事故
植村 展久のところに、二人の姉弟がやってきた。
展久の孫だ。
息子とは、息子が高校生の時から実家を離れ東京に進学し、就職を決めてから、自然と疎遠になった。
息子は実家暮らしであったが、実質はその前から疎遠だったのかもしれない──と展久は、苦笑する。
孫が生まれたと、ハガキを寄こしてきても、仕事が忙しいと、帰省などはしない息子だった。
会社名はなんと言ったか、横文字の会社名たしか頭文字がZだったような気がする。
孫たちが、小学校六年生と五年生になったばかりの春だ。
息子の植村 聖司が嫁の植村 円加と、事故に巻き込まれて死んだのだ。
悲惨な事故だった。
大型トラックが、高速道路で急にバックをしてきたのだ。後方を走っていた聖司は避けきれずに車ごと潰された。
助手席にいた円加共々だ。
後部座席に居てシートベルトを適切に締めていた、二人の姉弟には奇跡的にかすり傷一つなかった。
二人の姉弟は、その時行き場を失った。
円加は関東出身だったが、そのご両親はすでに他界しており、身寄りがないとのことだ。
どうしようもない警察は、展久に連絡を取った。
展久は、驚愕し、涙が止まらなかった。
いくら疎遠であっても、息子には違いない。
家のことは、ヴァルッテリに任せた。
車で、二時間半の行程を一気に走り抜けた。
展久はなんとか新千歳空港に行くと飛行機に飛び乗り、飛び立った。
そして、警察署にて変わり果てた息子夫婦と対面した。
だが、「見ないほうがいい」と言われ、顔までは見せてもらえなかった。
警察署に居た燈乃と仰の二人を引き取り、息子夫婦の亡骸を引き取った。
簡単な葬儀を数日かけて終わらせると、展久は、孫二人に向き直った。
「燈乃、仰。二人は、この先、助け合って生きていかなきゃならない。だが、じいちゃんもお前達二人をできる限り助けて生きていきたいと思っている。じいちゃんも二人に混ぜてもらってもいいかい」
燈乃が口を開いた。仰は事故のショックで、まだ言葉が出ないのだった。
「私、お父さんとお母さんの帰り、ここで、本当は待ちたかった。でも、他のおばさんとかの話、聞いちゃった」
燈乃は、一旦目を閉じた。
「もし、今、お祖父ちゃんのところにいかないと、施設行きなんでしょ?私は大丈夫かもしれないけど、今の仰には、それは多分無理なの」
そこまで一気に言うと、燈乃は息を吸い込んだ。
「だから、お祖父ちゃんの家に連れて行ってもらえますか?お願いします」
東京と北海道日高──距離は心の遠さにも比例するのかと展久は思っていた。
全く一度だって会う機会なんかなかった孫である。切羽詰まっているにしても、頼ってくれたのが嬉しいものだ。
展久は即日諸々の手続きを開始した。一週間後、三人は機上の人となった。
*
展久の孫たちの登場は、同居して一年のヴァルッテリにとっても重要な転機となった。
ヴァルッテリにとっての日本語は少し手強い相手だった。
それでも、展久と会話がしたくて、展久から、だいぶ教わっていたのだ。
今では、イントネーションこそ拙いが、日常会話くらいなら難なく話せるようになっていた。
今は、日本料理の修行中だ。インターネットから、レシピを取り寄せ、材料を買い揃え、作っていった。
当初はやはり、頓珍漢なものが出来てしまっていた。
けれども何度も作っていくとそれなりに上手くはなる。修行中に変わりはないけれど。
「料理ハ科学デス」とヴァルッテリが言うと展久は楽しそうに笑うのだった。
展久にとっては、科学などはわからないがヴァルッテリがそういうのもわかる気がしていた。
実験とはそういうものだろうと理解していたからだ。
味噌汁をつくるにしてもそうだが、だしを取り、具を入れ味噌を溶かす。
その手順が、ちょうどいい量がはかられていなければ、美味しい味噌汁ができないのだ。
それでも、ヴァルッテリはだいぶ上手に味噌汁を作れるようになった。
展久が東京に行っている間、ヴァルッテリはこの家を守っていた。
けれども、一人で食べる食卓は本当にさみしいものだった。
それが、昨日のことである、一本の電話が入った。
展久からである。
明日には帰るという知らせだった。
孫たちも一緒に暮らすという話には、驚いたヴァルッテリだったが、翌日、展久が帰って来る前にすることはいっぱいあった。
食材の購入もだが、ベッドまわりなどを整える必要がある。そして、展久が連れて来る孫たちの部屋も整える必要があるだろう。
ヴァルッテリは忙しかった。
*
燈乃も仰も東京の気温しか知らない。ようやく秋口という気温だ。
だが、展久の住む北海道日高地方は、すでに秋真っ盛りだ。
薄手の羽織るものが必要になる。展久は着てきたものをそのまま着て帰るだけだから、そのままで良かったが、
燈乃や仰の衣服までは気が回らなかった。
慌てて、新千歳空港内の洋服屋に向かって、薄手の羽織るものを購入した。
今回は軽トラではなく、普通の乗用車に乗って、新千歳空港まで来ていた。
