、間。


 『……きてくれた……』

 俺の記憶が、引きずり出される。


 神社。

 寂れた境内。

 願い事。


 「安泰なな給料」。

 情けないほど、俗な願い。


 『……よわくて……』

 『……でも……すてなかった……』

 『……たすけを……もとめた……』


 ——神に。


 『……だから……』

 小さな額が、


 俺の胸に、擦り寄る。

 『……しがみついた……』


 それだけ。


 「……俺は」

 声が、震える。

 「逃げ道だったってことか」

 肯定も、否定もない。


 ただ、

 しがみつく力が、少し強くなる。


 『……まもる……』

 『……すてられたら……きえる……』

 『……だから……』

 『……そなたが……いきて……』

 『……そなたが……こわれないように……』


 理解してしまった。

 こいつは、

 俺を選んだんじゃない。

消えたくなくて、掴めるものを掴んだだけだ。


 それが、俺だった。

 「……ひでぇな」


 笑えない。

 誰も、悪くない。


 でも。

 全部、重なった結果が——


 今だ。

 幼い神が、

 眠ったまま、囁く。


 『……いっしょ……いきる……』


 それは、願いで。

 呪いで。

 逃げ道だった。


 俺は、

 天井を見つめたまま、

 目を閉じた。

 ——もう、

 「普通」には戻れないと、

 はっきり分かっていた。




―――――――――――――――――――――




翌日。

隔離区画・医療監察室。

 ベッドの上。


 ——神。


 幼い姿のまま、

 俺の腹にまたがるように抱きついている。

 腕を回し、

 顔を埋め、


 離れる気配は、まるでない。


 『……いくな……』

 寝言みたいな声。


 俺は、動けずにいた。


 ……重い。

 でも、突き放せない。


 扉が、静かに開いた。


 「起きてる?」

 東雲だった。

 いつもの軽い声。


 なのに、足取りは静かだ。

 「……見ての通りです」

 視線を、神から外さない。


 東雲は、

 その光景を見ても驚かなかった。


 「うん」

 それだけ。


 「……知ってたんですか」

 俺は、問う。

 「最初から」


 東雲は、椅子に腰掛ける。

 「“元神格”どころじゃないってこと」


 少し、間を置く。

 「——神格そのものだって」


 答えは、あっさりとした肯定だった。

 胸が、冷える。


 「……いつから」


 「君に取り憑いた夜」

 東雲は、淡々と言う。

 「正確には、その少し前」


 俺を見る。

 「君の事故」

 「……偶然じゃない」


 喉が、鳴る。

 「信号無視の車が来る少し前」


 東雲は、指で机を叩く。

 「この辺り一帯で」

 「“怪異化寸前の弱い神格反応”が出てた」

 「消えかけの神が」

 「最後に、何かに縋ろうとしてる兆候」


 俺の記憶。

 神社。

 声。

 事故。


 「……調査してたんですか」


 「してた」

 否定しない。

 「正直に言うと」


 東雲は、少しだけ目を伏せる。

 「間に合うか、賭けだった」

 「弱い神格は」

 「消えるのも、怪異になるのも早い」


 「でも」

 俺を見る。

 「君は、生き残った」


 「——だから、確保できた」


 言葉が、重い。

 「……俺は」


 「観測対象だった」

 「最初から」


 東雲は、

 小さく、苦笑した。

 「そうなるね」


 ◆ ◆ ◆


 扉が、再び開く。

 白衣。

 銀縁眼鏡。

 医療監察官——

 黒野才子。


 あの夜以来。

 「お久しぶりです、村野さん」

 事務的な声。 


 神を見る。

 眉一つ動かさない。


 「……顕現、安定していますね」

 端末を操作しながら言う。

 「侵食率上昇に伴い」

 「依代との同調が進行」

 「神格は」


 一拍。


 「完全に“この個体”に依存しています」

 俺の腹にしがみつく、小さな神。


 「もう離れないですか?」

 俺が聞く。


 黒野は、即答した。

 「不可能です」

 「切り離せば」

 「神格は消滅」

 「あなたは、ほぼ確実に死亡」


 淡々。

 残酷なほど、淡々。

 「現状報告は以上です」


 そう言って、踵を返す。

 「——あ」

 去り際。


 「第四課には」

 「この詳細は共有していません」


 扉が閉まる。


 ◆ ◆ ◆


 静寂。

 東雲が、息を吐く。

 「……ここからは」

 「俺の、完全な私情だ」


 俺を見る。

 「顕現させたかった」

 はっきり言う。


 「君の侵食率が」

 「“処分ライン”に届く前に」

 「完全顕現させれば」

 「第四課でも」

 「即時処分は、できなくなる」


 胸が、軋む。


 「……利用したんですね」


 「した」

 否定しない。


 「第四課を呼んだのも」

 「君を現場に出させたのも」

 「全部」

 「“神格案件”に引き上げるため」


 東雲は、

 俺から目を逸らさない。

 「処分対象になる前に」

 「別の“枠”に押し込む」

 「そうすれば」

 「君は——」


 言葉を、切る。

 「生き残れる可能性が、出る」


 神が、

 俺の服を強く掴む。

 『……すてない……?』

 小さな声。


 俺は、答えられない。

 東雲が、静かに言う。

 「……許せないよね」


 「でも」

 「俺は、君を」

 「“処分される側”にしたくなかった」


 沈黙。


 誰も、正しくない。

 誰も、完全に間違ってもいない。

 ただ。

 俺は、

 神を抱えたまま、

 選択肢のない場所に立たされていた。


 ——守られる代わりに。

 ——利用される。


 それが、

 俺の“生存条件”だった。


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