魔物と"命"
到着してからの話は早かった。
集落、とはいうが街から街へつながる主要な道沿いにあり、人の往来はそれなりに多い。
交通の要所とまでは行かないが、この周辺が魔物の発生で危険な場所になるのはうまくない。
そこで国はまるで季節の行事かのように、定期的にギルドへ駆除依頼を出している。
つまり集落の人間からすれば”いつものこと”であり、
依頼を受けた冒険者用の宿泊場所から駆除対象エリアの案内まで担当者が慣れた様子で説明できるほどになっていた。
この日は暗くなってからの戦闘を避け、
集落で移動の疲れを癒し、翌朝に指定されたエリアへ改めて出発することとなった。
真夜中、ジェイとコーリーとの相部屋を抜け出したアルドは、あてもなく外をぶらついていた。
ふと集落のはずれに人が立っていることに気付く。エレナだ。
「何してるの?」
「あら。―ちょっと散歩してるだけ」
「緊張してるの?」
「誰が言ってんのよ」
笑いながら頭を小突かれた。
「あんたこそ。聞くまでもなく、緊張してるんでしょ」
実際その通りで、なかなか眠れないため外の空気でも吸おうと出てきたのだった。
「少しだけだよ。ほんの少し」
静かな夜にエレナの小さな笑い声は綺麗に響いた。
「なにかあっても、お姉さんが助けてあげるから安心しなさい」
「……ありがとう」
「冗談よ」
いや、と頭を掻いて照れるのをごまかす。
「その、緊張をほぐそうとしてくれてるんだろ?だから―」
「……そういうの、恥ずかしいからわかっても言わないでくれる?」
そう言って笑い合い、しばらく星を眺めてから、ふたりは宿へ戻った。
***
翌朝。天候は快晴。体調は万全。
いざ出発。
「よーし。それじゃ、念の為もう一度確認するぞ。アルドとエレナが前に出て、魔物を引き付ける。コーリーは後方遠距離から牽制とサポート。おれが真ん中で全体を指揮する。」
「了解だ」
「おっけー。ま、アルドの炎一発で終わっちゃうかもだけどねー」
いたずらっぽく笑うエレナの言葉に頭を掻きながら返す。
「それはダメだって話だろ?わかってるよ。仲間を巻き込まない、森を焼かない。」
口を尖らせ不満気に手のひらへ小さな火の玉を創造して見せる。
「コントロールできるのは昨日も見せただろ?」
「期待してるってことよー」
「期待はおれもしてるが、お二人さん、そろそろ指定エリアだ。気を引き締めよう」
森の中の獣道を進む。
鬱蒼とした木々の下に日差しは届かない。
ひやりと冷たい風が肌を撫でる。
静寂のなか自分たちの足音が僅かに聞こえる。
「いた」
スッとエレナが手で皆の前進を制止する。
前方の木々の隙間から四つ足の黒い獣が見える。
むき出しの爪と牙が不気味に光っている。
捕食ではなく、殺す為の器官のようで本能的な恐怖を感じる。
「一匹、ね」
「初陣にはもってこいだ」
「アルド」
ジェイに名前を呼ばれ、ビクッと肩がはねる。
「気付かれる前にキミの炎をぶつけよう。そしたら一気に距離を詰める」
「一撃で仕留めようなんて思わなくていいぞ」
―大丈夫。緊張はしてるけど、周りの景色も見えているし、皆の言葉もしっかりきこえる。
「わかった。ここからじゃ木が邪魔だ。もう少しだけ近付きたい」
音を立てないよう慎重に移動する。
エレナがすぐ後ろについてくる。
その更に後ろ、ジェイとコーリーが周囲を警戒しながら続く。
魔物との間に並ぶ木々が減り、はっきりと姿を捉えられる距離まできた。
大きなオオカミのような姿と黒い体毛の固く分厚そうな質感が見て取れる。
赤黒い目はどこを見ているのか判然としない。
ちらりと後方を振り返り、アイコンタクト。
頷きで返される。
大きく息を吐き、右手を前にかざす。
炎が集まり渦巻く塊になる様を想像する。
―オレンジ色の揺らめき。熱。巻き上げる風。
黒い体毛の獣に放たれ、獣を、燃やす、コロス、……殺す?
