第2話_やさしい世界なんてなかった
都合がよいだろう?しかしそうでなければ面白みに欠ける。
家を出てから冬弥の家に向かう途中、俺は何度か人とすれ違った。
幸い、狐の面のおかげで顔は隠せているし、耳もパーカーのフードで何とか隠れている。リュックを背負っているおかげで、木刀も外から見えない。それでも、通りすがりの人たちの視線が気になって仕方がない。
「やっぱり変だよな、この格好」
真夏にフードを被っているのは明らかに不自然だ。それに、よく見れば尻尾がズボンの中でもぞもぞしているのが分かる。
冬弥の家まではあと15分ほど。なんとか辿り着けそうだ。
そう思った時、急に強烈な眠気が襲ってきた。
「あれ? なんだこれ……」
さっきまで普通だったのに、まるで麻酔でもかけられたような異常な眠気。足元がふらつき、視界がどんどんぼやけてくる。
「ちょっと待て、これヤバ……」
体に力が入らない。リュックが急に重く感じる。道端の電柱に手をついたが、それでも意識が遠のいていく。
最後に見えたのは、自分に向かって駆け寄ってくる通行人の心配そうな顔だった。
――
ひんやりとした空気で目が覚めた。
「う……」
体を起こすと、見慣れない石の床。薄暗くて、空気が湿っている。カビ臭い匂いがする。
「ここ、どこ……?」
きょろきょろと見回すが、病院でもなければ自分の部屋でもない。石造りの壁に囲まれた、洞窟のような場所だ。
「え、え? なんで?」
急激に不安が込み上げてくる。さっきまで住宅街の道路にいたはずなのに。
「誰か! 誰かいませんか!」
声を張り上げるが、自分の声が反響するだけ。誰も答えてくれない。
立ち上がろうとして、リュックがまだ背中にあることに気づく。中身を確認すると、スマホ、財布、木刀、狐の面、全部無事だ。ただし、スマホは当然のように圏外表示。
「なんなんだよ、これ……」
誘拐? でも犯人の目的が分からない。こんな不気味な場所に連れてきて何をするつもりなんだ。
辺りを見回すと、前方に通路が続いているのが見える。他に出口らしきものは見当たらない。
「行くしか、ないか」
足音を立てないよう慎重に歩き始める。
すぐに気づいたのは、思ったより周りがよく見えることだった。
「狐の目って夜目が利くのかな」
そんなことを考えながら進んでいると、奥の方から妙な音が聞こえてきた。
ぷにゅ、ぷにゅ、という湿った音。
「何の音だ……?」
嫌な予感がしたが、他に行く場所もない。音のする方向に向かって歩を進める。
そして見えてきたのは――
「は?」
青いゼリーのような、大型犬ほどの物体。それがぷるぷると震えながら、こちらに向かって跳ねてくる。
「うそだろ……」
これは、スライムだ。ゲームでよく見るモンスターそのもの。
「夢だ。絶対夢だ」
頬をつねってみるが痛い。現実だ。
スライムがどんどん近づいてくる。ゲームなら弱い敵だが、現実で遭遇すると恐怖でしかない。
「来るな、来るな!」
後ずさりするが、スライムは容赦なく跳びかかってくる。
「うわああああ!」
とっさにリュックから木刀を取り出して振り回す。
スライムがぴたりと動きを止めた。その瞬間、表面が微かに光る。
「何だ?」
次の瞬間、スライム内部の濃い色の部分が後方に移動し、それと同時に猛烈な勢いで飛びかかってきた。
慌てて横に飛び退くが、壁に「ガンッ!」という激しい音が響いた。
「え? 今の音、まるで石みたいに……」
スライムが再び柔らかくなって、今度はゆっくりと這い寄ってくる。逃げ場を探すが、通路は一本道だ。
「クソ!」
木刀を振り下ろすが、ぷにゅんと弾かれて効果がない。
その時、スライムが俺の足首に絡みついてきた。
「うわあああ!」
ぬるぬるした感触が気持ち悪い。しかも、だんだん足に巻きついて動けなくなってくる。
「離せ! 離せよ!」
木刀で叩こうとするが、足に絡みついているせいで上手く当たらない。
スライムはさらに這い上がってきて、太ももまで覆い始めた。このままでは全身を覆われてしまう。
「死ぬ、死ぬ死ぬ死ぬ!」
必死にもがいていると、ふと気づいた。スライムの中央部分、他より少し色の濃い部分がある。
「あれは……核?」
ゲームではスライムに弱点があることが多い。もしかして、あれを狙えば……
「えい!」
木刀の先端で、色の濃い部分を突いた。
ぶしゅっ!
