4.閉ざされた心
マナが召喚されてから、すでに数日が過ぎていた。
けれど彼女は、いまだ聖女殿の一室から一歩も外に出ようとしなかった。
窓の外には、季節の花々が風に揺れ、柔らかな陽射しが差し込んでいるというのに――その美しさすら、彼女の瞳には届いていないようだった。
そして朝昼晩と運ばれてくる食事にも、手をつけることはなかった。
リリーがどれほど優しく声をかけても、マナはただ、うつむいて小さく首を横に振るばかり。
最初はかろうじて水だけは飲んでいた。けれど、その水さえも、次第に喉を通らなくなっていった。
彼女はベッドの上で膝を抱えてじっとしている。まるで、自分の存在を空気のように消してしまおうとしているように。
(ここは現実じゃない。夢なんだ。だからきっと、目が覚めれば――)
そんな期待さえ、今はもう声にできなかった。
頭では理解している。
もう戻れないということも、この世界で何かを求められているということも。
どれも今のマナが受け止めるには重すぎる現実だった。
「お母さん……」
小さく漏れた言葉が、静かな部屋の空気をかすかに震わせる。
名前を呼んだところで、返事はない。
触れたかった手はそこにない。声も、匂いも、全てが――遠い。
喉が焼けるように苦しくて、けれど涙も出なかった。
(どうしてわたしなの……?)
誰も答えてはくれない問いが、何度も心の中で反響する。
マナは、壊れないように、ただじっとしているしかなかった。
その日も、リリーは顔を曇らせながら部屋の扉をそっと閉めた。
トレイの上には、食べられなかった朝食と、ほとんど減っていない水差しがそのまま残っている。温めたスープも、ふわりと香るパンも、すっかり冷めていた。
部屋の中の空気までもが、ひんやりと閉ざされているようだった。
(このままじゃ……)
リリーはそっと胸に手を当てる。
声をかけるたびに、マナの瞳が遠くなる気がして、言葉を選ぶことすら怖くなっていた。
廊下の先から差し込む午後の光が、石の床に長い影を落としていた。
リリーは立ち止まり、静かにその場で息を吐いた。どうすれば、マナのあの沈黙に届くのだろう――
答えの出ない問いを胸に抱えたまま、彼女は足音を立てずにその場をあとにした。