孫たちを後部座席に乗せ、出発した。
燈乃は緑あふれる様子に興奮していたが、そのうち疲れが溜まっているのか、仰共々眠ってしまった。
日高地方へ、2時間と30分。まだ道のりは遠かった。
*
「ハジめまシて、ヴァルッテリ・サールトといいマス」
孫たちは、面食らったような顔をしていた。
それもそのはず。
ヴァルッテリの身長は190cmほどある。
東京では、すれ違うことはあっても、やはり目につく。驚くほどの身長だ。
優しそうな顔はしているが、時たま見せる表情はやはり理知的だった。
「私、植村 燈乃です。こっちは弟の仰といいます。今日から、ここで暮らすことになりました。どうぞよろしくお願いします!」
燈乃が頭を下げると、仰も同じように頭を下げた。ヴァルッテリも一緒に頭を下げる。
*
「好きなモの、わかラなかったかラ、晩御飯はオムライスね」
ほっこりと湯気が立っているオムライスは、ケチャップライスがしっかりと卵に包まれていてみるからに美味しそうだった。
アクセントには、トマトケチャップがしっかりとかかっていた。
それに小鉢には生野菜のサラダ。そして、コンソメスープが添えられていた。
仰は食欲がなかったが、その香りに負けて一口食べてみることにした。
すると、本気で食べ進め、瞬く間に食べ終わってしまって、自分自身でも驚いていた。
それよりも驚いたのが、燈乃だ。
事故に遭ってからというもの、食べることが好きだった仰が一つも口をつけなくなったのだ。
それが、この外国人のオムライスを見ただけで食べ始めて、完食するなんて。
燈乃は思わず泣いてしまった。そして、自身もパクリと。オムライスを頬張った。
父も母も、忙しい身の上だった。こんな風に手のかかる料理は作ってくれたことがなかった。
大きくなった燈乃がつくるか、近くのスーパーのデリカを買ってくるという食生活だった。
手作りのオムライスなんて、初めて食べるようなものだ。
「こんなにあったかくておいしいの初めてです」
燈乃は、食べながら泣いていた。それを見ていた展久も思わず涙した。
ヴァルッテリは、この二人に明日、何を食べさせてあげようかと、瞬間に考えて、メニューが決まったのか、ほっこりとした笑顔になった。
*
燈乃と仰は小学校へ通い始めた。元々転勤族が多い土地柄だ。転出も多いが転入も多い。
要は転校生が多いのだ。
だから、燈乃も仰も自然と迎え入れられた。友だちも出来た。仰にも友だちが出来た。
段々と活動範囲も広がっていく。
自転車にも乗れるようになったが、もう少し季節が進むと初雪が降る。
とはいえ、この地域は北海道にしては極端に雪が少ない。
氷さえ張らず、寒さに耐えられるのであれば、自転車には乗れる。
燈乃も仰もこれほど自転車が楽しい乗り物だとは思わなかった。
乗れるようになったのは、ひとえにヴァルッテリの献身のおかげだったのだが、子どもたちは、それを忘れがちだ。
それでも、ヴァルッテリも展久もそれが嬉しかった。
展久も、家庭を顧みない人間だった。全て、伴侶に家庭のことは任せて。
自分の仕事のみに向き合っていた。
だから、息子夫婦が自分と同じような仕事人間になってしまったのは、仕方ないと感じていた。
けれども、やはり孫たちには家庭の温かさを感じながらこれからは過ごしてほしいと今では思っている。
そのためには、遅ればせながら展久は孫たち二人とヴァルッテリの居るこの家庭を守っていこうと考えているのだ。
そのためには、できる限りをするつもりだ。
ヴァルッテリも、展久と同じ気持ちだった。国を追われて、数年が経つ。
そして、ヴァルッテリが子供の頃──IQの高さから、子供らしい遊びもできなかった。
物心ついたときには、すでに研究所の中だった。
投影なのかもしれない。自分が楽しい子供時代を過ごせなかった。
それでも、それは仕方ないことと思っていた。
でも、今、ここに居る燈乃と仰にはのびのびと過ごしてもらいたいと心底思うのだった。
そのふたりの心は、燈乃と仰にも伝わっていく。言葉じゃない。静かに伝わっていったのだ。
結果として、二人は両親の死を乗り越えた。
時折、その時の光景がフラッシュバックされるものの、四人で乗り越えてきたのだ。
ヴァルッテリと展久は、元の両親よりももっと”親”らしかったのだ。
*
瞬く間に数年が経ち、ヴァルッテリが植村家へやってきてからはや五年。
今では、欠かすことが出来ない人になっている。
今日もヴァルッテリは早起きして、朝食を作る。展久に燈乃と仰が欠かせなくなったように、ヴァルッテリにも二人に加えて展久も欠かせない人だ。
四人で健康にこれからも過ごせるようにと、キッチンに立つ。
ヴァルッテリが願うのは今はそれだけだ。この先の未来もずっと四人で居られたらいいと思っていた。
願っていたのだ。
*
燈乃は、また、夢を見ていた。自身の深く深くにある夢だった。
起きているときには、わからない。
目覚めたら忘れてしまう。そんな夢を見る──