アルドの右掌で小さな炎がふわふわと発生と消滅を繰り返している。
明らかに安定した想像ができていない様子にエレナがたまらず声をかける。
「ちょっと。どうしたの?」
エレナが早口で囁き、後ろを振り返る。
ジェイとコーリーも何故放たないのかと怪訝な顔をしている。
「アルド?」
「……大丈夫。いま、もう少しで」
―そうだ。殺すんだ。おれが。想像力で。炎の想像。それを。
アルドの意思とは無関係に想像が連なっていく。
―炎は魔物にぶつかると炸裂するように広がる。肉を焼く音と獣の叫び声。
直撃した横腹は黒く燃え尽き形を失う。焦げた臭い。
―黒い獣は倒れ、血を吐く。うめき声が少しずつ小さくなり、音と動きが止まる。
右手が震える。全身に汗が滲み、視界が狭まる。
“命を奪う”ことが、思考の中心で激しく明滅する。
息が、詰まる。
そのとき、魔物がこちらに頭を向け、瞬間、こちらを認識して唸り声を上げた。
「アルド!動くな!エレナ、出るぞ!」
エレナとジェイが魔物へ向かい駆けていく。
エレナの剣が飛び上がる魔物を迎え撃つ。
巨大な爪は剣とぶつかり金属同士がぶつかるような音を立てた。
すかさずジェイが側面に回り込む。
ジェイの創造した風で巻き上げた土砂が魔物の頭に、直撃した。
悲鳴を上げてよろめく魔物。
追撃に走るエレナの手には剣は握られていなかった。
高く跳んだエレナは両手を頭上に構えると、そこに身の丈ほどの大きな斧を創造した。
掛け声と共に振り下ろされた斧は魔物の頭をまっすぐに叩き割った。
***
その後も何度か魔物と遭遇し、創造による攻撃を試みた。
しかし結果は同じだった。
想像が魔物を殺すイメージにまで及ぶと頭が真っ白になる。
炎がダメなら、と村で落石に放ったエネルギー波での攻撃も試そうとしたが、
魔物を砕き粉々にするイメージに発現が止められてしまった。
一行は仕方なく3人での魔物駆除を続け、日没が迫るころに一度集落へ戻ることになった。
「なくはない話だ。しかしまさかお前ほどの想像力を持ったやつがな……」
集落で夕食を取りながら、コーリーは気遣いを感じる落ち着いた声で続ける。
「命を奪うことへ抵抗を感じるのは当たり前だ。それがたとえ己を殺そうとしている魔物でも、血や痛みへの生理的嫌悪で剣を持てないやつはいる」
「想像力が強すぎるのも悪い方に働いているわね。自分の創造物にとどまらず、それが起こす結果まで想像できることは、本来優れた創造者の強みなのだけど」
常に明るく笑顔を絶やさなかったエレナも今は沈痛な面持ちである。
アルドは集落に戻ってから一言も発することができず、うなだれたままだ。
「アルド」
ジェイの声に普段の朗らかさがない。
アルドは顔を上げることができなかった。
「とても、残念だが……。自分でもわかるはずだ」
「……うん」
「明日、もう一箇所の駆除指定エリアへ向かう必要があるが……。今日程度の魔物なら3人でも何とかなりそうだ」
「……ごめん」
「謝らなくていいよ。ちょっとだけ、待っててね」
エレナの今までにないほど優しい声色が、戦えない守られるべき存在へのそれと感じてしまい、
アルドは俯き唇を噛む。
「これからのことはモルガへ戻ってからでいいだろう。今日はもう休もう」
コーリーの言葉を受け、立ち上がる。
「おれ!先に戻ってるよ、おやすみ!」
逃げるように食堂を離れる。
いつの間にか外には静かな雨が降っていた。
***
翌日、アルドの見送りも出迎えもないままに3人は依頼をこなして集落へ帰ってきた。
夜明けを待って次の日、4人は来るときと同じ道をモルガの街へ向かって進んでいた。
「アルド、あんたはなんで魔物討伐にこだわってたの?」
「それは、……昔からおれが憧れていた冒険者は、みんなダンジョンを攻略したり、強い魔物を倒したり……。前世の記憶の物語の英雄たちだって……」
「……気持ちはわかるよ。でも、みんながみんな、なりたい姿になれるわけじゃないよ。創造者といえどもね」
「向き不向きは誰にでもある。必要以上に落ち込むな」
街が見えてきた。見えてきてしまった。
「おれ、自分が戦えなかったこともショックだけど……、みんなが優しくて、すごく良くしてくれたのに、何も返せないのが……悔しくて」
ガバっと頭を掴まれ、撫で回される。
「おれも残念さ。キミは面白くて、いい奴だ」
「同じ冒険者同士。また何かの形で助け合うこともあるだろう」
「困ったことがあったら、声かけなさいよ?」
「……ありがとう」
こうしておれの初めての依頼はパーティー脱退と共に終了を迎えた。
***
それから数日、アルドは魔物との関わりがない、収集や荷運びなどの依頼で日銭を稼ぐ日々を送っていた。
ジェイたちはアルドがパーティーを抜けた理由を周囲に話していないようで、
広場での巨大炎の創造を見聞きした冒険者から勧誘を受けることもあったが、
適当な理由をつけて断っている。
その様子からアルドが戦えない冒険者であることは、徐々に皆の知るところとなっていった。
―しかし当然、おれは諦めちゃいない!
4年間も冷ややかな目を向けられながらイメトレを続けて鍛えたメンタルを舐めるなよ!!
罰金を支払ったことで完全に素寒貧となってしまったので、
やむを得ず日雇いのような仕事をこなしながらも、空いた時間を見つけては戦う方法の模索を続けていた。
まず、炎などの何かを放出する類の想像はダメだ。
魔物が死ぬことに目を背けて創造したものはかえって不安定になり、ものの役に立たない。
―時代は剣だ!
