焔上
「ようやく、この時が来たか」
碧の星、地球で。その小さな片隅に降り立ち機会を待っていた男がいた。
サナの兄、セイリュウだ。
彼は星の海を何万光年もわたり、時空をも越えて地球に降り立っていたのだ。
彼は、──依代を探していたのだ。
セイリュウ、彼の全ての力を受け入れられる依代を。
だが、現代──魔法もないこの世界では、セイリュウの力は身に余るだろう。
そんな力がある人間がいたとして、すぐに崩壊してしまう。
到底、セイリュウには試してみる気などなかった。
だが、ここへ来て──セイリュウを受け入れられるほどの器が整ったようだ。
二人いるようだが、片方は光だ。
闇の力を持つセイリュウは選ぶべくもなかった。
力としては、まだ弱い。
けれども、セイリュウ自身の力を受け入れられる器としては十分だ。
力など、我が入れば、いくらでも強くできる。
セイリュウは、地面を一蹴りした。
次の瞬間、Zaphrex社北海道日高プラント第二研究保全区画──被験者5126の前にいた。
プラントで、事に当たっていた職員たちには、セイリュウを感じ取れなかった。
彼らは実質世界しか知らないからだ。
目に見えなくても、畏怖すべき世界は必ずある。
それでも、通常、知ろうともしないだろう。
が──それを感じ取れる人は少しばかりは居る。
そして、一人の職員がソレに気づいてたじろいだ。
「何してる!花岡!鎮静剤の投与を続けろ!」
すでに、致死量ギリギリの量は投与されている。
それを止めてしまえば、他の被験者たちにも臨界が訪れてしまう。
そして、この第二研究保全区画には臨界に達しそうな他の実験体がいるのだ。
そのものたちまで、感応し”臨界”してしまったら、このプラントは崩壊してしまうだろう。
その臨界を恐れているのだ。
そこへ、セイリュウが現れてしまった!
セイリュウは、被験者5126を見ると、どす黒い笑みを浮かべた。
「この者なら、我にふさわしい」
その頬にセイリュウの手が触れると、被験者5126は閉じていた目を開いた。
その瞬間には、もう、被験者5126ではなかった。
闇の支配者 セイリュウであった。
*
鍵のかけられた個室。
ヴァルッテリのいる部屋には、窓すらない。
デスク、PC、ベッド、そして、衝立に隠してはいるがトイレもあるのだろう。
どうやらシャワーまではないらしい。
PCがあるということは、研究の一端をさせようという意志があるのだろう。
ヴァルッテリには、PCを立ち上げてみる意志などない。
その意志を甘く見られているなとヴァルッテリは苦笑する。
世界のトップであった天才生化学者ヴァルッテリ・サールトにとってのZaphrex社は存在が許し得ない企業であった。
おそらくは、このプラントでしていることを、彼らは平気でやる。
──倫理などなにもないのだ。
人類の進化を担う──と理想を高らかに謳っているが、実質は人間を素材として使う金儲けだ。
実際、ヴァルッテリ自身も倫理に抵触した実験を行っていたのだが、自身の金儲けに使うなど、したことがなかった。
現実は、そうはいかなかったのが、大笑いだが──
ヴァルッテリは人の命を、金で換算するようなZaphrex社に協力するつもりは毛頭なかったのだ。
そこまで考えて、どこか、逃げ場はないか部屋中を見渡していると、
ドーンっ
突き上げられるような振動と耳をつんざくような轟音が届いた。
そして、悲鳴のような声も聞こえてくる。
煙が施錠されたドアの隙間から漏れ出てきた。
火事か!
