狩猟と"実感"
吐瀉物の感覚が鼻の奥に残っている。
思い切り鼻をかんで始まる新しい1日。気分は悪くない。
初めての魔物討伐の翌日。
アルドはギルドの掲示板に張り出された依頼書を眺め、思案していた。
―いけるか?いや、昨日のは不意打ちみたいなものだったか……?
成功体験は想像力を裏付ける根拠となる。
今こそ魔物討伐依頼、リベンジの時だろうか。
ひとつの依頼者へ手を伸ばしたそのとき、凛々しくよく通る声がアルドを止めた。
「おはよ、アルド」
振り返ると、包帯こそ巻いてはいるものの
活力ある笑顔のエレナが腕を組み立っていた。
かなり深そうな怪我だと思ったが……。
挨拶しつつ驚き尋ねる。
「もう大丈夫なの?」
「そうね。創造者の医者はやっぱりすごいわ、お高いけど」
エレナは微笑みながら右腕の包帯を軽く撫でた。
人体の構造を理解して、他人の身体を癒すことのできる創造者は希少で、大概の場合は国へ召し抱えられ、重用される。
モルガにも一人駐在していたことは運が良かった。
「それと、あんたが2人抱えてひとっ飛びで街に運んでくれたおかげ」
照れ笑い以外に上手く返す言葉がなく、頭を掻く。
何にせよ、よかった。
「それで、あんた何の依頼受けようとしてたの?」
アルドの肩越しに覗き込むように、エレナは掲示を確認する。
「……もしかして、昨日のあれで、もう魔物討伐依頼いけるとか、考えてないでしょうね」
咎めるような視線を向けられ、目が泳ぐ。
「……まだ見てただけだよ」
「考えが甘い。軽率。軽薄。短慮。単純。バカ。ガキ」
ビシッビシッと額を指で突かれる。痛。
「あんた、一体魔物殺す度にゲロゲロやるつもり?相手が群れだったら?一撃で倒せなかったら?倒した直後に別の魔物が現れたらどうするの?」
「わかってる!わかってるよ!」
両手を上げて降参の意を示す。
「ちょっと見てみただけさ。もう少しイメトレを続けるよ……」
はぁっとため息をついたエレナが一拍置いてニヤリと笑う。
「イメトレよりもいい方法について、私に考えがあるんだけど」
どうやらエレナの当初の用件はその提案だったようだ。
「考え?」
「まあ、任せなさい。私があんたを男にしてやるわ!」
「ぇ゙」
おれよりも早く通りかかった受付のお姉さんが反応した。
「ご、ごめんなさい。偶然聞こえてしまって、いえ、何もきいていません」
パタパタと慌てて走り去る受付嬢へ
同じく慌ててエレナが弁明の声をあげる。
「え、あ。そういう意味じゃない!」
受付のお姉さんの意外な一面を見れたな。慌てた姿もかわいい。
「とにかく!いくよ!」
エレナに引きずられるようにしてギルドを後にした……。
***
街を離れた2人は再び近隣の森を訪れていた。
「また魔物退治?」
「いいえ、今日は依頼も受けていないわ」
ふんっと腰に手を当て胸を張るエレナ。
「本日は、狩りを行います!―あんた、やったことないでしょ」
なるほどつまり、
「”命を頂く授業”ってことか。おれが魔物を殺す想像に耐えられるように」
エレナがパチンと指を鳴らして応える。
上機嫌だな……。
「察しがいいわね!命を助けられた恩は、あんたを一人前にすることで返させてもらうわ!」
「恩とか、そんなの、いいよ」
「つべこべ言わない!もうここまで来たんだから!ほら!行くよ!」
―最初からテンションで押し切るつもりだったんだな……。
しかし気持ちが嬉しいのは事実だ。
「ありがとう。エレナ」
エレナは振り返らずズカズカと進んでいく。
「お礼をするのは私だっていってんの!」
いい奴だなあ。
思わず笑ってしまったアルドは、照れているのを誤魔化すエレナに怒られながら後をついていった。
「パーティーは、いいの?」
森の中、獲物に気付かれないように出来るだけ小さな声でひそひそと問いかける。
「ジェイのところなら、少し前に抜けたの」
前を行くエレナが枝をナイフで払いながら応える。
「なんで?」
「もともと1人でやってきたのもあって、やっぱり1人が気楽だなって」
いい奴らだったけど、と付け足してエレナが続ける。
「しばらくはあんたの代わりを探しながら3人でやってたけど、ちょうど良さそうな2人組が見つかったから、そのタイミングでやめた」
「それで夜の森に1人でいたわけか」
振り返ったエレナはバツが悪そうな表情をしている。
「別に1人でも上手くやってたんだけど、あの夜は行方不明者の搜索で、ちょっとだけ深追いしちゃたのよ」
「なるほどね……。あっ」
ふと視線の先に鹿らしき生き物の影を捉えて、身振りでエレナに伝える。
「よし。それじゃあ、まずは見てて」
無言で少しずつ獲物へ近付く。
ある程度のところで立ち止まったエレナは、その手に弓矢を創造した。
極めて滑らかな動きで構える。
指先にまで神経を張り巡らせた一連の動作はとても美しく、
凛とした横顔に思わず見惚れてしまう。
放たれた矢は真っすぐ獲物へと飛び、胸の辺りを貫いた。
短く鳴いた鹿は一瞬逃げ出そうとするような動きを見せたが、
すぐにその場に倒れ込んだ。
