失踪事件
三時間目に入る前の休み時間。
その呼出を、植村 燈乃は2-Cの教室で聞いていた。
親友の岩室 亜結が生徒指導室に呼び出されたのだ。
このところの亜結はかなり焦っているように感じていた。
亜結は夢の中で最終局面を見るようになっていると言う。
その反面、燈乃の見るサナの夢はまだそこまで深くない。
けれど兄セイリュウの非道──夢の中では、サナの実の兄──が弟のクリスティアンとの関係を壊していく様を見ていた。
この先は、災厄につながる予兆が含まれている夢になるのだろう。
けれども燈乃の中では、未だ、この夢が真に現実に繋がっているのか、測れていないのだ。
だから、亜結のような焦りはまだ感じていない。
二言目には、サナとして早く目覚めてと言われて、多少辟易しているところもあった。
それに加えて、2-A海老塚 香那美への亜結のつきまといだ。
燈乃は、止めるように何度も説得した。
けれども、帰って来る答えは、──『ヴァルマならわかってくれるから』。
かつての仲間の名を、亜結はそう口にしてはばからなかった。
何度も休み時間毎にA組に向かう亜結を止めたが、効果はなかった。
先生たちからも亜結は止められているのに、香那美の元に向かうのだ。
近頃は、燈乃自身も多少の諦めが出てきた。
……そして、親友同士であった、二人に若干の亀裂が出てきていた。
燈乃は、亜結の明るさに何度も救われてきた。
直情径行の行動に笑顔をもらった。
けれども、この所の亜結の行動は逸脱しすぎていた。
さすがの燈乃でもついていけなかったのだ。
大事にしたい一番の友だちだったのにと、忸怩たる思いだ。
それでも、もし、亜結が困っている状況ならば、矢も楯も堪らず駆けつけるだろうことは、何にも変わらないのだ。
その亜結が、あの生徒指導室への呼び出しの後、一向に帰ってこない。
先生に話しても、わからないという。「サボりだろう」としか返ってこないのだ。
*
「あの……今、いい……ですか?」
昼休み。
楠浦 滉は、燈乃に相対する緊張感で、顔色は白く、消し飛びそうな声でもって燈乃に声をかけた。
燈乃は、どうしても、今は笑顔にはなれなかった。だから、声のトーンもきつくなりがちだ。
「何?……あ、ごめん」
刺々しい声を出した。滉は少し震えてしまった。
「あ……あの、岩室 亜結さん、戻って来てないですよね……大丈夫かなって思って」
燈乃は、静かに頭を振った。
「先生に話しても、知らないって。サボりだろっていうの。亜結は勉強サボったりする子じゃないのに」
「僕が……その、いろいろ調べた中に、ある都市伝説があって──。
信じがたいとは思うけど、聞いてくれますか?」
滉は一旦、燈乃を見つめる。
燈乃は、頷いた。
「今までも学校の奇妙な噂話があるんですけど、こうして、いなくなった生徒の中に、ある実験施設に連れ去られるっていう話があるらしいんです」
「え?亜結がそれに?……ありえないよ」
「でも、学校のとある教室に、呼び出されて、連れ去られるっていう共通点。ありますから、あながち、間違いじゃないかなって」
滉は、滉らしくもなくまっすぐに燈乃を見つめて話している。
いつもなら、反論された段階で話すのを諦めてやめてしまう。
それでも、今回は引くわけにいかない。
滉は、夢の中では情報戦に長けているマウヌだ。
彼もヴェルデ・ガルダの一員なのだ。
だから、燈乃──サナなのもわかるし、亜結──シルカなのもわかっている。
いま、ここで引いてしまうとシルカの記憶も亜結の命も失われてしまう。
それは、これからの戦いでの大きな損失であり、仲間が失われる──心の大きな傷になる。
引き下がるわけには、いかない。
「それでも、実験施設って何?そんなのがどこにあるの?」
「Zaphrex社の北海道日高プラントなら、この町にありますよ。だいぶ、奥地ですけど」
「え?そんなの、知らない」
Zaphrex社の名前を出されて、燈乃は一瞬たじろいだ。
ようやく忘れかけていた、幼少期、被験体であった自分の過去を掘り起こされたような気がしたからだ。
実験の度、かなり痛い思いをさせられてきた。
痛かった。冷たかった。誰も名前で呼んでくれなかった。
──αだからって、何?
怖い思いなんてもう、絶対したくない。
ここに移り住んでからは、展久おじいちゃんが行かなくていい、と断ってくれているから、痛い思いも怖い思いもしなくて済んでいる。
──しかし、あの苛烈な実験を亜結にもしているとしたら?