ヴァルッテリは慌てた。
こんな小さな部屋で蒸し焼きになるのは嫌だった。
三度ドアを強めに叩くが、慌てた人が何度も行き過ぎる音しか聞こえなかった。
そして、
ぎゃっ、と何人もの絶命の声が聞こえて。
叩いても叩いても決して開かなかったドアが、自然と開いた。
電子ロックというものだろうか。
ヴァルッテリは慎重にも廊下に出た。
廊下には、既に絶命した人々がところどころに倒れている。
遠くでは建物に火が回っている。
「どういうことなの!こんな!」
北海道日高プラント、施設長でもある池脇 稚葉は、慌てて階下に降りてきた。
警備員に守られながらであるが。
部下である職員たちが累々と死体として転がっている。
死体特有の臭いがあたりを包んでいる。
そこへヴァルッテリが、顔を出した。
「ヴァルッテリ・サールト!あなたがやったの?この人非人!」
ヴァルッテリは急いで首を振った。
「僕じゃない!」
その時、廊下の端に、一人の男性が現れた。
格好は、被験者が着ている衣服だ。ボタンはなく、ダボッとした、薄グリーンのパジャマタイプの衣服だ。
池脇もヴァルッテリもその人を見た。
笑顔だ。
だが、ものすごく恐ろしい笑顔だった。
「死ね」
短く一言を放っただけで、池脇の周りにいた警備員たちが、声を上げて絶命した。
辺りにはヴァルッテリと池脇が残った。
「ほぉ、耐性があるものもいるのだな」
セイリュウは、一瞬で廊下の端から、池脇のそばに飛んだ。
「ならば、手ずからその機会を与えてやろう。死ね」
ヴァルッテリは、矢のように動いたが、間に合わなかった。
池脇は、一言も発せず、亡骸となって床に崩れ落ちた。
(間に合わなかった!)
その次の瞬間、ヴァルッテリの横にセイリュウが来た。
ヴァルッテリは覚悟を決めた時──
「なんなの!何やってるの!これ」
定規から警棒に得物を替えた岩室 亜結が現れた。
「うわー。皆死んでんの?キモすぎる!」
若干の不謹慎はある。
「来たな。光の」
セイリュウの興味は、亜結に完全に移ったようだ。
ヴァルッテリを屠る手を止めると、亜結に向き直った。
「アレ?さっき、夢の中で会った人だよね。何やってんの?」
と、笑う亜結だったが、警戒は怠らない。
警棒の先はセイリュウを狙っている。
「知らぬな。我は」
ニィっとセイリュウの唇が引き上げられた。
*
東京支社にいる遺伝子開発部長の生形 広充が、その知らせを受けとったのは、米国本社とのオンラインミーティングが終わった頃だった。
「なんだと?池脇まで行方不明だと?けしからん!」
部下が平身低頭、報告を続ける。
「あの、プラントにはアレがあっただろう。許可する。使え。だが、公には決してするなよ!わかったな!」
その許可が出た五分後。格納庫内で、それが数体起動された。
*
セイリュウと亜結は、物騒な軽口をたたきながら、いまだ対峙していた。
お互いに敵を屠るのは、至極簡単なことだが──相打ちになっては元も子もない。
お互いに目覚めたばかりだ。
器となった被験者5126に魔力はない。一方で、亜結自身も元々の自分の能力以上の力を発揮し続けている。
……このままでは、相打ちになってしまうだろう。
それに、亜結側にはヴァルッテリもいる。
亜結は倒れるわけにはいかないのだ。
そして、この膠着状態に陥っているというわけだ。
そこへ──特有のモーター音を鳴らしながら、ある機械が数体現れた。
人が騎乗したパワードスーツだ。小さな車輪が足元に三つついている。
段差もお手のものだ。
それが四体現れた。
そして、それに従うように警備隊も、あろうことかマシンガンをもって現れたのである。
「は?ここ。日本ですけど?銃器ってやばくない?」
亜結が驚くのはもっともだ。その銃口は亜結をも狙っている。