この世界の冒険者も、異世界の架空の英雄も、剣を使った戦闘は非常にポピュラーだ。
かくして、アルドは人目を忍んで夜な夜なチャンバラごっこに勤しむこととなった。
***
数週間が過ぎた頃、アルドは、想像した剣士の動きを自分の身体に創造することが可能となり始めていた。
月明かりだけでは心もとない、暗い森の中。
創造したシンプルな直剣を上段に構える。
ゆっくりとした呼吸で張り詰めた空気を想像する。
葉のざわめく音すらも小さく、ここにあるのは、己の剣と斬るべき相手のみ。
一瞬の静止のあと、鋭く振り下ろされた剣は、目の前の岩を両断していた。
よし。と独り呟き、座り込む。
おそらくこれを魔物を前にして想像することはできないだろう。
しかしこの技術を身体に覚えこませることができれば、
想像力の補強がなくても、それなりには戦えるだろう。
―それなり、か。
大きくため息をついてうなだれる。
「英雄なんて、子供じみた夢だったかなあ……」
口をついて出た弱音は、誰にも受け止められず闇夜に吸い込まれていった。
帰ろう。疲れからネガティブになっているだけだ。
剣で戦えるようになれば、いつか生き物を殺すことへの嫌悪感に慣れるかもしれない。
そうすれば、想像力を活かして英雄のように……。
「みんなは、慣れてしまったってことなのかな。それが普通なのかな……」
トボトボと街へ向かい歩いていると、不意に森の奥から人の声が聞こえてきた。
冒険者だろうか?魔物討伐依頼か?
だとすれば人目を避けようと森の奥まで入りすぎてしまったのか。
「まあ、逃げるだけなら飛べばいいから大丈夫なんだけど」
依頼の邪魔をするのも忍びないので、急いで街へ戻ろう。
空中へ飛び上がり、木々の上空から街の方角を確認したとき、
再び声が聞こえた。
―悲鳴!?
即座にアルドは声の元へ最大速度で矢のように飛び込んだ。
半ば墜落するように森の中へ降り立ったアルドの目の前に映ったのは、
身の丈2メートルをゆうに超える大型の魔物と、地面へ倒れ込んだ女性。
そしてその間で女性を庇うように立つエレナの姿だった。
派手に着地したアルドを見てエレナが叫ぶ。
「アルド!?ッバカ!逃げなさい!!」
怪我だ。頭から血が流れている。力なく下げられた右腕も赤く染まっている。
あのでかいのはなんだ。魔物?熊?鬼?
体色が黒いのか、暗くてよく見えない。
太い2本の両足で直立している。右腕と見える部分には不自然なほど鋭い、爪?剣?
赤く光る目がこちらを一瞥した。
「おい!!こっちだ!」
魔物に向かって剣を構え、叫ぶ。
殺すことはできなくても、防御ならできるはずだ。
まだ試したことはないが、足下から土の壁を創造したり、
剣技も、いなすだけなら創造できるかもしれない。
時間を稼いで、エレナを逃がす。
その後おれも飛んで逃げればいい。
「こい!!」
巨体の魔物は視線だけを一瞬こちらに向けたが、すぐに目の前のエレナへ視線を戻した。
そして低く唸りながら、右腕を振りかぶった。
―囮にもなれないのか!?
まだ距離があるからか?
それとも、弱った人間を先に殺そうというのか?
おれを脅威と認識していないのか?
何故考えなしに飛び込んだ。
上空からできることがあったんじゃないのか?
何故、戦えもしないのに。
―助けようなどと。
そうだ。助ける。
助けるんだ。
魔物を……殺して。
長剣を上段に構える。
切っ先にまで神経を張り巡らせる。
月光に照らされて輝く剣の姿を視線を送らずとも詳細にイメージする。
おれと奴の間に遮るものはなにもない。
ただ斬るだけ。
想像するのは架空の英雄。巨大な刀を振るう黒装束。
無意識に続く想像。
―魔物の上腕から胸を斜めに切り裂く。肉を裂く重たい感触。血が吹き出す。
赤い目が行動の意味を問いただす。
目眩のような感覚が想像を中断する。視界が白んでいく。吐き気がする。
血を流すエレナの姿が視界に入る。
―助けるために。殺すんだ。
言葉にならない叫びと共に剣が振り下ろされた。
殺意と自己矛盾を孕んだ剣閃は、青白く鋭い光となった。
凄まじい速さで地面をえぐりながら進んだ斬撃が、
爪が振り下ろされる直前、魔物の体を両断した。
強烈な頭痛と不快感にたまらず胃の中身を吐き出していると
血まみれのエレナが駆け寄ってきた。
「アルド!大丈夫!?」
「そっちこそ、大丈夫……オェー」
ゲロと涙と鼻水を垂らして跪くアルドの背をエレナが撫でる。
「まったく。格好つかないなあ」
「ごべん……」
フッとエレナが短く笑う。
「ありがとう」