「楠浦君、その、実験施設でって、確証はあるの?」
*
香那美は保健室で目を覚ました。
誰もいない生徒指導室で倒れてから、何時間が経ったのだろう。
保険医の西岡先生が急に起き上がった香那美を、自分のデスクから心配そうに見ていた。
「大丈夫?海老塚さん。急に倒れたって、加賀谷先生が運んでくれたのよ。驚いてたわよ。なにかあったの?」
──言ったって、どうせ信じてはもらえない……。
香那美はただ、首を横に振った。
「それよりも、今、何時間目ですか?」
「もう、昼休み入っているわ。どうする?もう少し休んでもいいし、具合、悪かったら早退もできるよ?」
もう一度、首を横に振った。
今は、燈乃に会うことが先決だ。
保険医の西岡先生に辞去の挨拶をすると、2-Cの教室に向かった。
*
「植村さん……それと、君。ちょっと、待って……ごめんだけど、マウヌ?」
2−Cにやってきた香那美は、滉と話している燈乃のところにやってきた。
クラスが違っても、今は構っていられない。ズカズカと入り込み、二人の前に立った。
燈乃のことは、亜結が連れ回していた時に名乗ってもらえたから、知ってはいたが、滉は初対面だ。
けれども、ヴェルデ・ガルダの同胞の絆があるから、マウヌだとわかる。
「うん。マウヌ。今は、楠浦 滉です」
「私……ヴァルマ……でも、ヴァルマって呼ばないで。私は、海老塚 香那美です」
「海老塚さん、亜結が、帰ってこないの。海老塚さん、来たってことは、なにか知っているの?どういうことか、教えて」
燈乃がそこまで言うと、香那美は周囲を少し気にした。周囲の生徒から、面白がった目で見られていたからだ。
「少し、移動しましょう。ここじゃ、ちゃんと話せない」
二人は同意して、廊下の片隅に行く。
「──ここなら、いいかも……」燈乃は、辺りを見回す。
「ねぇ。海老塚さんのところに行った後、あの生徒指導室への呼び出しがあって、それから亜結が帰ってきていないの。海老塚さん、なにか知っているんでしょう?」
香那美は深く頭を下げた。
「私の──私のせいです」
香那美は、亜結の香那美へのつきまといをどうしてもやめてほしかったのと、保健室への投書をしたこと、
生徒指導室への呼び出し前まで一緒にいた事、
同級生に連れ去り事件の話を聞いて、すぐに生徒指導室に向かったことを一気に話した。
「本当に、こんなことになるなんて、ごめんなさいじゃ、済まないけれど、本当にごめんなさい」
「……はぁ……」滉が深い溜息をついた。
「……るせない……。許せないよ」燈乃はぼろぼろと大粒の涙をこぼした。
「ねぇ、亜結、本当に海老塚さんに迷惑をかけていたと思う。でも……でも!」
「──私だって!こんなことになるなら、あんな投書しなかった!!」
香那美は強く頭を振った。
「だけど、毎日毎時間、来られたら困るし怖かった!その度に、私はヴァルマなんかじゃないって、毎回断ってるのに!」
香那美は自身の肩をぎゅっと強く抱く。
「だって……私が“ヴァルマ”なんて認めちゃったら……」
「今までの“香那美”は? 弓道部で、日常があって、友達もいて──」
「そんな“今”の私が、いなくなっちゃう気がして……それが怖いの……!」
「その答えが、これじゃん。亜結がそんなに悪いことしたの?」香那美は答えられなかった。
「海老塚さんも、植村さんも落ち着いて」
滉が、自身でもありえないくらいの冷静な声を出した。
「海老塚さん。ごめんね。聞きたくない名前かもしれないけど、これからはヴァルマって呼ぶね」
少年は、過去世からのつながりのある少女をまっすぐに見つめる。
「ヴァルマ。僕は君よりも、多分、相当夢、進んでいると思う。だけど、僕は僕。マウヌであり、楠浦 滉、本人なんだ。誰が強制しているわけでもない。でも、自分は、そうだとわかる」
ヴァルマと呼ばれた少女、香那美はたじろいだ。滉は構わず続ける。
「君は、ヴァルマであり、海老塚 香那美本人だよ。たしかに、僕だって一時期、君のように、マウヌを認めてしまったら、自分、楠浦 滉が消えてしまうような気持ちになった。でも、両方の自分が、自分であることに気がついたんだ」
滉は頷いた。
「それからは、夢の中でヴェルデ・ガルダの皆に会えることが楽しみになった。今の僕は友達もいないから、あんなふうに接してくれるのは、夢の中の仲間たちだけだから」
そこで、滉は苦笑する。
「もちろん、海老塚さんはちゃんと部活動もしてる友達いっぱいいる人なのわかってる。けど、僕みたいに過去の夢、楽しみにしてたやつもいるってこと、覚えててほしいって、ごめん。論点ずれちゃった」
そこまで言って、滉は頭を掻いた。
「……ふふっ。ほんと、マウヌ。話しズラすの得意だよね」
「……ありがと」
香那美が落ち着いた顔で笑った。
「でも、やっぱり……まだ、認められない。マウヌのようには、すぐには出来ない」
マウヌ──滉はふるふると頭を振った。
「大丈夫。それは、ゆっくりでいいとおもう。と、その前に、岩室さんのことだよね」
燈乃も香那美も同時に頷いた。
「今までの僕が集めていた情報によるんだけど、おそらくだよ。おそらく、今、僕達がいる翠月学園のずっと奥、育成牧場のすっと奥にZaphrex社のプラントがあるんだ。岩室さんはそこに行ってるかもしれない」
「どうして、そんな事がわかるの?」
「ここの翠月学園の一番上の企業ってしってる?」
燈乃も香那美もふるふると首を振る。
「そうだよね。公にされてないからね。実は生化学産業の雄であるZaphrex社が立ち上げた学園なんだ」
滉が、緊迫感をもって話しているが、香那美はちんぷんかんぷんの様子だ。
「それが、どう、岩室さんに絡むの?」と、香那美が言った。
燈乃は、その会社名を聞いた時、自然と眉間のシワが深くなっていった。
αと呼ばれた、あの実験施設は間違いなく、Zaphrex社のものだった。
「亜結!」
燈乃は、飛び出していこうとした。
だが、滉に止められた。
「植村さん。一人じゃだめだよ。こっからだと、バスも通ってない道を25キロ歩かないといけない」
「そんな!……だって、こんなことしているうちに、亜結が!!」
「僕も、どうしたらいいか考えるから、とりあえず、落ち着こう。絶対、岩室さんは助けるから」