セイリュウは実に楽しそうに、きれいに笑うと。
警備隊に向かっていった。
次の瞬間、警備隊員のすべての命は一掃されていた。
「この星のものは、どうして、これほどまでに弱いのだ。お前、光の者よ、この弱さを知っていたか?」
「さあね。知らないわ。人によるんじゃない?」
亜結はもう一度、遠くなってしまったセイリュウに向き合う。
心の奥底で、こいつを逃したら大変なことになると思っていたからだ。
そこに、セイリュウは、やる気を無くしたように、ため息をついた。
「飽いたわ。もし、その時までお前が生きていたら、手合わせしてやろうぞ」
セイリュウがそう言うと、跡形もなく、消えた。
「ホント、なんなの。アレ」
亜結は憤慨する。
ヴァルッテリは、眼の前で起こったことが、まだ信じられずにいた。身動きは、すぐには出来なかった。
*
「うわー、なんか、火が、回ってきそうな感じだね。ここに居るのやばくない?ね。ヴァルッテリ」
「亜結さん。ありがとう……。僕は、何も出来なくて情けないよ」
「ああ、いいのいいの!できることはできる人がやればそれでいいっしょ?っていうか、ここから、どう、逃げるか。なんだけど」
ヴァルッテリは、未だ死体が乗っている絡繰鞍を指で指した。
「アレを使いましょう」
「え?運転できるの?」
「いえ、見たことはない機械です。でも、機械は単純です。なんとかなります」
「えー、天才すぎない?」
亜結は絡繰鞍から死体を下ろすと、手を合わせた。
ヴァルッテリは操縦席に乗り込む。
ついていたシリンダーキーを回すと、案外簡単に絡繰鞍は始動した。
レバーやハンドルなどをなんとか回しているうちに、操縦方法がなぜかわかったらしい。
「亜結さん。いけますよ。これ。これで、脱出しましょう」
「おお!すごーい。て、私、ヴァルッテリの後ろに乗るってことでいいのかな」
「狭いですけど、亜結さんなら、乗れます。多分」
「ごめん!あと一つ、突っ込ませて」
「なんですか?」
「なんか、日本語、めっちゃうまくなってない?」
*
山道を急いできた祖父である植村 展久運転の乗用車が、北海道日高プラントに到着したのは、夕暮れが終わりかけた頃だった。
プラントの周りには、分厚い塀が建てられており、門にはしっかりと施錠がされていた。
三人は、途方に暮れていた。
その時、周囲をも揺るがす爆発音が轟いた。
そして、あちこちで火の手が上がる──
「お祖父ちゃん!どうしよう!」
植村 燈乃は慌てて、門を叩いたが、誰も出てくる気配はなかった。
「植村さん!待って!」楠浦 滉が、燈乃を止めようと肩を揺する。
「でも!亜結もヴァルッテリもきっと中に!」
展久は、その時、その物音を聞いた。今まで聞いたことのない駆動音だった。
農業に詳しい経歴を持つ展久だったが、そのモーター音には聞き覚えがなかった。
その音は、だんだんと近づいてくる──その機械に付けられている、サーチライトが、乗用車の前にいる三人を照らした──
「燈乃!おじいちゃん!と?楠浦くん?なんでいるの?」
亜結が、絡繰鞍から飛び降りると三人に向かって大きく手を振った。
「亜結さん、ちょっと避けてください。門を壊しますから」
ヴァルッテリの操縦する絡繰鞍は器用に腕を使って、鋼鉄製の門を破壊した。
そして、重く鈍い金属音が轟いた。
「ヴァルッテリ!亜結!良かった!無事で!」
「ご心配おかけして、すみません」
絡繰鞍から下りてきたヴァルッテリが深々と頭を下げた。
後ろではプラントがメラメラと燃えている。
「これは──早く、この場を離れなきゃだな。みんな、早く乗ってくれ」
展久が促した。乗用車は、深い闇の中、日常の中に帰っていった。
その場に残されたのは、Zaphrex社のプラントの炎だけであった。




