2.光の向こうで
目を開けた瞬間、世界が変わっていた。
「……え?」
視界に飛び込んできたのは、高く広がる天井。
幾何学模様が描かれた白い石造りの空間に、淡く差し込むステンドグラスの光が揺れている。
床には滑らかな大理石。その中心に、白い布を敷いた祭壇のような台座がある――そこに、自分は寝かされていた。
(……ここ、どこ?)
まだぼんやりとした意識のまま身体を起こすと、周囲に立ち尽くす大勢の人影に気づいた。
十人以上はいるだろうか。
白い法衣をまとった神官たちが、無言で自分を取り囲むように立っている。
その視線が、一斉にこちらへ向けられていた。
(え……? なに……?)
胸がざわつく。呼吸が浅くなる。脚に力が入らず、肩がかすかに震えた。
高校生になったばかりのその少女にとって、目の前の光景は現実の枠を大きく超えていた。
「ご安心ください」
ふいに、柔らかい声がした。
人垣を割って現れたのは、一人の青年だった。
緑がかった青の髪。翠色の瞳。その中性的で整った顔立ちは、どこか人間離れした美しさを湛えている。
青年は静かに歩み寄り、胸の前で両手を合わせて深く一礼した。
「私はセリオス神殿の神官長、セト・ロセッティと申します。突然のことで戸惑われているでしょうが、どうか、恐れずにいてください」
(神官……? 神殿……?)
耳に入る言葉の一つ一つが、現実のものとは思えなかった。
「ここは、ラーデンリア王国の中央にあるセリオス神殿。
あなたがいた世界とは、“次元を異にする領域”です。
あなたがいた世界は私たちの世界では、遥か遠き魂の座と呼ばれています」
(次元を異にする領域……遥か遠き魂の座……)
思考が追いつかない。理解しようとすればするほど、頭の中が白くなっていく。
そのとき、セトの背後からもう一人の神官が静かに進み出た。 彼はセトよりも年嵩で、威厳に満ちた佇まいをしている。白と金の祭服。隙のない立ち姿。
その瞳は、まるで人の心の奥を見透かすような静けさと深さを宿していた。
セトが振り返り、一礼する。
「こちらはこの地の神殿を束ねる最高位の存在
――大神官カリオン様です。聖域における信仰と儀礼の頂点に立たれております」
カリオンは深くは名乗らず、ただ静かに一歩前に出ると、マナの前でわずかに頭を垂れた。
「……この地へようこそ。あなたの到来は、我らが祈りに応じた神の導き
――それは神より授かりし定めに他なりません」
その声は低く、よく通る――けれどどこか、計り知れないものを感じさせる響きだった。
マナは、ただ黙ってその人物を見つめることしかできなかった。彼の言葉の意味も、立場の重さも、まだ理解できていない。
ただ、その場に立つだけで空気が変わるような存在感を、肌で感じていた。
そしてセトが、再び前に出て問いかける。
「……あなたのお名前を、教えていただけますか?」
セトの問いかけに、マナはかすかに肩をすくめた。
しばらくの沈黙のあと、かろうじて言葉が出る。
「マナ……石神マナ……です」
自分の名前を名乗った途端、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。
声が、震えていた。
(どうして……わたし、ここにいるの?)
それを問いかけようとした瞬間、急に視界がぐらりと揺れる。全身から力が抜けていくのを感じた。
「っ……!」
背を丸めるように座り込んでいたマナが、急にぐらりと前に傾いた。
その様子に気づいたセトが、そっと傍にしゃがみ込み、静かに支えた。
「無理をなさらずに。
……あなたは、長い召喚の儀式を経てこの地に至ったのです。
きっと、身体にも魂にも、まだ大きな負荷が残っているはずです」
「……召喚……?」
その言葉の意味を、マナの意識はうまくつかめなかった。でも、きっと大事な意味がある。
ただ、今は……身体が重い。
「お休みになったほうがよいでしょう。
マナ様、どうかご安心を。ここは安全です。
あなたを守るための場所ですから」
セトの声が、遠くなっていく。
その柔らかく静かな音だけが、どこか安心感をもたらした。
まぶたが重くなり、まどろみが意識をさらっていく――
(お母さん……)
最後に浮かんだのは、光に包まれていく自分へと、叫びながら必死に手を伸ばしていた母の姿だった。
伸ばされたその手に、届かなかった温もり。
あの瞳の奥にあった、張り裂けそうなほどの哀しみ――
(……)
暗闇がゆっくりと降りてきて、マナの意識は静かに沈んでいった。