スライムが一瞬で崩れ落ちた。青いゼリー状の液体が足元に散らばる。
「はあ、はあ、はあ……」
激しく息が上がる。心臓がバクバクと音を立てている。手も足も震えている。全身汗だくで、立っているのがやっとだ。
「死ぬかと思った……」
へたり込んで、しばらく動けなかった。たかがスライム一匹でこの有様。情けないが、これが現実だ。
その時だった。
(初戦闘、お疲れ様でした)
「うあああああ!」
突然頭の中に響いた声に、俺は木刀を振り回した。
「誰だ! どこにいる! 出てこい!」
(落ち着いてください。私は敵ではありません)
「嘘だ! 幻聴だ! 俺、頭おかしくなったんだ!」
(貴方は正常です。私はナビゲーターと申します)
「ナビ? 何それ! 意味分からない!」
完全にパニック状態。もう何が何だか分からない。狐になって、変な場所に飛ばされて、スライムと戦って、今度は幻聴。
(深呼吸をしてください。説明いたします)
「説明って、お前の正体を先に教えろ!」
(私は貴方をサポートするシステムです。姿はありませんが、貴方の意識に直接語りかけています)
「システム……?」
あー……なんだかもう何でもありな気がしてきた。狐になった時点で常識なんて通用しない。ゲームの世界みたいなことが現実に起こってるんだから、システムだって存在するのかもしれない。
「もういい、何でも来いよ」
半分やけくそになりながら答える。
(貴方は先ほど、この世界で初めてモンスターを倒されました)
「この世界って何だよ」
(ここは貴方がいた世界とは別の世界です。いわゆる異世界というものですね)
「異世界……まあ、そうだろうな」
もはや驚きもしない。この状況で異世界転移と言われても、「やっぱりな」としか思えない。
そういう思考のほうが楽な気がしてきた。
(詳しい理由は私にも分かりませんが、モンスターを倒された貴方に特殊な能力が付与されました)
「特殊な能力?」
(『狐火』という炎を操る力です。試してみてください)
「炎を操るって……」
半信半疑で手のひらに意識を向けてみる。すると――
青い炎がふわりと現れた。
「うわあああ!」
慌てて手を振るが、炎は消えない。でも熱くない。むしろ涼しい。
「熱くない……なら、消そうと思えば……」
意識的に消そうとすると、炎は消えた。
(狐火は貴方だけの固有能力です。魂を燃やす炎で、様々な応用が可能です)
「魂を燃やすって、物騒だな」
(使い方次第です。武器にもなりますし、道具にもなります)
確かに便利そうだが、人を傷つける力でもある。使い方を間違えれば危険だ。
「で、俺はこれからどうすればいい?」
(まずはここから脱出することです。ここは初心者用のダンジョンですから)
「ダンジョン……」
(この通路を進んだ先に出口があります。私がご案内いたします)
ナビゲーターと名乗る謎の声に導かれ、俺は重い足取りで歩き始めた。
スライムとの戦いで疲れ果てた体を引きずりながら、一歩一歩前に進む。
まだ全てを理解できているわけではないが、生き抜くためには前に進むしかない。
常識的に考えてスライムは強い。人が殺意向けられるのも、なかなか無い体験だろう?
執筆が実質初めてな者なので、コメントやらブクマは大いに嬉しいです。
更新は毎日2本予定です。気長な気持ちで読んでってください。