7.ひとしずくのぬくもり
それから、ほんの少しずつ――マナの世界に色が戻り始めた。
最初に口にしたのは、温かいハーブティーだった。
ほとんど口も開けなかったマナが、リリーの差し出した湯気にそっと唇を寄せたとき、リリーは本当にうれしそうに微笑んだ。
その日から、朝と夜だけでもスープを飲むようになった。
スプーンを持つ手はまだ頼りなく、食欲もすぐに戻るわけではなかったけれど、食事を“受け入れる”ことが、少しずつできるようになっていった。
リリーとの会話も、
「ありがとう」「……おいしかった」「綺麗ですね」
そんな一言一言が、氷の膜の上にそっと水を落とすように、マナの心を揺らしていった。
庭の花が咲くたびに、リリーは窓辺に一輪飾ってくれた。
そのたびにマナは、花の名前をぽつりとつぶやく。
「ラナンキュラス」「フリージア」「デルフィニウム」
――どれも、母が好きだった花。
話すことで、母との思い出が蘇る。
それに多少の痛みはあったが、少しずつ現実と向き合えるようになっていった。
ある朝、マナは窓の外を見ながら、リリーに小さな声で尋ねた。
「……この世界の空も青いんですね。私の世界と同じ」
リリーは、マナのつぶやきに少しだけ目を細めると
「空というものは、不思議ですね。たとえ世界が異なろうとも、
どこまでもつながっているように感じられるのです。
――そう思えば、遠く離れた大切な人とも、心が少しだけ、近づける気がしませんか?」
マナはその言葉に、ふっと目を伏せ小さく頷いた。
空はつながっている――その考えに、ほんのわずか救われた気がした。
そんな日々の中、リリーはそっとセトに伝えていた。
「マナ様……少しずつ、食事もとられるようになりました。
笑顔を見せてくれることもあります。」
その報告を受けたセトは、深くうなずいた。
彼女に必要なのは、強制ではなく、自分で選ぶ時間と余白――それを、ようやく持てる段階に来たのだと。
そして、ある晴れた朝。
セトは静かに、マナの部屋を訪れる決意をした。