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特異点 -特殊怪異対策庁第10課-  作者: 霜月真
一章 マモリガミ
10/22

10 怠惰



 倉庫内。

 雨音が、鉄板に叩きつけられる。


 滴る水。

 錆の匂い。

 血の匂い。


 ——倒れている。

 対象。


 元・適合者。

 男。

 二十代後半。

 右腕が異形化。

 骨と肉が歪み、黒く脈打っている。


 まだ、生きている。


 「……う、あ……」

 かすれた声。


 目だけが、こちらを見ていた。

 恐怖。

 懇願。

 ……人間の目。


 氷室が、俺の横に来る。

 コツン。


 何かを胸に押し当てられた。

 拳銃だった。


 冷たい金属。

 「はい」


 氷室は、微笑む。

 「村野くん」

 「仕上げ、お願いします」


 ……え?

 「え……」


 声が、出ない。

 「急所は、ここ」


 額に指を当てる。

 「一発で終わりますよ」


 対象が、俺を見る。

 「……たす……け……」


 喉が、締まる。

 『……いや……だめ……』


 マモリガミが泣きそうになる。


 手が、震え始めた。

 「撃てませんか?」


 氷室は首を傾げる。

 「彼はもう、人じゃないんですよ?」


 違う。

 ……違う。


 まだ、喋ってる。

 まだ、見てる。

 まだ、生きてる。

 「……無理です……」


 絞り出す。

 「俺には……」

 「できません……」


 沈黙。

 次の瞬間——


 久我が、一歩前に出た。

 「……失格だな」


 低い声。

 感情ゼロ。


 「命令違反」

 「処理不能」

 腰の端末を操作する。


 ピッ。

 俺のスーツが、微かに振動した。


 「第10課所属・村野智也」

 「処分対象候補に指定」


 ——頭が、真っ白になる。


 「え……?」


 「戦場で躊躇する者は」

 「いずれ、暴走する」


 久我の目が、俺を貫く。

 「危険因子だ」


 氷室は、くすっと笑う。

 「妥当ですね」

 「やっぱり、甘い」


 ——終わった。


 そう、思った瞬間。


 「はいはい、そこまで~」


 軽い声。

 場違いなくらい、明るい。

 後方から。


 東雲だった。

 傘も差さず、


 いつもの気の抜けた顔。

 「いやぁ、怖いねぇ」

 「第四課って」


 氷室が振り向く。

 「……東雲さん?」


 東雲は肩をすくめる。

 「侵食率、見た?」


 端末を指で叩く。

 俺のモニター表示。

 《侵食率:42.3%》


 規定値——60%未満。

 「まだ、全然セーフでしょ」

 「なのにさ」


 にこっと笑う。

 「新人君をいじめないでくれるかなぁ」


 空気が、張り詰める。


 久我が言う。

 「感情に流された事実は——」


 「うんうん、わかる」

 東雲は遮る。

 「でもさ」


 対象を見る。

 まだ、息をしている男を見る。

 「今ここで殺せって言われて」

 「即、引き金引ける新人の方が」


 少しだけ、声が低くなる。

 「俺は怖いけどね」


 氷室が目を細める。

 「……情を肯定すると?」


 「否定しないよ」

 「制御できるなら、ね」

 東雲は、俺を見る。

 「村野くん」


 「はい……」


 「今、怖かった?」


 「……はい」


 「逃げたかった?」


 「……はい」

 「でも、逃げなかったね」


 ぽん、と肩を叩く。

 「十分だよ、今は」


 沈黙。


 久我が、数秒考え——


 端末を閉じた。

 「……保留とする」


 処分対象表示が、消える。

 足から、力が抜けた。


 氷室は、少しだけつまらなさそうに笑う。

 「……残念」

 「もう少しで、壊れそうだったのに」


 怖い。

 本気で言ってる。


 東雲が手を叩く。

 「はい、じゃあ仕切り直し」


 「対象は回収ルートで」

 「久我くん、拘束お願い」


 久我は無言で頷く。

 対象に抑制具を装着する。

 「……あ……ありがとう……」


 男が、かすかに言った。

 胸が、痛む。

 車へ戻る途中。


 東雲が、俺の横を歩く。

 「ね」


 「はい?」


 「今日さ」

 少しだけ真面目な声。

 「君、ちゃんと“人間”でいられたよ」


 雨の中で、微笑った。

 「それ、簡単そうで」

 「一番、難しいんだ」

 俺は、何も言えなかった。


 ただ、

 拳を握りしめて、前を見た。


 ——雨の中、静かに涙が流れた

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