エレナは無言で獲物へ駆け寄っていく。
鹿は時折足をもがくように動かすだけで、すでに暴れるほどの力はないようだった。
手で鹿の目を覆ったエレナがナイフを鹿の首元へ突き刺した。
引き抜くと同時に赤い血が流れ出す。
「即死させられない時は、こうやってトドメをさしてあげるの。無駄に苦しむ時間が長引かないようにね」
アルドは何も言葉を返すことができず、ただ立ちすくみ、その様子を見ていることしかできなかった。
鹿の浅い呼吸と自分の鼓動の音が重なり気持ち悪い。
やがて鹿は完全に動きを止めた。
エレナが胸の前で手を組み、祈りを捧げる。
「ダメになる前に内臓を処理する」
こちらに視線は送らず、淡々と腹部を開き始めた。
迷いなく進む手さばきは非常に素早い。
どうやら想像力を駆使しているようだ。
血の臭いが辺りに立ち込める。肉を切る音がいやに響く。
「運ぶよ。手伝って」
ほんの数分で処理を終えたエレナに言われるがまま、獲物を担ぎ運ぶ。
事前に確認していた川へ到着すると、獲物を川で水にさらした。
腐らないように冷やすらしい。
開いたままの暗い瞳から思わず目を逸らす。
「……と、まあこんな感じね」
くるっとこちらに向き直ると再び弓矢を創造したエレナは
それをこちらに突きつける。
「次は、あんたの番」
弓矢を受け取るアルドの手は小さく震えていた。
***
朝、森に入ったときとは打って変わって
一言も言葉を交わさず獲物を探し歩く。
エレナは迷いなく歩みを進めている。
臭いや足跡などの痕跡を知覚できるほどに想像力で五感を強化しているのだろうか。
先ほどの弓矢も見事な腕前だった。
半ば現実逃避気味にエレナが創造している力について
思考するリソースを割く。
しかしすぐにエレナは足を止めこちらを振り返ってしまった。
エレナが視線をやる先にはまだ若い猪がいた。
さほど大きくもない。
「肉も皮も、街に運んで、ひとつも無駄にはしない」
アルドの元に近寄りエレナが囁く。
「彼らの命をもらって、私たちは明日も生きる」
「同じよ。命を繋ぐため」
弓を構え、想像力を注ぐ。
―矢は真っすぐに飛ぶ。そして猪の頭部に……。
頭では理解している。
何も今まで肉を食べたことがないわけじゃない。
むしろ好んで食べる方だ。
すべて自分ではない誰かが同じように狩りをしてきたのだ。
魔物からエレナの命を守ったのと同じ。
肉を食べることで今日を生きる。
毛皮で寒さから身を守り冬を超える。
綺麗事ではない現実。
おれたちは常に誰かの命をもらって生きている。
感謝しても、していなくても。認識していても、していなくても。
真っすぐに獲物を見据えて、矢を放つ。
風を切る僅かな音。
矢が猪の頭部へ“想像通りに”突き立った。
「さばくのは流石にいきなりは難しいからー」
「やるよ」
エレナの目をみて応える。
「おれがやる。教えてくれ」
***
獲った獲物を2人で街まで運び、狩猟ギルドへ持ち込む。
エレナは事前に狩猟を申請していたようで滞りなく換金された。
いくらかのお金になった2つの命。
―きっと、”これ”が間に入るから、命の価値が曖昧になってしまうんだろうな……。
手にした銅貨をぼうっと眺めていると、後ろからバシッと背中を叩かれた。
「次、行くよ!」
向かったのは隣接した食堂。
先ほどの獲物の一部を持ち込み、調理してもらうつもりのようだ。
目についた席に座り、テーブルの間を踊るようにくるくると周る給仕に声をかける。
「すみませーん。ビール、2つ!」
聞き慣れない名前にアルドが首をかしげる。
「ビール?エールじゃなくて?」
「あら知らないの?少し前に、誰かの前世の記憶からレシピを再現したお酒、すごい流行ってるのよ?」
ドンッと2つのジョッキがテーブルへ置かれる。
「じゃあ、乾杯」
ジョッキを軽くぶつけ、一息にあおる。
初めて味わうシュワシュワとした刺激。
生温いエールとは違い、冷たい飲み物が疲労で火照った身体に染みるようだ。
「苦い……」
「喉で飲むのよ。喉で」
エレナは口元についた泡を拭いながら給仕を振り返り、おかわりを頼んでいる。
一気飲みかよ……。
2杯目のビールと同時に鹿肉と猪肉のステーキが運ばれてきた。
「国によってはいただきますっていう挨拶の文化がないところもあるらしいわ」
「逆にもっと儀式めいたことをする民族もいるね」
それでも、きっと命の価値に変わりはないのだろう。
「「いただきます」」
内臓の処理をした時の血と肉の臭いや色、感触はまだ頭に残っていて
肉を食べる気分ではないのが実際のところだ。
それでも、自分の行動の結果を噛み締めるように
ゆっくりと食べ進めた。
「創造するっていうのは……、現実を知るってことなのかなあ」
「ほう。その歳で創造者の本質に自ら辿り着くとは……。やるな小童」
エレナが冗談めかして笑う。
「誰が小童だよ。……ありがとう、エレナ」
「だから、これは私があんたにお礼をしてるんだってば」
騒がしい食堂のなか、神妙な面持ちの少年と明るい女性の座るテーブルは、周囲から見ると少しだけ不思議な空間だった。