16 理由
夜。
隔離区画。
消灯後。
俺は、眠れずに天井を見ていた。
胸の上。
小さな重み。
——神。
幼い姿のまま、
俺の服を掴んで、眠っている。
呼吸は、静か。
……こいつが。
全部の始まり。
「……なあ」
声を、落とす。
起こさないように。
「なんで、俺だったんだ」
喉が、詰まる。
「普通に生きたかっただけだったのに」
「昇格して」
「給料上がって」
「少し楽になりたかっただけだ」
「……誰でもよかっただろ」
しばらく、沈黙。
呼吸音だけ。
やがて——
胸の上の重みが、わずかに動いた。
幼い指が、
俺の服を、強く掴む。
目は、閉じたまま。
でも。
声がした。
『……えらばれた……わけでは……ない……』
眠ったままの声。
幼いのに、妙に古い。
『……そこに……いた……』
胸が、冷える。
『……こわれたく……なくて……』
『……にげたくて……』
「……逃げ?」
『……しんこう……なかった……』
神は、淡々と語る。
『……よばれなく……なった……』
『……なまえ……わすれられた……』
『……このまま……きえるか……』
『……こわれて……あちらへ……いくか……』
——怪異化。
『……こわかった……』
その言葉が、
胸に刺さる。
『……そなた……』
少し、間。
『……きてくれた……』
俺の記憶が、引きずり出される。
神社。
寂れた境内。
願い事。
「安泰なな給料」。
情けないほど、俗な願い。
『……よわくて……』
『……でも……すてなかった……』
『……たすけを……もとめた……』
——神に。
『……だから……』
小さな額が、
俺の胸に、擦り寄る。
『……しがみついた……』
それだけ。
「……俺は」
声が、震える。
「逃げ道だったってことか」
肯定も、否定もない。
ただ、
しがみつく力が、少し強くなる。
『……まもる……』
『……すてられたら……きえる……』
『……だから……』
『……そなたが……いきて……』
『……そなたが……こわれないように……』
理解してしまった。
こいつは、
俺を選んだんじゃない。
消えたくなくて、掴めるものを掴んだだけだ。
それが、俺だった。
「……ひでぇな」
笑えない。
誰も、悪くない。
でも。
全部、重なった結果が——
今だ。
幼い神が、
眠ったまま、囁く。
『……いっしょ……いきる……』
それは、願いで。
呪いで。
逃げ道だった。
俺は、
天井を見つめたまま、
目を閉じた。
——もう、
「普通」には戻れないと、
はっきり分かっていた。
―――――――――――――――――――――
翌日。
隔離区画・医療監察室。
ベッドの上。
——神。
幼い姿のまま、
俺の腹にまたがるように抱きついている。
腕を回し、
顔を埋め、
離れる気配は、まるでない。
『……いくな……』
寝言みたいな声。
俺は、動けずにいた。
……重い。
でも、突き放せない。
扉が、静かに開いた。
「起きてる?」
東雲だった。
いつもの軽い声。
なのに、足取りは静かだ。
「……見ての通りです」
視線を、神から外さない。
東雲は、
その光景を見ても驚かなかった。
「うん」
それだけ。
「……知ってたんですか」
俺は、問う。
「最初から」
東雲は、椅子に腰掛ける。
「“元神格”どころじゃないってこと」
少し、間を置く。
「——神格そのものだって」
答えは、あっさりとした肯定だった。
胸が、冷える。
「……いつから」
「君に取り憑いた夜」
東雲は、淡々と言う。
「正確には、その少し前」
俺を見る。
「君の事故」
「……偶然じゃない」
喉が、鳴る。
「信号無視の車が来る少し前」
東雲は、指で机を叩く。
「この辺り一帯で」
「“怪異化寸前の弱い神格反応”が出てた」
「消えかけの神が」
「最後に、何かに縋ろうとしてる兆候」
俺の記憶。
神社。
声。
事故。
「……調査してたんですか」
「してた」
否定しない。
「正直に言うと」
東雲は、少しだけ目を伏せる。
「間に合うか、賭けだった」
「弱い神格は」
「消えるのも、怪異になるのも早い」
「でも」
俺を見る。
「君は、生き残った」
「——だから、確保できた」
言葉が、重い。
「……俺は」
「観測対象だった」
「最初から」
東雲は、
小さく、苦笑した。
「そうなるね」
◆ ◆ ◆
扉が、再び開く。
白衣。
銀縁眼鏡。
医療監察官——
黒野才子。
あの夜以来。
「お久しぶりです、村野さん」
事務的な声。
神を見る。
眉一つ動かさない。
「……顕現、安定していますね」
端末を操作しながら言う。
「侵食率上昇に伴い」
「依代との同調が進行」
「神格は」
一拍。
「完全に“この個体”に依存しています」
俺の腹にしがみつく、小さな神。
「もう離れないですか?」
俺が聞く。
黒野は、即答した。
「不可能です」
「切り離せば」
「神格は消滅」
「あなたは、ほぼ確実に死亡」
淡々。
残酷なほど、淡々。
「現状報告は以上です」
そう言って、踵を返す。
「——あ」
去り際。
「第四課には」
「この詳細は共有していません」
扉が閉まる。
◆ ◆ ◆
静寂。
東雲が、息を吐く。
「……ここからは」
「俺の、完全な私情だ」
俺を見る。
「顕現させたかった」
はっきり言う。
「君の侵食率が」
「“処分ライン”に届く前に」
「完全顕現させれば」
「第四課でも」
「即時処分は、できなくなる」
胸が、軋む。
「……利用したんですね」
「した」
否定しない。
「第四課を呼んだのも」
「君を現場に出させたのも」
「全部」
「“神格案件”に引き上げるため」
東雲は、
俺から目を逸らさない。
「処分対象になる前に」
「別の“枠”に押し込む」
「そうすれば」
「君は——」
言葉を、切る。
「生き残れる可能性が、出る」
神が、
俺の服を強く掴む。
『……すてない……?』
小さな声。
俺は、答えられない。
東雲が、静かに言う。
「……許せないよね」
「でも」
「俺は、君を」
「“処分される側”にしたくなかった」
沈黙。
誰も、正しくない。
誰も、完全に間違ってもいない。
ただ。
俺は、
神を抱えたまま、
選択肢のない場所に立たされていた。
——守られる代わりに。
——利用される。
それが、
俺の“生存条件”だった。




